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上間陽子『海をあげる』

上間陽子『海をあげる』

どんな言葉でさえも、この本の前では無力だ。
どんなに言葉を尽くしても、すべてこぼれ落ちていく。
それほどまでに上間陽子が物語るこの世界での出来事に、圧倒されて思考が停止する。

沖縄に行きたいと、あまり思ったことがない。
海はとても好きだ。でも私にとってそれは、沖縄に行く理由にはならない。
だから沖縄旅行に行ったことがない。
私は、沖縄を何も知らない。

大学3年の頃、授業で沖縄戦を学んだ。
それは言葉を失うほどの衝撃を受けた。沖縄が本土の犠牲になった数々を知った。
リモート授業だったから、声をあげて泣いた。講義中、さめざめと泣いた。
被爆地で生まれ育ったから、戦争のことについてしつこいほど学ぶ機会があった。
それでも、沖縄のことは全然知らなかった。
1972年、沖縄返還が行われたあの日のビデオで、本土の人たちが大きく万歳三唱を唱えるなか
沖縄県知事とその後ろにいた沖縄の人たちは、固く口を結び下を向き、手をあげることはなかった。
この本を読みながら、あの映像が何度も再生される。
本土の、権力をもつ、東のほうにいるあの人たちに、沖縄は殺された。

もう沖縄には行けないと思った。行く資格がないと思った。
どんな顔をして、どんな態度で、沖縄の地に足を踏み入れてよいのかわからないから。
普天間基地を、辺野古新基地を、沖縄に押しつけた私たちを、
沖縄の人たちは一体、どう思っているのだろう。


大学に進学してよかったことのひとつに、本を紹介してくれる先生との出会いがある。
先生はひょんなことから、研究室においてある、自身の研究に関係ない本を貸してくれた。それがものすごく面白かったので、先生に聞けば面白い本を貸してもらえると味をしめた私は、暇な時間を見つけて足繁く通った。大学1年生の私は、研究室とはアポイントをとって訪ねるものだということを、まるで知らなかった。先生、あの頃は本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。

そこで岸政彦に出会った。

岸先生は社会学者だ。主に生活史を研究している。彼の『断片的なものの社会学』は、
私にはじめて社会を意識させてくれた。岸先生が研究をしながら汲みとった声たちの行間にある、なんとも形容しがたい言葉や思いを、そのままつらつらと書いてくれた。それは私の中にまっすぐ入ってきて、心を揺さぶり、考える時間を与えた。

岸先生の著書はほとんど読んだ。岸先生の言葉を信用しきっていた。

だから上間陽子に出会えた。

上間先生も社会学者で、主に沖縄の生活史を研究している。彼女の『裸足で逃げる』を読んで、本当に具合が悪くなった。頭痛、腹痛、吐き気。本を読んでいるだけでこの症状だから、上間先生は、一体どれだけの苦痛を受けたのだろう。その苦痛は嫌悪感や気持ち悪さからくるものではない。沖縄の少女たちがこれまでに受けてきた全ての苦痛を、上間先生は少なからず引き受けている。優しさと愛情をもって調査や支援をすることで生まれる苦痛。この苦痛は、相手を想うから生まれる苦痛だ。人を想う苦痛は、ものすごく重たくて、手放し方もわからない。

それでも、上間先生がすくい上げた声を、もっと聞かなければと思った。
遠い本土から、観察者として存在していた私を、沖縄で起こっている想像できないような現実へと導いてくれたから。

そして『海をあげる』を読んだ。

この本では、上間先生が抱えた小さな錘が、未来を生きようとする生命と拮抗していた。調査や支援で乗っかってきた苦しみや絶望や無力感と、大切な娘を沖縄で育てるという、光に満ち溢れるかけがえのない時間とが共存していた。

何度も涙が溢れた。とまらなかった。
私が生きてきた社会では存在しなかった、あまりにも苦しく残酷な実態があること。
上間先生は、世界を広げてくれた。
本当は知りたくなかったけど、知らないといけないような気がして本を手に取った。
この現実は認知しておかなければならないものだったから。だって私も女性としてこの世に生まれたから。無視なんてできない。

それでも、少女たちの痛みに共感できるわけもなく、支援の仕方もまだわかっていない。
この社会を知った私は、どう生きていけばよいのだろうか。
上間先生から受け取った声を、私はまだ持て余している。


風花。
そうやって娘の名を呼ぶ上間先生を想像する。

沖縄の青い海。生き物が生き生きと生活していた、輝く海。
私たち人間の都合で壊されていく自然は、声をあげない。あげることができない。
それはまるで、沖縄の少女たちのようだ。

娘が成長した世界が少しでもよいものであるように、上間陽子は今日も、沖縄の少女の話を聞くだろう。
私たち読者は、上間陽子の言葉に続かなければならない。
海をあげた上間陽子に、私たちは返すものがあるはずだ。


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