子どもの頃の私
私は子どもの頃から「いい子」「出来る子」に見られるために頑張ることが多かった。
「あの子と比べてあなたは努力家で優秀だね。」と家庭内で兄弟と比較されながら褒められることが多く、いい子でいながら努力をして結果を出すことが愛される必要条件だと思っていた。
その時の私は
「自分は出来ないところもあるのに…。でも、認められたい、褒められたい、怒られたくない。」
という気持ちが強かった。
保育所に通っていた頃もそのように思っていたが私が通っていた所は厳しく、おねしょをしたり言うことを聞かなかったりするとお仕置きとしてお尻を叩かれていた。
今思えば、叱りながらも「出来ない自分」を受け入れてくれる先生からの愛情を感じ、いい子でいたい自分と、出来ない自分のバランスが取れていたのかもしれない。
しかし小学校に入り、保育所の頃のように厳しく叱られることはなくなった。
その影響か、小学生になると保育所の頃にお尻を叩かれたことをよく思い出しその時のシーンを紙に書いたときもあった。しかし「こんなことを紙に書いている自分は変だ」と思い破って捨てていた。
親や小学校の先生から褒められることは嬉しかった。しかし「私はそんなにできてない。認められるためにコツコツ頑張るのも疲れた。失敗したり言いつけを聞かないで叱られても最後は受け入れてもらえる兄弟が羨ましい。私もそっち側にいけるならいきたい。」と自分を抑え込んでいた。その気持ちが紙にお仕置きの絵を描くという行動として表れたのだと思う。
アニメで子どもがお仕置きとしてお尻を叩かれているシーンも、保育所に通っている時から気になっていた。保育所の頃は「わからないけど見ていたらドキドキする」という気持ちだけだったが、小学生になるとそのシーンを見て「自分は怒られたくないしあんなことされたくない」「でも私も叱られて甘えたい。叱られている子が羨ましい。」と、登場人物と自分を重ね合わせるような気持ちが出てきていた。
性癖を話せる友人との出会い
それから20歳頃まで、他人に自分の性癖について話すことはなかった。
20歳頃までの私は、自分の性癖を自分で認めていなかった。「お仕置きをされたい」という人と違う感情を持っている自分を認めたくなかった。
ある時、仲が良い男友達に
「Mでしょ。俺はわかるよ。」と問い詰められた。
初めは「言っている意味がわからない」「Mなんかじゃないよ。からかわれてる?」「認めてあげたら話が終わるかな」と呆れと怒りの感情があった。
しかし同じことを何度も伝えられ、彼が本気でいっていることが伝わってきた。本気だということがわかると、私はその状況にドキドキしてきた。
そして何故か、「私のことを知ってもらいたい」という感情が出てきた。
その時は、自分がなんでこんなにドキドキしているのか、彼に私の何を知ってもらいたいのか明確に分からず戸惑った。
最終的に「Mです」と言わされ、彼にその言葉を受け入れてもらった時、とても満たされた気持ちになった。彼にMな私を受け入れてもらうと同時に、私もお仕置きを求めている被虐欲が強い自分をこわごわと受け入れていた。
その後は今まで抑えていた気持ちが溢れ出てきて、子供の頃からお仕置きを受けたかったことなど様々な話をその友達に少しずつ話し、その度に彼に受け入れてもらった。そのようなやりとりを続け「お仕置きをされたい」という自分の中の異質な自分を少しずつ認めることができた。
そして私は、彼に自分の性癖を話すことで気持ちが少しオープンになり、ネット上のBDSM嗜好のある方と少しずつ交流するようになった。
※お仕置きとしてのお尻叩きはディシプリンスパンキングというが、私はフェティッシュバーに行くまでその言葉を知らなかった。
フェティッシュバーへ行く
自分の性癖を自認し人と性癖について話すようになると、自認する前よりも「お仕置きをされたい」という欲求が強くなり性癖を解消できないストレスが溜まるようになった。
