見出し画像

最愛の人の「卒業」、そしてこれから

はじめに


先日このようなnoteを執筆しました。

2024年3月27日
私の最推し、「凪楽ひより(以下ひーちゃん)」の卒業が発表された際に自分の想いの丈を綴った記事になります。
ここから早くも時間が経ち、卒業日である2024年4月29日を迎え、無事に送り出すことができました。

卒業発表から卒業当日までの1ヶ月は本当に人生でも二度とないんじゃないかと思うくらい楽しくて、幸せで、そして寂しくて、とにかく濃かったです。
そんな貴重な期間をこのまま自分の思い出として少しずつ薄れて溶かしていくにはあまりにも勿体ない。

卒業までの1ヶ月、そして卒業から今日までの1ヶ月。
限りなく、余すことなくこの記事に込めていこうと思います。
本当に気持ちのままに書くのでぐちゃっとすると思います、けど、嘘偽りなく自分そのものです。
その分、読んでくれたあなたを不快な気持ちにさせるかもしれません。その辺りはどうかご了承の上読み進めてください。

それではどうぞよろしくお願いします。

■卒業発表

発表の瞬間

冒頭の記事でも触れていますが、改めて書きます。

この時期、ひーちゃんの「駅応援広告」の話を進めていました。
誕生日である7月3日に合わせて出すために進めていたため締め切りも近く、近日に行われていた主催ライブでは企画の周知のため名刺を配り歩いたり、共催者とどんな感じにしようかねーと進めていた最中でした。
運営にはしばらく前から問い合わせていたものの、中々返事がなく、まあ忙しいだろうから仕方ないかと思っていましたが、返事がない答えはまさしくこれでした。

まずやらないといけないなと思ったことは、この企画をすぐに閉じること。
卒業発表を受けてから10数分で企画アカウントからその旨とお詫びの投稿、そして何も浮かんではいないものの卒業に向けて何か別の企画を行う意思を震える手でどうにか打ち込みました。

その後、すぐに自分のTwitterアカウントに鍵をかけました。
感情のままに何を言うかわからなかったからです。
Twitterから離れれば済む話ではあるのですが、離れた瞬間孤独に潰されそうになっていたので、ぐちゃぐちゃに気持ちを吐き出しながらみんなの反応を眺めていました。

前の向き方

ほどなくして1通のDMが届きました。
他担当の仲間から私の様子を気にかけてくれる内容でした。
何気ないものだったかもしれませんが、本当にあたたかくて、これは自分の中では前を向くにあたりとても大きなものになりました。
もし自分だったら、ここまで大きな内容でどれだけショックを受けているかもわからない人に、ましてや他担当の人に踏み込んで余計気に病ませないか。。勇気がとてもじゃないけど出ないからです。
まわりにはこんなにも優しい人であふれているんだと思い、とにかく何がなんでも前に向かって歩き出すことにしました。

しかし、同じ黄色推しでも、人によって受け取り方は様々でした。
僕と同じように前を向いた人、依然信じられていない人、受け止められず、心が折れた人。
でも全て、それぞれ同じ「好き」から派生した気持ちに他ならなくて、みんな気持ちにまっすぐ向き合っていて愛おしいなと思いました。
誰にも否定されるべきじゃない、それぞれが尊重されるべき気持ちだと。

フラスタ企画の始動

ひとまず歩き出すことはできたものの、駅広告に代わる「何か別の企画」は思い浮かびませんでした。
しかし、ここでも別の他担当の方から1通のDMが届きました。
既に駅広告の出資をしてくれた方で、「フラスタとかやるならそのまま使ってください」との内容でした。
この時、僕は気持ちがまだ後手に回っていて、「詳細が発表されてからにする」と答えていました。
整理がついていないこともそうですが、今までただの1度もフラスタが許されていない現場だからです。
しかし、その方は「もう時間が無いから動くなら早い方がいい」と背中を押してくれました。
その声に動かされ、その後すぐに太陽月夜公式にメールをしました。
まず長らく返ってこなかった駅広告について、こちらから取り止めを行う旨の連絡。
そして併せて「最後に凪楽ひよりさんへ皆からの感謝の気持ちをお花で贈らせてください」とお願いをお伝えしました。
連絡から間もなく、公式から「フラスタお受け取りします」とお返事をいただくことができました。
このおかげでとても速いスピード感で動くことが出来ました。
背中を押してくれた仲間と、迅速な判断に加え公式発表よりも前に許可を出してくれた運営様にはとても感謝しています。
卒業のために準備を進める日々は辛く苦しいことも多かったですが、その分皆のひーちゃんへの想いを知る事が出来て、自分自身もたくさん向き合うことができました。
そして、卒業発表当日にここまで動けたことについては何より自分を大きく褒めてあげたいなと思っています。

