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蓮實重彦「伯爵夫人」

蓮實重彦「伯爵夫人」読了。手元にありながら久しく読むことなく済ませていた。

改めて読み始めると久々に読書の楽しみ、ページをめくるのがもどかしく覚えてくるわくわく感を感じながら一気に読了。

この高揚感はいくつかの原因がある。

一つは間違いなくその猥雑さである。卑猥な言葉がポンポンと機関銃のように飛び交い、しかも毅然として使われ実に小気味よい。単に猥雑な言葉にとどまってはいない。言葉を律する峻烈な精神が通底していて、安逸な雰囲気になるのを許してはくれない。

居住まいを正して読む猥本とでも言おうか。


そして昭和初期の香り立つようでいて危険な匂い。色、匂いが薄っぺらな現代とは違い多層的で奥深い。着物の色彩、落ち葉や自然の色どり、これらを表す言葉がたとえようもなく豊富にある。そして匂い、軍服の黴臭い匂いまでも何やら奥ゆかしい。伯爵夫人が身に着ける香水、それは夫人の体臭を含みながら決して現代にはない匂いだろう。

それらを表す言葉の目くるめくような豊富さ。

代赭色、臙脂色、蓬等々。瀟洒・・・絢爛たる言葉。辞書を引き、色彩辞典を調べるのが楽しくなる。昔の日本人は色彩一つとっても微妙な差異を認識してそれを言語化する能力を持っていたのだ。

聖林(ハリウッド)、倫敦(ロンドン)、伯林(ベルリン)、巴丁巴丁(バーデンバーデン)等の独特の雰囲気を持った欧州の都市。通常ならペダンチックな嫌味に感じる使い方がこの小説の中ではまぎれもなく漢字表記でなくてはならない。


この小説全編に重く流れているのは戦争の匂い。至る所に戦争に突入する寸前の雑然とした雰囲気、それでいて祝祭的な気分に溢れている。

満州での無謀な渡河を強いられ、脱出に成功するも敵前逃亡の罪で自決を迫られる中尉、それを強いた大佐と伯爵夫人の息詰まるような逢瀬。そこかしこに死がプンプン漂っている。

血の匂い、精液の匂い、汗、白粉、香水、火薬、軍服、古めかしい館の黴・・・それらが入り交じり、目の前に匂い立ってくる。

伯爵夫人は言うまでもなく女性たちが全員一癖も二癖もあり、魅力的だ。ぺちゃんこの胸にルイーズ・ブルックス張りのボブカットでおませな生意気を言う蓬子、二郎の一物を講釈をたれながらもてあそぶ女中たち、ホテルの男装の召使、すべて性に限りなく大らかでしかも放逸ではなくむしろ毅然としている。


こののっぺりした現代に比べ、懐かしいような、ひりひりするような魅惑的なひと時を味わうことができた。

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