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文章は、ぼくを勇者にしてくれる

恨みつらみを、手加減なしにぶつけられるのが文章だ。

リアルのコミュニケーションとはちがい、文章には制限がおおい。文章が笑いだすこともないし、怒ることも、身振り手振りをすることもない。基本的に、色もトーンも終始一定だ。黒い記号だけで、自分の思いや考えを相手に伝える。言葉だけでは伝わりにくいことも多いだろう。LINEですれ違って恋人同士にならなかった男女がなんと多いことか。誤解のタネを生みやすいのも文章の特徴の1つだ。

しかし時として、文章はリアルのコミュニケーション以上に正確に考えを伝えてくれる。事実、僕は、リアルの場ではテンパって言えないことも、文章では落ち着いて自分の言葉を語れる。文章は優しくぼくの言葉を受け止めてくれるのだ。相手が目の前にいないから、相手の反応を気にしないでいい。とても自由に、本能的に思いをぶちまけられる。それは、相手の出方を伺いながらかわすリアルコミュニケーションとはまったく別物だ。文章の前では、作り笑いの自分はいない。

また、文章は救いの道具だ。小さい頃から文章に馴染みがあった僕だけど、本能的に文章がなにかを救うものだと感づいていたのだろう。小説を書くことで心が癒されたし、モヤモヤすることがあればそれに言葉を与えた。するとモヤモヤは目の前に姿を表し、解決できる悩みに昇華される。FFのラスボスだと思っていたのが、言葉をあたえると、スライムであったとわかるのだ。スライムならもはや戦う必要もなくて、愛おしくも思えてくる。文章は剣よりも強いというのは本当のようだ。僕を勇者にしてくれるのが文章だ。

これまでの人生で、死のうとは思わなかったけど、かなり精神的に追い込まれたことは何度もあった。その時に文章がなければ、僕の心はなんど押しつぶされていたことか。周りの先輩、友人と同様に、ぼくが書く文章がなんども僕に知性と勇気と気づきをあたえてくれたのだ。

文章は、どうやら人の可能性を引きだしてくれるようだ。時に思ってもみなかったひらめきや、解決方法、女の子の口説き文句をぼくの文章は生み出した。それは間違っていない場合が多かったし、自分でも驚く答えを文章はもたらしてくれた。文章以外に人の可能性をこんなに引き出してくれる道具は、他にあるのだろうか。あったらいいな。今後の人生の探し物リストに入れることにする。

なにはともあれ、文章はこれからもぼくのことを救ってくれるし、事実、ぼくのことを救ってきた。そしていまもぼくのことを救ってくれている。

ありがとう文章、これからもよろしく。

#エッセイ #コラム

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