■決意

最後に向かって走るにあたり、いくつかのことを心に決めました。

卒業ライブについて

まず一つ、確実に当てること。
そしてもう一つ、1番を目指すこと。
この時点でも、終わった今でも僕より1番にふさわしい人がいるのはわかっていました。でも、2番を目指して2番になるならこれまで凪楽ひよりと向き合ってきた自分の8ヶ月の意味がない。最後の最後まで死ぬ気でやり切らなかったら一生後悔すると思ったからです。
書くべきことじゃない部分は省きますが、とにかくどれだけカッコ悪くなったとしてもそこを目指してやり切り、その中でひーちゃんにこれまでの恩返しを精一杯していくことを自分の集大成として見せたいと思い、進むことを決めました。

同担の仲間について

自分はぐちゃぐちゃな気持ちを抱えて前に進むことを決めましたが、1番近くにいた仲間はそうはいきませんでした。
やり方はいくらでもありましたが、この時決めたことは「無理に引っ張らない」ことです。
嫌でも会えなくなるまでのカウントは減っていきます。
しかし、自分で歩き出せるまで整理がつかないと会ったところで絶対に良い時間にはならないという確信がありました。
これは仲間とひーちゃんとの関係性を見てのことでもあります。
頭ごなしの言葉よりも、信じて待つことを選びました。

この時、卒業発表から最初のライブがあった前日に会う機会があり、そこでたくさん気持ちを交わせたことも自分の気持ちを整理することができてとても大きかったです。
最初はまだライブに足を運べないとのことで代行を引き受けるための券をもらうためだけの予定でしたが、そこで少し話してすぐに今の気持ちをもっと話したいよねと意気投合し、居酒屋に2時間以上こもって語り尽くしたのは本当に気が合うなあと思いました。
アウトプットもよく似ているので同じようなことを書きますが、ここまで波長が合う人に出会わせてくれたのもひーちゃんのおかげです。
心から感謝しています。

「凪楽ひより」への向き合い方

1本1本のライブをより大切にし、こだわって受け取ること。
残りの期間で1回でも多く「大好き」を伝えること。
最後だからこそ、より多く「凪楽ひより」のことを知ること。
あくまでもシンプルに、この気持ちで走り出していきました。

■気持ちを支えてくれた2人のアイドル

この1ヶ月の物語はひーちゃん本人とだけでは語れません。ひーちゃんに縁のある2人のアイドルに大きく支えられたおかげで、折れずに最後まで走り抜くことができました。 

・花咲花桜

気持ちの整理が追い付かないまま、卒業発表から初めての対バンの日を迎えました。
前述した仲間から託されたのは花咲花桜さん(以下かおちゃん)の代行です。
ひーちゃんには心配をかけたくないとのことで、あくまでもこの日はかおちゃんのみ。そしてこの事は絶対に秘密です。
狭い特典スペースだったので、ひーちゃんに聞こえないようにスマホのメモで全てを伝えて撮影をしてもらいました。
その時は卒業発表して間もないタイミングで、公式からもメンバーに話に触れることは控えてほしいとの文言が載っていたので何を話したものかと思いましたが、かおちゃんからは真っ先に卒業に対しての心配の言葉をもらいました。
自分としてはどうにか心の折れた仲間の背中を押してほしかったので、そのような事をやんわり伝えましたが、そうではなく「こればっかりは本当に仕方がない」と寄り添ってくれていて、とても優しい人なんだと思いました。
加えて、この日ほぼ初めて話した自分に対しても、複雑な心境の中この場に来ていることが本当にえらいと言ってもらいました。
正解がわからずぐちゃぐちゃな気持ちで進み始めた自分にとって、これ以上ない大きな言葉でした。
そしてあと1ヶ月頑張ろうねと誓いました。