性癖を解消できないストレスがギリギリまで張り詰めたとき
ネット上の人に会うかフェティッシュバーに行くかどちらかにしようと決め
2019年4月にBDSMなどの性癖を持った人が集まるフェティッシュバーへ1人で行くことを決断した。
決断はしたが、普通のBARにもあまり行ったことがなかった私にとって性癖を持っている人が集まるアンダーグラウンドなお店は未知の世界でとても怖かった。
勇気をだしてフェティッシュバーのお店の前まで来たがドアを開けれず10分くらいお店の前で固まっていた。
そうしていると、常連の女性が「入らないの?」と聞いてくれて「怖くて・・・」と答えると一緒に入ってくださった。
お店のスタッフ、オーナーさん、常連の女性がとても優しくて緊張が少しずつ解れていった。そしてその日、一緒にお店にはいってくださった常連の女性にお願いをして幼少期ぶりにお尻を叩いてもらい心が満たされる快感を味わった。
それから現在に至るまでフェティッシュバーに4年ほど通っている。
最初の頃は自分が欲求に素直になって変わってしまうこと、被虐欲を満たせるプレイに依存してしまうこと、求めすぎてしまうことがとても怖かった。
だが変わってしまう怖さを感じたときや自分を自分でコントロールできなくなりそうなときに
「どうしたの?いまどんな気持ち?その気持ちをだしていいよ。」
と自分の気持ちを受け入れることや自分を愛することをつづけた。そうすることで、性癖をもっている自分をさらに受け入れることができた。
この4年間で私の性癖を認めてくれる人、私の性癖を満たしてくれる人、私が知らなかった性癖を持っている人、一緒にSHOWをしてくれる人など沢山の出会いがあった。
沢山の出会いから自分の視野も広がり
「自分は〇〇という性癖だから〇〇しかできない」
と決めつけず、自分の興味に素直になり自分の可能性を信じて行動に移すようになった。
その後
フェティッシュバーで出会った数人の性癖についての悩み相談を聞き
「自分のことをもっと知れた。楽になったよ。ありがとう。」といわれることがあった。
そのときに、「私が話を聴いて楽になる人がいるんだ。」と思った。
相手の話を聴き相手を深く知ることが好きな私は
「性癖のカウンセリングをしたら楽しそう」
と思い、2022年5月から性癖・フェチのカウンセリングサービスを始めた。
カウンセリングサービスを始めてみて
自分の性癖について悩んでいるひとや、楽しく性癖について話せる仲間がほしい人、パートナーとの性関係で悩んでいて話を聞いてほしい人など色んな悩みや希望を知った。今まで聞いたこともない性癖を持っている人とも出会い、性癖やフェチはBDSMなどメジャーなものだけじゃないということを実感した。
また、カウンセリングサービスをしながら自分のことを振り返ってみると
私が20年間やっていたように
自分の性癖やフェチは人から理解されなかったり認められないという理由で自分の気持ちを無意識に押さえ込んでいる人や
漠然と気になることがあるけど、誰に何について話したらいいかわからず悩んでいる人
など、自分の悩みを言語化出来ず人に相談できない人のほうが多いのではないかと思った。
そのような人たちが少しでも自分を知り、自分を認め受け入れ、自分を愛しやすい環境を作っていきたいと思うようになった。
紙に自分がお仕置きをされている絵を書いていた子供の頃の私は、そんなことを考えている自分はおかしいと自分の感情を抑えていたが
今思い返すと心の中では
お尻たたきをされたい気持ちや、褒められすぎて苦しい気持ちを全部素直に話せて受け止めてくれる友達がほしいと思っていた。
そして心の奥底では、この性癖がある自分を自分自身に認めてもらい愛されたいと思っていた。
私を助けてくれた人、受け入れてくれた人の愛情を広げていくために
沢山の人が、自分と対話をして自分自身をより愛する時間を過ごせるように動いていきたい。