Entanglement(仮)
彼女は「社会」より「科学」の方が私のタイプだと言った。それからこう付け加えた。
"決まった答えがあるものの方が私には合うわ。そこにはただルールがあり、私はただそれに従えばいい、そういうものって単純で好きよ"
そういう考え方って好きだと思った。僕が平生、この世には僕たちが受諾するか否かを選択する前から存在している何かしらのルールがあって、その事実自体を受け止めるのにやや苦労していることだけが理由ではない。従うという字面がそこに開く受動的な意味合いを全て排して、その先に広がった大いなる冒険心や探究心みたいなもの。可能性を可能性として考慮し続ける気概、忍耐力。そういうものが彼女の、僕のまだ見透かすことのできない部分にあると思った。
しかしそうしたいくつかの他愛のない会話を繰り返すうちに、僕の心はキュッと、ちょうど貝が必死に岩壁にしがみつくように、固くなってしまった。通じ合わないことを通じ合わないまま飲み込み続けることでそこに蟠るものが確かに僕にはあった。不条理や不和を致し方ない世の摂理だと思いたい一方で、心の中の若さはそれを看過せず、世の中を自分でなんとかできる、「未来は僕等の手の中」マインドセットがそこにただひっそりと控えていた。それから僕は彼女との目の合わせ方、相槌の打ち方、姿勢や振る舞い、言葉遣いに至るまでそのほとんどを自覚的に認知するようになり、何もかもがぎくしゃくし始めた。己が己を見ながら一寸先の己を拒絶し、自覚的な己とは切り離された容れ物としての身体が情報量の多さに挙動を定め損ねていた。この原因を瞬時に解明する明晰さのようなものが僕にはなかった。言葉にはできない何かによって言葉にできない感情が多発的に沸き起こり、スモークのように心臓の辺りを覆い尽くした。呼吸も少し苦しい。彼女が他の誰かと意思を通わせているのを見るたびに、ぎくしゃくした鎧は重みを増した。程なくして僕は彼女との連絡を一方的に絶った。
僕はその秋の、ありとあらゆる景色、音楽や映画、小説、エッセイたちが僕の胸をどう打ったかを、まるで形を持ったもののように鮮明かつ克明に覚えている。それらは重みを持ち、奥行きを持っていた。相互にもつれを抱きながら3次元の思い出としてここに立ち上げることができる。映画のワンシーン、小説の一行、あまりにも日常的なバスや電車の中、そのどこかに彼女との関係性の謎を紐解く鍵を求めていた。伸びた髭を剃り忘れ、冷めたコーヒーを温度に気を払うことなく啜り、図書館で借りた本の返却を催促する連絡さえ絶たれた。気づけば周りからは人が遠ざかり、赤や黄の葉もコンクリートを彩る絨毯となり、木々を寒々しい姿へと変えていた。依然として僕は世界に何か大きな影響を与えられ、与えられる存在だと信じて止まなかった。だからこそ名作や名盤を貪るように吸収した。胸を打つものはあった。僕をここにとどめてくれない、いくらかのアクションを起こさせるエネルギーに満ちたものがあった。ただそれも長くは続かなかった。彼女の残した痕跡たち、綺麗に畳まれたブランケットや、左右きちっと同じ高さまで上げられた靴下、決して楽天的ではない彼女の時折見せる不安げな顔、レシートの裏に描いた落書き、全てが鎧の隙間に入り込み、その重量を増した。
そんな日々が続いたある朝、この街でおよそ2ヶ月ぶりに雨が降った朝、僕は近くのカフェへ出掛けて行った。朝7時のことだった。辺りはまだ暗く、もやがかった空気の向こう遠くでは出港を告げる船の警笛がかすかに聞こえた。気怠く決まり文句の挨拶をする店員にエッグサラダサンドイッチとトールサイズのホットアメリカーノを注文して出来上がりを待った。なんてことのない朝だった。エスプレッソマシーンは丹念にエスプレッソを抽出し始めた。その過程では機械が一定のリズム感を携えて音を放ち、のちに薫りを連れてくる、そうしたいつもの空間がそこにあった。気高さすら感じるコーヒー豆の薫りの中、僕はその一連をふと、唐突に美しいと思った。何かしらのルールがこの機械のためだけに組み込まれ、一つ一つの過程が必要不可欠な関連性を持って互いに従い、時にもつれを生じながら抽出という一つの目的を完遂している。抽出されたエスプレッソをカップに移し、お湯を慣れた手つきで注ぐ店員さんの手から、僕の手へと、トールサイズのホットアメリカーノが今渡る。その瞬間、ここで存在した一連の流れ(エスプレッソマシーンの正常な機能、店員さんがカップに注ぎ、僕の手で僕が確かにそれを受け取る)にはそれ以外の流れが存在しなかったかのような威厳が付与される。あまりに完全で秩序だったルール。エスプレッソマシーンの中、少しの歪みによって正常にそれが機能しなかったケース、店員さんがお湯を注ぎ損ねるケース、僕が受け取る際にそれを倒してしまうケース、その全てを配して今ここに存在した一連の流れ、それにただ従った主体としての自分に初めて敬意のような感情を憶えた。
店を出た、依然として雨は降り続いている。静かに、心の底を冷やしていくような雨が、表面積510,100,000 km²を数える地球というこの惑星の、僕がいる1㎡にも満たない一点に降り注ぎ、僕を濡らしている。右足を踏み出す、右足を着いたそのすぐ左には今朝飼い主が拭いそびれた犬の糞がある、左足を踏み出すことを排した世界を、僕は生きていた。
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あとがき
平生人は"自分を変えなければ"と思っている。あるいはそれは自分を取り巻く環境を含み、それを恣意的に変更可能なものとして捉え、時に実行した気にさえなっている。僕は思う。自分を変えるのはいつも他の何かである。外側から来た何か以外で自分を変えられるものなどない。同じように過ごしていても季節は変わりゆくし、バスに乗れば昨日とは異なるドライバーが、昨日とは異なる車と並行して走る。同じように見えて全て微妙に異なっている、そのことに敬意を払わなければならない。僕と、僕の隣の人と、その人が今日失ったものとが同じ"生きている"という言葉の中を生きている。繋がっている、という実感は言葉を立ち上げないと掴めないみたいに見える。或いは立ち上げようともいつまで経っても掴めた気にならないから、人は繋がろうとするんだと思う。秋の空気は僕をいつもこんな実感で包む。
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