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縄文時代の「木組遺構」とは|栃木県「寺野東遺跡」

広々とした芝生公園のような遺跡は、栃木県小山市の「寺野東てらのひがし遺跡」。縄文時代中期から約2000年以上続いたムラの跡です。
ここに木組遺構きぐみいこうと呼ばれる、縄文人が木材で作った施設が残されています。

先ずは遺跡全体を見てみましょう。
東西に細長い土地に、環状盛土遺構かんじょうもりつちいこうと呼ばれる、緩やかな傾斜がついた土手がドーナツ状に築かれています。
中心部に竪穴住居を作るために整地した際、不要な土を繰り返し盛ったことで作られたと考えられています。

そこからは、土器や土偶、石棒などの祈りの道具などが出土しました。一般的な「貝塚」のような役割もあったのかもしれません。

中央の平坦な部分には石敷台状遺構いしじきだいじょういこうと呼ばれる、小石を積み上げた場所もありました。
何のための場所であるか分かっていませんが、長い年月の間にずっと変わりない姿であったことから、祈りの場であったと推定されています。

当時はすぐ近くに穏やかに流れる川があり、そこから水を引き込み水場遺構みずばいこうが作られました。土を浅く掘った形状は水が適度に溜まるように工夫されていて、様々な水仕事に利用されていたと考えられています。

更にその水を利用して作られたのが木組遺構きぐみいこうです。
木材を組み合わせて作られた大きな水を溜める施設です。

この近くからは多くのドングリやトチの実などが見つかっています。
それらの木の実にはアクがあり、それを取り除くために充分に水にさらす必要がありました。
この木組遺構きぐみいこうはそのための施設だと考えられています。

不思議なことに、ここからは木の実以外に「ウルシ塗りの櫛や弓矢」が出土しました。
それらはウルシを塗ってあることから、祭祀用であると考えられます。

大事な食料であった木の実を加工する場として、水神様に祈りを捧げる…そんなことが行われていたのかもしれません。

通常木材は長い年月の間に腐ってしまい、殆どは当時の姿を見ることができません。
この奇跡的に出土した木組遺構きぐみいこうは、縄文時代の生活を伝えてくれる貴重なものとして、水に浸けて保存されています。

アク抜きの時間はどのくらいかしら?冬は水が冷たくて大変よね…等々、ついつい生活者目線になって想像を膨らませた時間でした。

参考資料
寺野東遺跡リーフレット

最後までお読みくださりありがとうございました。

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