南へと向かう旅路①東京→豊橋

「年越し前に2日分しか使っていなかった青春18きっぷをどうしようか?」これがこの旅の発端である。色々時刻表と天気予報を見ながら考えた結果、ひとまず新宮へ行くことにした。考えたくせに新宮までの乗り継ぎと宿以外は何も決まらぬまま、1月7日の早朝に家を出る…はずだった。

寝坊

目覚ましから遅れることn時間。目が醒めてすぐに時計を見た瞬間、慌てることさえ通り越して、悟った。乗ろうとした電車にはどう足掻いても間に合わない、と。
もっとも、多少遅れても新宮には到達できるのだが、新宮はおろか紀勢本線に辿り着いた時点で日の入り後になる。暗闇の中、数時間列車に乗るのはしんどいなどと寝坊したくせに抜かしながらひとまず朝飯を食いながら考えた結果、小田原まで新幹線に乗ることにした。これで本来乗る予定の列車に追いつくどころかさらに1本前の列車に乗れそうだ。豊橋や名古屋までの乗り継ぎも良さげな上の余裕も予想以上に出てくるので、どこかで昼飯もゆっくり食えそうだ。これこそ、怪我の功名だな、と開き直った。

予想外は続く

東京駅から6時57分発のこだまに乗る。小田原まで数十分なので自由席で十分だろう。この時間に新幹線自由席に乗ることもあまり無いので、どこまで混むかはあまり予想出来ていなかったが、車内はガラガラ、席は選び放題であった。三連休初日とはいえど、さすがにまだ早い時間だったか。そもそもこだまは自由席が大量にあるのも大きいだろうけど。

東海道新幹線自体は何度も乗っているので今更感慨も何もあったものではない。それでも、車窓から富士山が顔を覗かせると見入ってしまうものである。そして、富士山が見えるということは小田原はもうすぐそこである。
酒匂川を渡り、小田原に着くというアナウンスが入ったのでデッキに向かおうとした時に車内の電光掲示板で遅延情報が流れていたのがチラッと視界に入った。普段なら大して気にも留めないのだが、この日は何か嫌な予感がした。デッキでスマホを開いて、少々遅い通信にもたつきながらも調べてみると、東海道線が沼津のあたりで運転見合わせと出てくるではないか!これは参った。これから通るところじゃねえかと。思わず、静岡あたりまで新幹線に乗ればよかったと思ってしまう。ただ、切符は小田原までである。慌てても仕方はない。財布にまだ少し余裕はあるので困ったらまた新幹線の切符を買えばいい。とりあえず、降りよう。そう自分に言い聞かせていたら、新幹線のドアが開き、冷たい空気が流れてきた。

小田原から乗る東海道線は時間通りに来た。そこそこ混んでいたので、熱海まで立っていることとする。この時点でまだ熱海から先は止まっているという。どうやら沼津と三島の間の複数の踏切で非常ベルが鳴らされたというのだ。訳がわからない。一箇所ならいざ知らず、わずかな間に複数箇所鳴らされるのは滅多に聞く話ではない。いずれにせよ、朝からうまく物事が進まないことに失笑してしまう。半分は自分が悪いのだが。

(注)沼津の踏切の件は警察が捜査しているようだが続報は見当たらない。イタズラなのか、違うのか。謎が残る。


真鶴を出たあたりから、電車のスピードが明らかに遅くなる。それでもカメが歩くようなペースで進んでいくが、ついに止まった。沼津の踏切の件で電車が詰まっているようだ。車内放送で「複数の踏切で非常停止ボタンが使われた」と流れて少しざわつく。幸い、もう間もなく運転を再開するとのことだった。

電車が動き出す。時計を見る限り、止まっていたのは数分だろうけど、駅と駅の間で止まった時の数分は十分くらいには感じる。先ほどまでとは打って変わっていつも通りのスピードで熱海へと走り始めた。

東海道を駆け抜ける 立ちながら

熱海で乗り継ぐ電車は今乗っている電車がつくホームの隣から出るという。そのため、階段を使って移動する。15両編成から一気に人が吐き出されて階段にやってくるので、随分な混みっぷりになるがこれは電車の遅れに関係なくいつもの熱海駅の景色だろう。
乗り換え先のホームに着くが、乗車位置の列が一気に伸びるばかりで電車の姿はない。ひっきりなしに流れる構内放送によると、数十分遅れだという。スマートフォンで電車の位置情報を確認すると、一番熱海に近いところを走る上り電車でも走行位置は三島である。三島から熱海まで途中一駅挟むだけとはいえど、距離があるので20分はかかるだろう。まだまだ時間はありそうだが待合スペースもさしてない駅なので、冬の空気にさらされながら待つよりほかはない。
待っている間に1本後の東京からの電車がやってきた。なんのために新幹線に乗ったんだか、と一瞬思ったがそもそも寝坊しているので新幹線に乗らないとこの電車にも乗れていない。

