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僕が青春を捧げたSuchmosというバンドについて

今この瞬間も青春は終わりに向かっている。日常生活の中で、明らかにときめきが減っている。青春時代にしか感じられないものがたくさんある。


そんなことを考えていた時にふと、僕が青春を捧げたバンドについて、限りある青春の内にどうしても記しておきたいと思った。Suchmosというバンドについて。これから青春を迎えるどんな人も、もうあのSuchmosにリアルタイムの青春を捧げることはできないんだと思うととても辛い。悲しい。Suchmosの楽曲のほとんどを手掛け、マスターと呼ばれたHSUが2021年10月15日、32歳でこの世を去ったからだ。仮に今後Suchmosがサポートベーシストを加えてステージに立ち、6つの声・楽器が同時に音を奏でても、残念ながら僕にとってそれはSuchmosのサウンドではない。あまりに悲しい。悲しすぎる。

2021年2月からSuchmosは「修行」のために活動を休止していたから、HSUが亡くなった当時の喪失感はやや希薄だった。それからおよそ半年の月日が流れ、その間にも彼らの様々なライブ映像を見返す中で、もう二度と生でSuchmosが観られない、音楽が聞けないというのは僕にとってあまりに大きな喪失であることに気付いた。Suchmosは僕の全青春だった。

Suchmosは神奈川県茅ヶ崎出身のメンバーを中心に結成した6人組バンド。ボーカル・YONCE 、ギター・TAIKING、ベース・HSU、DJ・KCEE、ピアノ・TAIHEI、ドラム・OK。OKとKCEEは兄弟で、彼らの家に夜な夜な集まって音楽を聴いていた仲間で結成。
僕が彼らを好きなのは、人が一番敏感にものを吸収する期間に新しいことをたくさん与えてくれたからだと思う。聴いたことのない音楽を次々にリリースした一方で、彼らのファッションにも強く憧れた。adidasのATP(トラックジャケット)、白いTシャツに薄いデニムのジーンズ。一度彼らのラジオにメールを送り読まれたこともある!「東京だとどこで古着を買いますか?」『某セカスト(笑)』


ここではSuchmosとのいくつかの思い出を振り返る。
 
時系列順にならないが、2019年9月8日から書かせてもらう。どうしても。その日は人生最良の日だから。人生最良の日が定まっていることほどこれからの人生心強いことはない。

この日はSuchmosが結成当初から掲げていた目標、横浜スタジアムでのワンマンライブ、Suchmos THE LIVEの日。このライブの開催は2018年11月に発表された。その時出した彼らのコメントはこうだ。
 

ドでかいとこで思う存分ライブをする。これだけでサイコーだけど俺たちは満足できないかもしれない。
常に変わりゆく日々の中、どんな気持ちでステージに立つのか今から楽しみ。
出会った人たち全てに感謝を伝えられる日にしたいです。
―― Suchmos

 

溜息が出る、動悸が激しくなり心臓が早い脈を打つ。その感覚を今でも思い出せる。とにかくSuchmosは夢を掴むんだ!そう思った。
 

迎えたハマスタライブ当日、関東地方には台風が迫っていて、開催か延期か、当日朝まで発表が待たれたほどだった。だけど当時のSuchmosには台風を蹴散らすような勢いと迫力とが確かにあった。全盛期のアーティストが身にまとう一種のオーラのようなもの。僕はそれにとにかく心酔しきっていた。
 

横浜スタジアムアリーナ真ん中やや後方。当日限定のTシャツに身を包み、ズボンにはもちろんリーバイスを。台風接近雲混じりの空、日本は今や9月も真夏、高く昇った太陽がじりじりと照り付けていたのを克明に記憶する。僕は開演時間を待った。その間にも空模様は刻一刻と変わり、小雨が降り始めたりした。
 

話は少し遡り、2ヶ月前の7月7日、僕はSuchmosを見ていた。新潟・朱鷺メッセでのライブ。ライブは素晴らしく良かったが、彼らは到達していた。完全にバンドと楽曲が熟れて、熟れきって、飽和しているような印象を受けた。それほどに圧巻だった。恐らくそれはSTAY TUNEのメガヒット、VOLT-AGEのNHKのW杯テーマソング起用と紅白出場などの離れ業を短期間にやってのけたバンドが迎えた到達点だった。マスに向けたプロモーションなど、初期の外向的な期間を経て、活動が内向的になるというのはさまざまなアーティストが通ってきた道だと思う。僕はその飽和状態が、あるいは世間のレッテルがSuchmos6人の個性を閉ざしていたように感じて寂しかった。(YONCEがトレードマークのadidasのトラックジャケットを着なくなったことなど)こんな感情不相応かもしれないけれど。
 

だから、完熟に至ったバンドが、念願の場所でのライブをどのような装いで、どのようなスタンスでやってのけるのか、楽しみと同時に心配でもあった。
会場に流れている音楽が小さくなり、それから長い、長いSEがハマスタを支配した。メンバーが一人ずつ出てくる。僕の心配は杞憂に終わった。
 

YONCEはかつてのトレードマーク、adidasのトラックジャケットを着て出てきた。頭を丸めて。それはまるで、Suchmosが、そしてYONCE本人が、「生まれたときの姿」で今日この舞台に立つことを表明しているかのようだった。それから彼はこう言い放ってライブを始めた。
 

よく来たね!
 

