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寒さ対策-万全です 縄文の竪穴住居

数年前に自宅の窓を複層ガラスにしました。
その効果は抜群で、冬の寒さはもちろん夏の暑さもが随分やわらぎました。
毎冬悩まされていた結露もしなくなり、窓まわりはいつも綺麗で快適そのものです。

ちょうどダウンコートのように、ガラスとガラスの間に空間(中空層)があることで、冷たい外の空気が家の中へ入りにくく、逆に家の中であたためた空気も逃げにくいことから、あたたかさが保てるのですね。

一戸建ての住宅は寒い、と言われますが、壁に断熱材を入れて熱の出入りを遮断しても、開口部(窓、玄関、換気口など)からどんどん熱が逃げてしまいます。
中でも窓から逃がしてしまう室内の熱の割合は、全体のうち40%と言われています。窓が大きければ大きいほど、数が多いほど、いくら部屋を暖めても逃してしまいます。
また夏の日差しの熱は、全体の70%が窓から入ってくると言われています。これでは冷蔵庫を開けっぱなしにしているのと同じで、エアコンをフル回転させてもいたちごっこです。
このように室温を保つためには、窓がポイントとなっています。

さて、縄文時代はというと、
縄文文化が繁栄した中期頃は、温暖化の影響で平均気温は今よりも2,3度ぐらい高く、比較的過ごしやすかった時代でした。
とは言っても、四季があることには変わりなく、冬の寒さや夏の暑さは今とさほど変わらないはずです。

樹木の生い茂る縄文時代は、暑さは木陰で過ごすといったことでも凌げたと思われますが、冬の寒さは時には命にもかかわる問題です。
衣服はと言えば、冬は麻の服を重ね着して更に動物の毛皮。そこそこ暖かそうですね。

では住まいの寒さ対策はどうしていたのでしょうか?
竪穴式住居を見てみると、

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そのフォルムはまるでテントですね。
見てのとおり、家全体がほぼ屋根。
開口部は、南側に作られることが多かった出入口と、屋根にある煙の出口だけ。

家のつくりは、地面を掘り下げ半地下をつくり、木の柱を4~7本たて、そこへ木の枝などで骨組みを作り、草木で覆う‥場合によってはその上に土を載せるというもの。
今で言う〝小屋〟のような簡単な作りです。

壁はなかったり、あっても僅かで、屋根がそのまま地面に延びている感じです。
壁がほとんど見られないのは、おそらくその分使う木材が少なくてすむからと思われます。金属のない時代の事、柱になる木を石斧で切り出すのはそれは大変な作業でした。
その結果、屋根だけになったのですが、これが熱を逃さないすばらしい効果を生みました。

出入口を最小限にして大きな屋根で全体を覆うことで、室内の温度を保つことができたのです。

さらに半地下にも秘密があります。
地面を掘り下げた半地下にすると、一年を通じてほぼ15度から20度で一定の室温を保てるのです。
家の床下収納庫に、梅酒や漬物樽などの保存したりしますよね。またヨーロッパの古い邸宅の地下にワインセラーがあるのを映画などでも見たこともあるのではないでしょうか。ちょっとヒンヤリするそのイメージです。

掘り下げれば掘り下げるほど、温度が一定に保てるので、北海道など寒い地域では、人の背丈ほども掘り込んだものもあります。
特に真夏の昼間は外気温より10℃くらい低くなり、暑さをしのぐにはもってこいの環境となります

さらに、冬には炉の火は一晩中炊いていたようです。
もちろん暖かさを保つためや調理、保存食を確保しておくためにも必要でしたが、竪穴住居を構成する柱などの防虫、防腐対策にも大いに役立っていました。

木や草で全体を覆われた住居の内部は、そのままだと湿度が90パーセント以上にもなるそうです。
炉で火を焚くと、湿度が60から70パーセントまで下がり、その煙は、木に虫がついたりカビの発生を食い止める「くんじょう」効果を持っています。

火を食べものの煮炊きに使うだけでなく、照明や暖房、さらに住宅を快適に保つといった役割も知っていたのですね。

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この時代には竪穴式住居の他に、
床を掘り下げず地面に直接穴を掘って柱を建てた「掘立柱」の建物、
木材で骨組みし樹皮をかぶせただけの「樹皮葺き」の建物などもありました。
その中でも竪穴住居は、縄文時代から平安時代までの長い間、庶民の間で最も一般的に使用されていた構造でした。
長い年月使われていたことは、身近にある木で簡単に作れるうえ、快適な住生活がおくれることを意味しています。

縄文時代はこのように住まいが温かく快適であったことで、健やかな生活を送り、その中で土器や土偶などを作る意欲や余裕が生まれたとも言えるのかもしれません。

冬本番を迎える今、何がなくとも〝あたたかい〟が一番。いつの世も変わりないようです。

最後まで読んでいただき有難うございました☆彡


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