見出し画像

舞台デビューした。記録

『ドリーム・ファイター』
2023年 9月9日(19:00-)、10日(11:00-,15:00-)
静岡市 アイセルホールにて

私はこの作品で、初めて演劇の舞台に立つことが出来た。
これは、忘れっぽい自分のための記録。長い。クサイ。

「舞台に立つ」こと。
これが私にとってかねてよりの念願であったか、と言われると、そうでも無い。
私はむしろ演劇舞台に興味が無い方であるし、人見知りで内気で、20年間ずっと芝居とは無縁の人生を歩んでいた。
ただ、人生は1度きりなので楽しみたいとは思っていた。できることが増えれば自然に人生楽しくなるはずだから。と、ほんとうに、その場の思いつきで、声による表現の世界に踏み入れた。
この世界に迷い込んでいくうちに、「もっと強くなりたい」と思うようになった。そのための一手段として、演劇に興味をもった。
だから、何かに憧れているわけじゃないし、舞台・演劇に対する特別な思い入れもない。

なのに、終演後家に帰ったら涙が止まらなくなった。

涙のわけがわかるようなわからないような、初めての感覚で、首を傾げながら洟をすすった。体内からの水分の流出が止まらないので、冷たい水を飲んで、無理やり寝た。
一晩明けたら、記憶が整理できそうな気がしてきて、今これを書いている。かけがえのない経験だったのだと直感して、記憶が鮮明なうちに書かねばと思っている。辻褄の合わないところもあると思う。私もよく分かってないから。
(しかしこんなに真剣に文章を書くのは卒論ぶりだ…。)


私は1年前も泣いた。
舞台に立てなかったからだ。
演劇舞台そのものに対する思い入れがあったから、と言うよりは、思いつきで入所した養成所で出会った大切な仲間たちと、初めて作った演劇作品だったからだと思う。みんなと一緒にやりたかった。
あとは、経験が出来なかったから。強くなるきっかけを逃して、悔しかった。自分だけ「ひんし」で、バトル後の経験値を貰えなかったみたいな感覚だった。
また舞台に立ってやると思った。
でも、私にとっての「舞台」は多分、他の人とちょっと違ってて、ただの「レベルアップの機会」でしかなかった。本当に、こころから舞台を愛する人には申し訳がないのだけど。

今回のドリーム・ファイターは、養成所の講師としてお世話になっていた佐藤先生に声をかけて頂いたのがきっかけだった。(声をかけてもらった当時も、凄くありがたかったし嬉しかったけど、今はその30倍くらいありがたいし嬉しいと思っている。)
共演者の中に全然誰一人知り合いのいない中で、しかもほとんど歳下で、それでいて経験豊富で…、こんな環境で稽古ができるなんてラッキーだな、と思っていた。これは、強くなる大チャンスだ!と。
実際、彼女たちから学ぶことは多くて、自分を見つめ直すきっかけになったし、気心の知れたメンバーでやる時とは違う強い刺激を受ける。
自分にできないことを易々と表現していく姿に、頼もしさと焦りを感じながら稽古を重ねていった。

自分が演じたバスケ部安東は、難しかった。
抱えている思いが重くて、それを表現するのに苦戦した。感受性は高い方なので、抱えているものを理解することはできた。痛いほどわかった。でも、外に出すのが難しかった。





だから、髪を切った!

刈り上げてたんだけど
だいぶ伸びた


ちょうど暑いし〜アパレルバイトも辞めるし〜雰囲気変えよう!って思ったから!
あと、私髪切ったらわんちゃんイケメンになれんじゃね?と思ってしまったから!(なれたかどうかは別問題。)

形から役にアプローチしたことは、間違いじゃなかったなと思っている。
声での表現と違って、演劇は姿が見えるから、ルックスって大事だよなと。
煮詰まってんなら変えてみようと。
実際、髪を切ってから共演者の子達と話すことが増えた。同じバスケ部のまなみちゃんとちゃんと話せるようになったのも、これくらいの時期だったよなぁと。(髪って、バッサリ切ると、周りはそれに触れるしかないみたいなところありますもんね。人見知りはそれを利用したってわけだ。)

形からでも役に馴れた感覚が気持ちよくて、今度はバスケを知ろうとした。
ちょうど8月末に公開終了を控えていた映画、『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。
もう多くは語らないが、ハマった。3回観た。
そんなわけで、万年文化部だった私が安東になるためにできることはしたと思う。…怪我以外。

佐藤先生の演出は、宣伝動画内でも言っていた通り、「直球勝負」。
かなりストレートで、私たち役者がどう思って、どうしたいか、をすごく大切にしてくれた。
自分はこう思うから、ここで動きたいです。とか、ここがやりづらいんですが、どうしたらいいんでしょうか。とか、こういう投げかけに一つ一つ答えにたどり着く道筋を示してくれて、私たちが納得いける形にゆっくり仕上げてくれた。