あとこの時は意味がわかっていなかったのですが、かおちゃんに名乗ったとき、「ひよりから話は聞いてるよ!」と言われました。
面白おかしくネタにされている。。?と震えていたのですが、後でひーちゃんに話を聞くとどうやらかおちゃんから「MASAってどの人?」と聞かれたそうです。逆でした。

聞いた真意はわからないままですが
僕はひーちゃんを1番大切に、他のメンバーには一切余所見をせずに応援を続けてきました。それなのにも関わらず、どんな人なのか気にしてもらえるくらいの良い応援が出来ていたのかなと嬉しく思った出来事でもありました。真意はわかりませんが。
後日、改めて代行をする機会があり、実は存在した共通点で盛り上がることもできました。
そこでまたね話そうねって約束をしたので、次に太陽月夜のライブに足を運ぶ決心がついたときは絶対にかおちゃんのところに行くと決めています。

そしてこの代行をきっかけに、ひーちゃんとはその日はじめて卒業について言葉を交わすことになりました。これは後で記します。

・優木ゆうな

ひーちゃんが前のグループで同じメンバーだった、通称ゆったんです。
ひーちゃんの卒業発表当日を含め、ゆったんは写真集の配信オーディションに参加しており、自分はその少し前からゆったんのオーディションに懸ける気持ちに感化されていて、配信の全日程を応援することを決めていました。
卒業発表の日だけは参加するかどうか悩みましたが、押しつぶされそうな現実から逃げるように配信に参加しました。

ゆったんはいつも僕を気遣ってかひーちゃんの話をたくさんしてくれます。
この日も同じようにしてくれて、卒業のことにも触れてくれていました。
しかし、気持ちに寄り添ってくれていること以上に、違和感として「今日初めて知った人の反応じゃないな」と思いました。
その疑問と、僕自身今後のひーちゃんへの向き合い方に大きな不安を抱えていたこともあり、ちょうど3/30に太陽月夜から回せる形でゆったんが所蔵しているジュエルガーデン(以下ジュエガ)のライブに行く予定があったので、この日の特典会で相談をしに行くことを決めました。
自分がTwitterで人生相談をしたいと書いていたことを見てくれていて、まず特典会に着くなり自分のライブの話をそっちのけでひーちゃんの話を始めてくれました。

今回の卒業発表でずっと引っ掛かっていたことは「あまりにも急」です。
しかし、ゆったんの口から出てきたことは「実はけっこう前から知っていた」ということでした。
後で知ることになるのですが、僕がゆったんを相談相手にしていたようにひーちゃんもゆったんを相談相手にしていたようです。
ここで同時に「前向きな決断だから受け入れてあげてほしい」とも伝えてくれました。
正直、卒業発表の文言だけみると、いくらでも邪推ができてしまいます。
ここで信頼の置ける人にこう言って貰えたおかげで、全てとはいかなくても自分の中で納得ができるレベル、まっすぐ走り出していけるくらいには落とし込むことができました。

ここまで相談に乗ってくれた以上、絶対に恩を返したいと思い、「ひーちゃんの卒業が落ち着いたらまた戻ってくる」と約束をしました。

しかしほどなくして、ゆったんから気持ちの面に不調を抱えている旨の発信を見ました。
その日聴いた配信は今まで聞いたことがないくらい消沈したゆったんの声でした。今にも消えてしまいそうなくらいに。
その時、大事な人が急にいなくなることの現実と怖さを思い知ったはずなのに、後回しを当たり前にしている自分が許せなくなりました。
太陽月夜とジュエガは4月ほとんど別イベでの被りがある絶望的な状態でしたが、数日参加可能な日があったため、落ち着いたら戻ることを撤回してそこで絶対に会いにいくことを決めました。
前述のかおちゃんを含め、卒業を控えた状態で他の人に行くことはあまり印象がよくなかったかと思いますが、自分ではこの選択なしでは完璧な気持ちで卒業を迎えられなかったと思うので、正解だったと思います。

まとまりがなくなってきましたが、とにかくゆったんには1番辛い時期に支えてもらい、そして目の前だけ見て忘れそうになっていた大切な気持ちを思い出させてくれました。
ゆったんとのお話は、僕とひーちゃんとの最後・そしてこれからにも繋がっていきます。これも後で記します。