そろそろ芯から冷えてきそうだ、と思い始めたあたりで待ち望んだ電車がようやくトンネルの向こうからやってきた。静岡では大変よく見かける211系である。20分ほど並んでいた甲斐あって、何とか座ることができた。6両編成の電車は通勤ラッシュ並みの混雑になる。ただでさえ着ぶくれする季節な上に18きっぷのシーズンだからか荷物が多い人も多く、なおさら混みあっている。私の荷物はリュックサック1つだが、中身はパンパンなので人のことはあまり言えない。

相変わらず携帯電話の電波が通じない丹那トンネルを抜け、何事もなかったかのように三島と沼津の間も電車は走り抜ける。沼津の1番線に電車がつくと、反対側にも電車が止まっていた。扉が開く前に窓越しで2番線の電車を先に行かせるというアナウンスが聞こえる。普段はどんくさい人間がこの時ばかりは俊敏に立ち上がる。

混んでいる電車から、当然のごとく混みあっている電車に乗り換える。同じ行動をとる人が何人もいるので、もっと混みあう。そんな中でもなんとかつり革には掴まることができた。なお、この電車は豊橋行き。長い旅路を立ちながら過ごすこととなった。

沼津から富士に抜けていくあたりは東海道本線の中でも一番富士山の近くを走るところである。とりわけ、冬場はその姿をはっきりと車窓から拝むことができることが多く、冠雪も併せていい季節といえよう。この日もはっきりとその姿を乗客に見せつけていた。
混雑する電車で立ちながら富士山を見ることができたということは、この先の薩埵峠付近ではひたすら山肌を見ることになる。背中に目があれば東名越しに駿河湾が見えているでしょうけど、私の視野にはひたすら緑と茶色と灰色が入ってくるだけであった。

本はカバンの奥底に沈めてしまったので、車窓を見るくらいしかやることはないのだが、スマホをちらっと見てみるとセントレアでジェットスター機が緊急着陸したとのニュースが入って来ていた。何事かと思って読み進めると、どうやら爆破予告があったようだ。沼津の踏切の件と言い、「なにがどうなってるんだ」と言いたくなる出来事が続いた朝だったようだ。

静岡、焼津、藤枝と走り、車窓は徐々に丘陵地帯の景色に移り変わる。島田を出た先で大井川を渡るが一面礫だらけである。上流の南アルプスは当然雪の季節だが、とは言えどといったところだ。この川の水利用と水量の問題は長い歴史の中で徐々に解決しているとはいうが、未だ「越すに越せぬ大井川」には戻り切れていないのだろう。この川は昨今、知事の言動も相まって大きな問題となっている件の舞台でもあるが、現状とそもそもの懸念事項は決して無茶苦茶なことを言っているのではないということは留意すべきだろう。

磐田のあたりまで来るともうすっかり住宅地の景色である。ここで車内放送が入る。なんと、豊橋まで行くのは前3両だけだというじゃないか!今、私が乗っているのは最後尾。つまり、浜松止まりである。豊橋まで行くには浜松で車両の移動する必要が出てきたのだ。すっかり豊橋まで乗り換えなしのつもりだったので思わず苦笑い、そして脱力する。そうしているうちに電車は天竜川を渡っていた。

浜松駅に着いてみると、電車を待つ人の列は最後尾車両まである。豊橋まで行かん車両のはずだがな、と思う。ドアが開き、立ち客も多い車内にいた人全てとこれから乗る人が交錯して混みあうホームをひたすら前に進む。ホームには興津行の乗客はまだ乗らないでほしいという放送が流れる。なるほど、後ろ3両はこのまま静岡方面へと折り返していくのか。
階段脇をすり抜けた先の前3両は未だに混みあっている。何とかすいている車両を見つけようと前まで進むも大して変わらなかったので、先頭車両に乗り込む。浜松から豊橋までは30分強、ラストスパートである。混雑のど真ん中に入ってしまい車窓もろくに見えないので、radikoでラジオを聴くこととした。「ながら」で楽しめる音声メディアは腕や目線を自由に動かしづらい時にはやたらとありがたい。

11時半過ぎに豊橋駅につく。人の流れは隣のホームにいる大垣行きへとむかっていくが、私はここで昼食とすべく流れから外れていく。ここまで予定通りに入ってないとは言えど、この1本後の列車でも名古屋での乗り換えは問題ない。ただ、豊橋か名古屋で空く20分程度の間に昼食と飲み物の調達をしないといけないのだ。名古屋から新宮までの乗り継ぎが結構良い裏返しで、ちょっとでもこの先の列車が遅れると自動販売機で何かを買う時間さえ怪しいのである。寝坊する前の元々の予定でも昼食は20分程度の予定だったが、怪我の功名とか言っていたゆとりは見事に吹っ飛んだ形である。

そして、何よりも腹が減った。

(続く)


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