そうやって作った安東は、結果すごく愛された。
脚本上、お客さんに刺さりやすい役ではあったけど、直接…人づてに…アンケートで…「安東が良かった」って言ってもらえたことが、なんか初めての経験で、知らない感情がぶわっと、込み上げた。
そういうお客さんの反応もあったからか、一緒にやったみんなから、「実はわたしもさきちゃんのこと…」と私に愛を伝えてもらえるようになり(♡)、さらに心がポカポカした。
私が安東をやって良かったんだ、と思えた。

しばらく宮城リョータのことしか考えられなかったけどね

共演したみんなはほとんど歳下で、一番下の子が高校1年生と、私と8つも歳がはなれていたりする。
劇団かいぞく船が、元は静岡市こどもミュージカル出身者を集めた劇団であることもあり、私以外は何となく知り合いなのかな?という雰囲気があった。
私も大人なので、変に人見知りを発動させたわけではないけれど、私はみんなにとってはよく知らん分からん人であるので、要所要所で発言して、あとはニコニコすることに徹していた。(ニコニコ出来てたかは知らない。)
気後れすることなく話せるようになったのは、本番1・2週間前とかで、ほぼ舞台直前だったと思う。楽屋で過ごしてるうちに自然とさらに距離が近くなった。

特に、舞台上で衝突する大岩役のまなみちゃんと、自然にゲラゲラ笑えるようになった時、お互いの芝居に変化を感じた。
まなみちゃんも、私と同じで舞台経験はあんまりなくて、演劇は初舞台だったのかな。はじめはぎこちない感じもあって、(そりゃ、知らん年上の人と喧嘩しろって難しいよね…)と思っていた。
3回もバチバチシーンがあるので、これ…下手したら仲悪くなるんちゃうか…と思ったりもした。
杞憂だった。
きっかけは何か忘れちゃったけど、ちゃんと話すようになったら、すごく芝居がやりやすくなって、「バスケ部」になれた。アンケートで、「バスケ部が本当にバスケ部だった」って意見をもらって2人で歓声をあげた。
見合って笑って肩を組むカーテンコールも、お互いがなんかやりたい気持ちになったからやった。本番直前に決めた。
信頼できたから、強く言葉を投げてもきっと大丈夫だって思えたし、大岩の強い言葉に傷付いた。舞台の上で私が安東でいられたのは、そこに大岩がいたからだった。


さあ全員分語ると仕方が無いのでそれはあとでまとめるとして。
みんな明るくて優しくて実力のあるいい役者で、みんなのクリエイティビティによって、ドリーム・ファイターはさらに良い舞台になったと思っている。

そんなみんなと迎えた本番。
舞台袖。行ってくるね!と肩を叩き拳を付き合わせ、明るい舞台へと進むみんなを見送る瞬間。楽しくて堪らなかった。
口角がぐいぐいっと、無意識に上がって、多分キモい顔をしていたので、とりあえず上を見た。

たまらんな。


この時、舞台に対する思い入れ、みたいなものを初めて実感した。
ちょうどこの画像みたいな、ピンクと水色が混ざったような色の「幸せ」を感じた。
演劇をやっている人って、こんな気持ちなのか、とか、周りのみんなはこれを何回も経験してるんだな、とか、舞台袖で松葉杖を握りながらしみじみとしていた。(歳かもしれない。)
松葉杖を握り直して、気持ちをリセットした。さて、私は安東で、さっき退部届をだしたんだ…と。

初めての舞台は、始まってみたらあっという間…という感じではなかった。
演劇部の宮崎と会話した時の感覚も、一つ一つを覚えている。笑顔が可愛いもんだから、いじりたくなるし、話してて楽しいなって思うし。だから本当のことを話してもいいかなって思えたし。
長谷が来てからも、ああ、宮崎ってそんなこと言ってたなぁって、私の中には有りもしない記憶がほんとに見えて、懐かしいなって思いがこぼれた。
大岩が来た時は心臓が跳ねたし、本当のことを話す時は呼吸が浅くなるのを感じた。
みんなの夢を思い出して、自分の今に照らし合わせてみたり、馬場の言葉が胸の奥にじんわり染みて、目が離せなかったり。歌は、素直にうまく歌えなかったり…。
ドリームパネルをみて、なんか全部が私の心を解してくれている感覚になり。
柳が本当の気持ちに向き合おうとした時、ハッとして、去ろうとする大岩を呼び止めていて。
一番苦戦した最後のセリフは、舞台の上が一番スッキリ出せた気がした。
「バスケ部で良かった」と心から思えた、からカーテンコールは思いっきり、仲良しな大岩安東でいたかった。