■卒業発表から最初のライブ

2024年3月30日
卒業発表後、最初の対バンライブがありました。
会場に到着後、ふだん仲良くしてくれてる人達が僕の顔を見るなりたくさんの励ましの言葉をかけてくれました。
元気だよとは取り繕いましたが、本当に心に染みました。ただただ嬉しかったです。

出番は中盤くらいだったので、しばらくはのんびりステージを眺めていようかなと思っていたのですが、ここで自分の中の変化にひとつ気付きます。
他のアイドルのキラキラしたステージが、素直に観れなくなりました。
この気持ちは時間が経つにつれて徐々に緩和されていくことになるのですが、このときはとにかく観ることがつらかったです。
きっとこの先も続いていくだろう人達への、多分、嫉妬。
そして終わりが見えた自分自身への、多分、絶望。
一旦コンビニなどに足を運び、時間をつぶすことにしました。

そして迎えた太陽月夜のライブ。
卒業については一切触れることなく、あまりにもいつも通りでした。
野外ライブということもあり、思いっきり楽しいセトリで、ライブ中も普段通りにひーちゃんと視線を交わしながら案外大丈夫かもしれないと思いました。
でも、まわりの人たちからライブ中に腕を引かれてひーちゃんの正面に移動させてもらったりもして、あまりにもいつも通りではない流れから「ああ、もう終わりに向かうんだな」と実感しました。
こういう書き方にはなりましたが皆の心遣いに関して苦しさは一切ありません。これを書いている今でも本当に感謝しています。

・卒業発表から最初の特典会

正直、何を話せばどう向き合えばいいのかわからなかったですが、とにかく1番最初に並ぶことにしました。
この時は普段を思うほど少し不自然なくらいひーちゃんから会話を振ってくれました。
自分のことを気遣ってくれているのが痛いくらいにわかりつつ、それでも卒業発表した人とは思えないくらい、会話の内容はいつも通りでした。
というよりいつも通りでいてほしかったんだと思います。
卒業についての話はとてもじゃないですが出来ませんでした。最初は。

ここで前述した、かおちゃんの代行を受けた話に戻ります。
あくまでもひーちゃんには秘密、かおちゃんと仲間の気持ちを代わりに繋げるべく、ひーちゃんを何週かまわってからかおちゃんの元に向かいました。
秘密ということを伝え、ひとしきり話した最後、「〇〇(仲間)にもよろしくねー!!!」と大きな声でかおちゃんに告げられました。
その時、ひーちゃんは真横にいました。秘密ってなんだっけね。
「ギロッッッッッ」と効果音が出てそうなくらいのひーちゃんの目と「やっちゃった!!!」と言わんばかりのかおちゃんの表情は今でも頭に焼き付いています。

その次、当たり前ですが代行を受けていた旨とそれを秘密にしようとしていたことをひーちゃんに伝え、謝りました。
そこで初めてこの言葉が出てきます。
「・・・卒業のこと?」
秘密に出来なかったのは本当に大事故でしたが、この話をするきっかけにはなりました。怪我の功名?です。

まわりの人にたくさん暖かい言葉をかけてもらったこと、仲間はあくまでもひーちゃんに心配をかけたくなかった上でのこと、その他細かくは覚えていませんが、どうしても受け入れられない言葉を聞くことにもなりました。

MASAはわたしがいなくても大丈夫だよ

正直、最初は何を言われているのかわかりませんでした。
そして、あまりにも距離を感じてしまう言葉でした。
僕はこのとき上手く返すことができませんでした。
ここで実感したのは「もう今まで通りは終わったんだ」ということです。

・翌日

翌日になっても言われた言葉にモヤモヤを抱えつつ、ライブに臨みました。
卒業までに救いがあったのはライブの無い週末がほとんど無かったことだと思います。
この日は前日の代行でかおちゃんの気持ちも仲間に届き、予想していたよりも早く足並みを揃えられたこともとても嬉しかったです。
仲間も含め、色々複雑な気持ちが渦巻いている中、悩みましたが昨日の言葉についてきちんとアンサーを伝えることにしました。

