縄文時代も草花を愛でいた⁉
古代の遺物からインスピレーションを受け、多くの作家がその造形を追求してきました。
前衛的な試みと古典に根ざした造形で知られる陶芸家・宇野三吾の作品もそんな一つです。
土偶とハニワの「花器」。古の人形は、新しくもどこか安らぎを与えてくれるように感じられます。
土偶形には野に咲く小さな花々、ハニワ形には背丈の高い枝もの…等々、そこに彩りを加えるには何が相応しいでしょうか。
さて、実際の縄文時代の土偶にも「花器」になりそうなものがあります。
例えばこの遮光器土偶。ひときわ高く盛られた王冠のような頭の中は空洞になっています。
遮光器土偶は今から約3000年前に東北地方で誕生しました。そのころは中身が詰まっている小さな土偶でした。
やがて中が空洞で大型のものが多く作られるようになりました。
大きい土偶を作ろうとすると、大量の粘土が必要になり、とても重く、焼き上げる際にもムラができて割れやすくなります。このようなことから、空洞になったと考えられています。
こちらは植木鉢になりそうな、土器のような円形の頭をしています。
ところで縄文時代にはどんな草花が咲いていたのでしょうか。
土器に埋め込まれた種の痕から、マメ類(ダイズやアズキ)やシソ属(エゴマ)などが身近にあったことが分かっています。
また博物館で再現された縄文時代の植物をみると、イヌツゲ、エビネ、ホウチャクソウ、ヒガンバナ…などがあり、季節ごとに色とりどりの可憐な花々が咲いていたと想像できるようです。
大自然の中で縄文人たちの五感は研ぎ澄まされ、私たちよりもずっと小さな変化に敏感に反応したことでしょう。
草原の淡い草花を見つけたら、こんな風に土偶の花瓶に生けたでしょうか?
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