その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。それから約3時間、僕は泣き続け、そして踊り続けた。Suchmosという熟れた果実を、味わい尽くす3時間。それもハマスタで。充分だ。もう僕の人生には充分過ぎる。セットリストも最初から最後まで圧巻、6人のプレイも乗っていてもちろん最高だった。(ああ、最高だった。)MINTの大合唱、雨の降る中でのHit Me, Thunder。GAGAの間奏はそれぞれが個性を爆発させた。そしてSuchmos第二章を打ち出したIn The Zooも演った。ついに発表されることのなかった新曲、藍情を演って会場を驚かせた。あの時間を超える時間はほんとうに現れないんじゃないかと思う。
 

それから半年ほど経ち、世界はパンデミックに突入する。ハマスタライブを最後に、Suchmosは一度のオンラインライブをやるにとどまり、(それも全曲新曲だ!僕はいつも彼らに驚かされた)観衆の前でライブをやることはついになかった。ミスチルやユーミンをゲストに迎えたプレミアツアーを控えていたのにも関わらず。そしてー。


 

ここからはSuchmosのいくつかの曲とそれに伴う思い出を書いて終わりにしたいと思う。
 

Life Easy-「悠々自適にいこう、Life Easy」とYONCEはいつも言う。それからTAIHEIの長いピアノソロがあり、僕はそれに聞き入る。会場がその日一番の静寂に包まれ、TAIHEIの指の動向を、そしてそれが空気を振るわせるのを、ただ感じる。それはぼくたちオーディエンスだけでなく、他の5人のメンバーも同様にそうなのだ。YONCEは時々狼の遠吠えのように叫んだりする。それは時々酷いもので、embrassingなものだったりする。彼のダンスや叫びにはそういう類の、人間が誰しもうちに秘める理性の下のダサさのようなものが垣間見える。だからぼくも。ダサくてもいい、体を揺らせたいように揺らせる。悠々自適に生きていける気がする。今でもそうだ。
 

Miree-僕がSuchmosと出会った曲。2015年、年末フェスはインテックス大阪、RADIO CRAZY。「時間あるならSuchmos観たら?カッコいいから」とご飯を食べるエリアで友人に言われたのを今でも覚えている。僕はその時それほど多くのバンドを知らなかったから、沢山の時間があった。その時間を埋めるために最もコアなバンドが集まる、小さな小さなステージに足を運んだ。前向きにでも、嫌々誰かに行かされたわけでもなく、なんとなく自然に足を運んだのだった。会場に入ると背の小さかった僕は(当時中学3年生だ)フロアの中央付近まで行った。大人が多い会場で、人々はステージの方に押し寄せるでもなくそれぞれの楽しみ方で楽しんでいた。YONCEは「ラストナンバーです。ありがとう、Suchmosでした」と言い、Mireeが始まった。それは僕が今まで聴いたことのない音楽だった。胸を打たれた。雷鳴が耳のすぐ隣で鳴った。それは当時も今も変わらない「カッコいい」だった。僕はその日からSuchmosの虜になった。中学三年生、青春が始まった。
 

A.G.I.T-この曲のMVがYouTubeにアップロードされたのは2017年1月10日。僕は高校1年生を生きていて、高校の6階の、音楽室の奥の方にあるトイレで公開直後の動画を友達と観たのを覚えている。「なんやこれ」「また意味わからんことしてるな」と友達と言い合った。Suchmosは常に僕達の首を傾げさせた。
 

808-この楽曲の製作前にそれぞれのメンバーはそれぞれの場所で英気を養ったという。それがそのままMVになっている。僕はこのエピソードがONE PIECEの2年間みたいで好きだ。6人の個性の強いメンバーが、それぞれ違ったインスピレーションを持ち寄って昇華していく。VOLT-AGEがNHKのW杯テーマソングに起用されたが、世間の声はハッキリ言って厳しいものだった。そんな彼らが「俺らはこれでやっていくよ」というのを示した格好の曲のように思える(時期的に)。恐らく製作していたのは同じ時期だと思うけど。

MINT-僕の最も好きな曲の一つ。 「気の抜けたコーラでも飲んで」だった歌詞はいつの間にか「冷えたコカコーラでも飲んで」に変わった。大人の事情を見た(笑)
MINTはかなしくてあったかい。遠い夏の良き思い出を振り返るようでもあり、身を切るような寒い日にだって寄り添ってくれる。この曲は、僕の青春時代のアンセムだ。

そして最後に、
YONCE-フロントマン。僕が最も好きな人間の一人。僕が粋で無いと思ったものを全て遠くへ吹き飛ばして、目の前で粋とカッコいいとを見せてくれた。
Suchmosがネットで叩かれたり、やや過小評価ぎみなのはこの人の不器用さが影響している気がする。その不器用さが僕は好きだ。Liamのような完璧なフロントマンも好きだけど、愚直さが感じられるYONCEが大好きだ。
 
僕はSuchmosの活動を、躍進を目の当たりにできて幸せだったんだと心から思う。YouTubeのコメント欄でたくさんの「生で見たかった」「ハマるのが遅かった」という言葉を見た。彼らはあまりにカッコよかったために世間から評価されなかったり、笑われ者にされたりする。と、僕は思う。(念願のFUJI ROCKグリーンステージで攻めすぎたセットリストで場を白けさせ、挙句の果てに木々に感謝したとか言う…。)だけど彼らの存在は今後もCD、レコード、音源として残り続ける。人の心の中や音楽史の中に生き続けられるバンドはほんのわずかだ。そして何より僕は目撃者だ。あの日、RADIO CRAZYという大きなフェスの一番小さなステージで僕を青春に連れて行ってくれた友人に、Suchmosに、そしてHSUさんに感謝します。ありがとうございました。

 

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