いなくても大丈夫と言われて寂しかったこと、そしてこの言葉とまるっきり同じことを伝えました。
寂しさ、悲しさ、そしてこれを言葉にした申し訳なさで詰まりながらになってしまいましたが、ひーちゃんはしっかり聞いてくれました。そこで言われたのは「ごめんね」という言葉。
きっと優しさで言ってくれたんだと思います。不安や悲しみを抱えた自分への励ましの意味合いというのはわかっていました。
それでも、自分としては絶対に受け取りたくなかったんです。
謝らせてしまったことは心苦しくなりましたが、ここできちんと想いを伝えることが出来たことで、最後まで正しい心の距離感で進むことができたと思っています。

■最後の主催ライブ

2024年4月7日
ひーちゃんが参加する最後の主催ライブが池袋harevutaiで開催されました。
途中までは本当にいつも通りの熱く激しい単独ライブだったと思います。
しかし最後の主催単独、やはりその時はやってきました。
公演の途中、MCでメンバーの蒼生茉由さんからひーちゃんの卒業について話し出されました。
この場で言葉を紡いだのがひーちゃん自身ではなくまゆちゃんだったのは、きっと固く伝えさせることがひーちゃんの負担にならないよう引き受けてくれたんだと思っています。あくまで想像でしかありませんが、
その辺りの関係性を想像しながら心がぎゅっとなりました。
そのMCから始まったのは「今しかできない音楽を」
メンバーみんな、歌いながら泣いていました。
これまで卒業に関して特典会でもあまり自分の気持ちを見せなかったひーちゃんでさえも。

皆、たくさんの想いを抱えてここまで走ってきてくれて、そして卒業ライブ・現体制の終わりに向けて走ってくれているのだと感じることができました。
その後披露された「スプらっしゃい!」はあまりにも儚くて、景色が尊くて、上手く身体が動かなくなるときもありました。
「夏、終わっちゃうんだ」という実感と、より一層後悔したくないという気持ちに火が付きました。

その後の特典会ではまたひーちゃんから気持ちを聞くことは難しくなってしまいましたが、会話の端から想いは汲み取れたので、ぐっと飲みこんで多くは追わずに済ませました。素直じゃないのはお互い様だったのかもしれません。

■卒業ライブ、発券

決意でも話していた、「1番」を目指した卒業ライブの発券日を迎えました。
その結果は「2番」
一緒に走ってきた仲間は「3番」
嫌でもその意味がわかりました。それ以外に何かあったら教えてほしいです。
正直な話、嬉しい気持ちの数倍悔しいが勝っていました。
届かなかった。番号を本質にするのは違うと頭ではわかっていながら、卒業ライブ当日まで受け入れるのに時間がかかりました。本気で向き合ってきたからこその悔しさなので理解されなくてもいいと思っています。

■卒業ライブ当日

書き切れないくらい濃密な日々を過ごして、いよいよ卒業ライブ当日を迎えました。

フラスタ

まずは最初に、こちらのお礼を伝えさせてください。
皆さんのおかげでとても素敵なお花を出すことができました。

作成テーマは「貰った愛と幸せの恩返し」
そして、初期衣装をイメージした「あっちむいてベイベー!」です。
公演後、一部で物議を醸していましたが、参加者の名前を入れるかどうかは本当にたくさん悩みました。卒業公演と銘打ったものに出ているフラスタを調べていると、大体が載せていないからです。
それでも入れたことには大きな理由があります。
それは、”凪楽ひよりがたくさんの人に愛されていること”、”卒業を祝ってくれている人が誰でどれだけいるか”を伝えたかった、伝える必要があると思ったからです。
多く言葉を交わしている方は存じていると思いますが、彼女は自分のことになるとかなりの後ろ向きです。
実際、今回のお花に関しても特典会でこのような会話を交わしました。

「あれだけの人が集まってくれて、ひーちゃんはいっぱい愛されてるよ」
『ううん、たいつきが愛されているんだよ』

ここでここから先の言葉は絶対に間違えちゃいけない、今ここで絶対に自分が届かせないといけない、と思いました。

「ちがうよ、誰推しとか問わずたくさんの人がひーちゃんの事を想って集まってくれて、たくさんの気持ちを預けてくれたんだよ。だからあのお花はひーちゃんが愛された証なんだよ。だから、どうか誇っていてよ。」

