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目標を持って生きるの怖い


昔は目標に向かって計画的に、逆算的に、積み上げ式で生きていくのを目指して頑張ったりしてたけど、
今はそもそもそうやって何か目標に向かって生きていくこととか、叶えたい夢とか、本当の自分の望むこととか、
そう言うのを明瞭にすること自体が恐怖になってる。

ぼやーっと、何となく、何に向かうわけでもなく、日々美味しい、たのしい、面白い、嬉しいみたいな小さな幸せを噛み締めて生きていられているから、もっと大きな夢みたいなものを持ってしまうと、今の幸せとのバランスが崩れそうで、、しかもそこまで今のところ強烈に望むものも無いし、って感じでフワフワとした日常を5年くらい過ごしてる。

整理して考えて、「あ、これ手に入れたい」みたいなものが、例えば転職しないと無理とか、田舎に移り住まないと無理とか、そういうことになったら面倒なんだよなぁ。だから探らないのかも、自分の心の深いところを。

学生の頃みたいに無邪気に夢を見たり、自分の心が望むものを深く深く追求したり、ノリで色んなものに手を出すようなこと、しなくなったなあ。。

でも別に出来なくなったと言うよりかは、これもある意味違う自分へ変化して、そう言う生き方しなくなったようにも感じる。この域に流れ着いた今の自分も好き。

でも、もし蓋している感覚があるなら少し覗いてみないといけない気がする。抑圧は良くない。我慢は良くない。

大きな何かを見つけてしまうかも知れないけれど、それはそれで、久しぶりに自分の心の中を覗いてみようかな。こうやって言葉を整理している間に、目標を持つ恐怖より好奇心が優ってきたから。

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