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【映画感想】女子高生に殺されたい

原作:古屋兎丸
監督:城定秀夫
脚本:城定秀夫

サイト名、女子コロ(joshikoro)なんだ。
なんだかすごく感想が長くなってしまった。


あらすじ

女子高生に殺されたいがために高校教師になった男・東山春人(田中圭)。人気教師として日常を送りながらも“理想的な殺され方”の実現のため、9年間も密かに綿密に、“これしかない完璧な計画”を練ってきた。彼の理想の条件は二つ「完全犯罪であること」「全力で殺されること」。条件を満たす唯一無二の女子高生を標的に、練り上げたシナリオに沿って、真帆(南沙良)、あおい(河合優実)、京子(莉子)、愛佳(茅島みずき)というタイプの異なる4人にアプローチしていく……。
出典:女子高生に殺されたい 公式サイト


登場人物

東山春人:田中圭
女子高生に殺されたい人

佐々木真帆:南沙良
あおいと一緒にいる人

小杉あおい:河合優実
"死の匂い"を感じ取れる人、未来予知もできるっぽい

君島京子:莉子
演劇部の人、これといった特徴がない(他の人の特徴が強すぎる)

沢木愛佳:茅島みずき
柔道部の人

深川五月:大島優子
春人の元カレ、心理カウンセラー


感想

良かった点

・春人が大学生の時に、五月にインタビューをされていたのを映したビデオが流れるシーンがある。ゼミの課題で撮影した映像であり、画面にほとんど変化が無い(春人の表情のみ)
だが、本来なら観客が退屈してしまうであろうシーンを、冒頭にちょい見せしておくことで「あ、最初に見たシーンだ。この後どうなるのかな」と興味を持たせる工夫がされていた。

・春人が女子高生を見て、自分の死(絞殺されること)を連想して恍惚とするシーンがいくつかある。この時に、羊水の中を思わせるような、水の中に漂う表現がされていた。
これは、春人のリビドーが一体どこから来ているのか、と言うことをわかりやすく説明していて良かった。

・出てくる女子高生みんな春人に恋をするのだが、恋する女の子ってかわいいですよね。かわいい。

・真帆にネクタイを直してもらうシーンの春人の表情が良い。
『ネクタイを直す』という至って普通の行為と『首を絞められることを連想して性的に興奮する』という異常さの対比が美しい。

・舞台上で首を吊るシーンが良い。なんかエロかった。←これはただの自分の性癖です。

・照明がいい。
映画というより舞台(演劇)のような、人物に強いスポットライトを当てる照明が印象的だった。この照明のおかげで、他人に理解されない性癖を持つ春人はもちろんのこと、キャラクター個人が持つ『人とは違うところ』を強調する効果があるように感じた。
ただ、ちょっと光が強すぎて、顔が白飛びしてしまっているシーンもあった。


自分には合わなかった点

・春人は自分の欲望についての手記を残しているのだが、これが春人のキャラ設定を説明するために無理矢理シーンを挿入したように感じてしまった。普通こういうことを文章で残しておくものなんだろうか?
春人は他人に自分のことを理解してもらえなかった欲求不満を、文章にすることで発散していたと考えれば腑に落ちるが、それをオフレコで音読するのは映画的事情を感じてしまって、自分には合わなかった。

・キャサリンの人格が出てきた原因は、テレビでやっていたエミリーの恋人の「キャサリン、キャサリン」という台詞を聞いたからなのだが、その発音がネイティブ過ぎて、キャサリンに聞こえない。というか、日本語で言うカタカナ英語の『キャサリン』と、エミリーの恋人の『Catherine』が違いすぎる。真帆(かおり)が『Catherine』と『キャサリン』は同じだと分かっていればOKなのかもしれない。
この映画は漫画原作なのだが、漫画内では同じ『キャサリン』なのかも(読んでない)

・演技がクサい。これはもう個人の好みでしかないけど、あおいとかおりは演じてます感が強かった。でもこれはシナリオのせいもあるかもしれない。
キャサリンは人を殺す時に笑うのをやめろ。映画に笑いながら人を殺すキャラを出すのを禁止せよ。これ良い演技だなって思えたことないぞ。むしろギャグ。


良くなかった点

・『実は真帆が三重人格だった』というのはこの作品の核心に迫るシーンだと思うのだが、先にあおいという能力者が出ているため、驚きよりも『また能力者かよ!』という感想が出てくる。能力者を2人も出すな。というかあおいの能力に何の説明もないのはどうなんだ。
どの女の子が春人の狙っている女の子なのか?という要素があったらしいので、いっそ出てくる女の子全員何らかの能力があったら、最後まで誰に殺されるか分からなかったんじゃないかと思う。

・犬を殺さないで欲しい。悲しいから。
なぜ死体から血が出ていたのだろうか、リードで首を絞めて殺したはずなのに。

・あおいが何でもアリすぎる気がする。でもこれは特殊な能力を持つ女子高生がいたから殺される希望を持つことができた春人が、特殊な能力を持つ女子高生のせいで計画を失敗させられる。という構造になっているのかもしれない。
それにしても問題の解決策が『特殊な能力があるから』なのはどうかと思う。だってこれがアリならなんでもアリじゃん。

・五月の人間性がやばすぎる。
学生のカウンセリングで、相手の恋愛の話を笑うな。
教師と生徒の恋愛の話に割と乗り気なのはどうなんだ、倫理観がおかしくない?
オートアサシノフィリアを病気っていうな、性志向のひとつなんだから病気じゃない。治らないから。←ツイッターの面倒臭いリプライみたい。
彼氏の携帯を勝手に見るな。挙句にロリコンの変態扱いするな。そしてそれに対して作中で罰が与えられないのはなぜなんだ。
記憶を無くした患者に私情を持ち込んで混乱させるな。以前のあなたを生き返らせるって、独善的な正義感で行動するな。

・あおいが実は東山が犬をけしかける件を全部見ていた訳だが、それをすぐにいうわけでもなく、物語の終盤になってから全部知ってました顔で語りだすのは、ご都合主義が強すぎるような気がした。というか、あおいが全体を通してなんでもアリ感が強い。


女子高生に殺されたい。と思うことがそんなに悪いことだろうか。性癖は自分の意思で変えることはできない、やっかいな呪いみたいなものだと思う。同性愛だとか、小児性愛だとか、ケモナーだとか、カニバリズムだとか、様々な"異常"性癖があり、中には愛することがそのまま他人に害を及ぼしたり、法律で禁止されていたりする。この映画では、東山は異常性癖者の悪人であり、それを止めようとする女子高生たちが正義である。たしかに、勝手に人殺しにされる女子高生からしたらたまったものではないが、今作では『キャサリン』という、人を殺すためだけに存在している都合の良い人格が居る。
なぜ、ここまでお膳立てしておいて東山は女子高生に殺されることができなかったのか、いや、作者はなぜ殺してあげなかったのだろうか。もはや私にはわからない。ひとつ考えたのは、作者にも他人に言うのが憚られるような性癖を持っており、それに対して自己嫌悪しており、そんな性癖を持つものが幸せになってはならないという気持ちを持っていたのではないか?ということ。もっともこれは私の妄想でしかない。
この作品では女子高生に殺されたいということが、なぜダメなのかという具体的な答えは描かれなかった。「病気だから」「変態だから」という理由で人の性壁を否定しないでほしいな……。

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