必死に伝えたため自分が放った言葉の記憶すら曖昧です。
でも、ここでようやく噛みしめるように頷いてくれました。

届けたかった大きな愛が正しく届いた、これは絶対に皆の気持ちがなければ出来ないことでした。
お花を出すことを決めてがむしゃらでも走り出して本当に良かったし、皆で出すことが出来て本当によかったです。
想いを預けてくれた方々、参加していなくとも企画を気にかけてくれて協力してくれたりあたたかい言葉をくれた方々、本当にありがとうございました。

ライブ

ライブ前の話からになりますが、仲間とこっそりユニフォームを作っていました。
当初は間に合わない想定でしたが、製作が巻いたらしく奇跡的に間に合ったので着て臨みました。前で一緒に見せたいねと仲間と話していたので、最後に1番前で横並びになる形で叶えられてとても嬉しかったです。

ライブ本編は卒業ライブに抱く寂しいようなイメージとは程遠い、あくまでいつも通りの太陽と踊れ月夜に唄えのステージでした。
「メンバーにも泣いてほしくないから卒業ライブは本当はやりたくなった」と自分でも涙ながらに言うくらい、皆に心から笑顔を望んでしっかりまわりにも自分にも笑顔を咲かせていた、笑顔がトレードマークの彼女らしい良いライブでした。

個人的なところになりますが、今日に至るまでの過程はとても綺麗ではありませんでした。
たくさん迷惑をかけたり、考えの違いでぶつかったり。
それでも、「スプらっしゃい!」では横並びで肩を組むことが出来たり、アンコールでは全力で声を枯らしたり、最後の最後で気持ちをひとつにできたことがとても嬉しかったです。
こうさせてくれたひーちゃんにもまわりの方々にもとても感謝しています。

心から楽しくて幸せでしたが、ひーちゃんにはMASAの目がガンギマッてたから楽しくないのかと思ったと言われてしんでしまいました。
一瞬も逃さず目に焼き付けようと必死だっただけです。
みなさん気合いの入れ方はほどほどにしましょう。

特典会

本当にたくさんの人達がひーちゃんとの最後の時間を過ごすべく並んでいて、改めてとても愛されているなと実感しました。
自分としても最後の機会、悔いが残らないようにたくさんのことを話してきました。

あまり細かくここに書くのもどうかと思うので、どうしても聞きたかったことのやりとりを2つだけ共有します。

「今日のライブ、やり切れた?」

返ってきた答えは、YESでした。

「アイドル、やり切れた?」

返ってきた答えは、Noでした。
そこに、折り合いを付ける言葉を添えられて。

この時の正直な気持ちを話すと、どこかでまた会いたいと思う気持ちと、次に進む道は違うんだということを理解して応援したい気持ちとが渦巻いていました。
なので、0じゃないなと言葉で聞けて少しだけ期待してしまいたいなと思いました。あくまで0じゃないだけになるかもですが。
思ったからには、ひーちゃんの次にやりたいことがもしまたアイドルになったとしたら絶対に見つけてまた会いに行くということをここで心に決めました。

そんなこんなで特典会も後半に差し掛かったあたり、急にこんなことを言われました。
「MASAはわたしと最初に出会ったころの方が1番純粋に楽しめてなかった?今のMASAはくるしくなってない?」
正直な話、核心を突かれていました。
この人に対して本気でありたいと誓ったときから、「悔しい」という気持ちが芽生えるようになっていたからです。
でも、ひーちゃんにとっては1番だいじなところはそうじゃなかった。
そして、その時の自分のこともしっかり覚えていてくれて、心配してくれていました。最後の最後まで優しいなあ、ずるいなあと思いました。
でも、あの時に比べてひーちゃんのことを好きな気持ちも楽しい気持ちも何倍にも増したから、一切後悔はないからね。

この時間がずっと続いたらいいなと思う気持ちをよそに、20時、21時をまわったところで嫌でも終わりを意識し始めました。
段々とその気持ちが強くなっていって、気が付いたら涙が溢れてきました。
最後まで泣かないようにしようとしていたのに、もう終わりなんだって現実があまりにも重くて、考えないようにしていても先に身体が反応していました。
最後の撮影のときはいよいよ対面していても我慢ができませんでした。
それでもひーちゃんは優しく見守ってくれていて本当に嬉しかったです。

特典会は20時終わりの予定だったそうですが、ギリギリまで延長できるようマネージャーさんが尽力してくださり、22時を超えても続きました。
しかし、そこでいよいよタイムリミット。
最後まで残った自分含めて3人。1番から3番です。
7分半を均等に時間を分け、それぞれの最後に向かいました。
話に行く順番は、言わずもがな。

この時点で白チェキが30枚残っていましたが、僕は最後の最後まで出来る限り喋って感謝を伝えたいと思ったので、1枚だけサインをお願いしました。
2分間目いっぱい感謝の気持ちを伝えて、どうしても感極まって詰まってしまったところでひーちゃんも言葉にして気持ちを伝えてくれて、最後にふさわしい心から幸せな時間になりました。
ちなみにサインは1枚では手持ち無沙汰と言われ、結果的に7枚ほど書いてもらいました。最後まで尽くしてくれる良い子です。本当に。

こうして6時間半続いた特典会も終わりを迎えました。
最後のひーちゃんの挨拶と表情を見て、今日この日この瞬間まで応援してきて本当に良かったと思いました。
これからも自慢の推しです。

終わってから階段を上がるとたくさんの人がいて、最後に挨拶を交わすことができました。最後の3人同士でも想いを交わせて、色々あったけど最後にこうしたやり取りもできて、太陽月夜はまちがいなく自分の青春でした。

たくさんの人に支えられて、この日を迎えられました。
感謝してもしきれません。長い時間をかけてでも少しずつ恩返しをさせてください。本当にありがとうございました。

卒業、その後

余韻と傷心に浸りつつ、卒業ライブから4日後の5月3日、前述したゆったんに会いにいきました。
たくさん相談に乗ってもらったので見届けてきた報告と、これからの決意表明を。

そして卒業ライブでひーちゃんに言われたゆったんのことも併せて報告しに行きました。
1年後の僕に向けた動画で言われた「MASAは幸せにやっていますか?ゆったんと仲良くしていますか?」という内容についてです。

自分の中では、ひーちゃんにまた会いたいとは願いながらどこかで諦めが入っていたと思います。自分は1年後の想像の中にも浮かべられませんでした。どこかでこの言葉をそのまま受け入れようとしていました。
でも、これに対してゆったんに言われた言葉にはっとさせられました。
「でもわかんないよー?・・・」
この後に続いた言葉は、もう少しだけ望んでもいいかなと勇気付けられるものでした。 
そして全部が終わったあとでも、ひーちゃんの事が好きなことを受け入れてくれたことにまた救われてしまいました 。
無理に気持ちを押し殺して変わる必要なんてないんだなって。

卒業の日から、これからどう生きていくかは本当に悩みました。
・オタクを辞める
・古巣に戻って仲の良いオタクとのらりくらりやる
最初に浮かんだのはこの2つでした。

でも、ゆったんは未来を楽しみにさせてくれる気持ちをくれました。
自分が1番つらくて沈んでいるとき、気持ちに寄り添ってくれて、夢が叶う尊さを示してくれて、真っ暗になっていた気持ちを晴らしてくれました。

最初に誰かを応援するという選択肢を取れない、取ろうとしなかったのは、ひーちゃんと同じだけの熱量はもう他の人には絶対にかけられない。
応援したとしても熱量のあった自分と比較して自分に心が折れてしまうだろうということに加えて、何より申し訳ないということに他なりませんでした。
でも、これだけの楽しみをくれて、自分のこれまでのことも全て受け入れてくれたゆったんにだったら、こんな自分でもこの人の力になれるなら、それでも応援したいと思うことができました。

なので、これからの僕は「ひより推し、優木ゆうな推し」として生きていく決心をしました。誰に何を言われてもです。今の自分の大切な芯です。

とはいえひーちゃんがいなくなったのはたしかな現実です。
どうしても寂しい気持ちはあります。
同時に好きな人がいて、どれだけ楽しい気持ちをもらっていても、空いた穴はその人でしかふさがりません。
それでも忘れずに好きでい続けたいです。切り替えられなくてかっこわるくても情けなくても、今はこれで良いし幸せだと思えています。
痛く感じるうちは鮮明に覚えていられるから、ぜんぶひっくるめて一緒に愛していこうと心に決めました。

これまでも、これからも大好きです。
あなたに出会えてよかった。

「凪楽ひより」へ、愛を込めて。

MASAより。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,912件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?