振り返ってみると、あっという間だったのかもしれないと、さっきあっという間じゃなかったとか言っといて思った。楽しい時間は総じてあっという間だよな。

正真正銘初舞台が終わり、初めてのお見送り。客出し。
わざわざ時間とお金を使って観に来てくれた人が、こんなにいるんだと実感して嬉しくてテンションが上がった。
私が出るから来てくれたっていう人に会うと、本当に本当に本当に嬉しくて、幸せな気持ちになった。出たとこないとこから幸せホルモン(なにそれ?)がドバっとでた。
感謝を伝えても伝えても伝わりきらないと思う。私は本当に嬉しかった。なんていうか、初めてこんな気持ちになった。もし観てくれた人がこれを読んでくれていたら、改めてお礼を言いたい。ありがとうございます。

入口の花と大岩役のまなみちゃん笑


客出し1回目、2回目と、アンケートも通してたくさんの人に褒められた。演技も…容姿も。笑
自分の演技に対する感想を目の当たりにしたことがなかったので、なんかそれ専用の受け皿を持ち合わせていなくて、抱えきれなかった。
容姿についても同じで、普段の生活でそんなふうに言われることなんて無いし、本番の2日間で一生分モテたかも…ってほくほくしちゃったりして。
確かに髪切ったし私横顔が効き顔だし、脚本的にもすごく美味しい役をいただけたなと思ってはいたんだけど、想像以上で、抱えきれない愛を頂いた。
共演のみんなからも、なんていうか、濁りを感じない声をもらって、私は本当に心から驚いて嬉しくて照れくさかった。他人にこういう風に認められた?ことがなくて、歯がゆくて、また違うとこから幸せホルモン(多分そういうのあるよね?)がドバドバ分泌されてた。褒められることもまあそうなんだけど、何よりみんなと仲良くなれたのが嬉しかった。

もちろん私の安東が完璧だったなんてことはないし、まだまだ全然やれたことはあったし、きっと届いてないだけでネガティブな意見だって出ているはず…。そうやってポジティブな意見を緩衝材で包んでも、破れて弾けちゃいそうなくらい、温かい言葉をいただけた。


千秋楽は、家族が全員来た。(猫以外。)

はち丸です。
あくび。可愛い〜♡


そもそも私が芝居をしているところを見られるのが初めてで、緊張した。実家では芝居の練習はなるべくしたくないと思っている派の人間なので。
私が幸せホルモンで満たされているところを見られるのも恥ずかしかった。だからって幸せなのを隠すことも出来なかった。差し入れの花とチョコとお茶をもらって、兄弟と写真を撮った。
見返すと引くほど笑顔の私が映っていて、心底この家に生まれてよかった、と思った。

ひき肉です!


バイト先からと、養成所の仲良しでMoipa Miraのちーちゃんから花束をみたとき、なんか舞台が終わってしまった寂しさと、嬉しさと幸せがまぜこぜになって、泣きそうになった。家族もいるし、泣いたら止まらんと思って我慢したけど。
ちーちゃんは、私が去年舞台に立てなかったことを知っているからか、もしくは何かがすごく哀れに見えたのか…笑、真相は分からないけどすごく優しい目をしていて、花束も相まって…ずるかった。
ちーちゃんに舞台を観られることは、あんまり意識しないようにしてたけど、すごく…なんだろ…照れくさいというか…。家族に似たものを感じてしまっていて、お芝居一緒にやってるけど、ドリーム・ファイターはなんか特別で…上手く言えないや…。

なんやかんや全公演終わったら、舞台やらなんやらを元に戻して、ホールをアイセルにお返しする。
みんなで作ったドリームパネルをバラしたり、机やイスを片付けたり…。
脚本演出に限らず照明音響舞台設営まで全部指揮してやってくださっていた佐藤先生の凄さに、いやすごいなさすがだな…とみんなで唸りながら、楽屋ピザパーティーのために超特急で現状復帰させていった。
もう既に寂しくて仕方がなかった。あかりも舞台も元に戻って、明日からドリーム・ファイターの稽古は無いんだなと、広くなったホールから感じた。

ピザパーティーのあとに!

…集合写真を添付したら会いたくなった。
みんながみんな静岡に住んでるわけじゃなくて、来年から新天地の子もいるし、もう全員で集まるのは難しいと思う。それがわかっているから、ちょっとね、くるよね。
確実に言えるのは、出会えて良かったってことと、いいものが作れたっていうことと、良い経験が出来たということ、まだまだ頑張るぞっていうこと。
そしてめちゃくちゃ楽しかった!ってこと!

たくさんの差し入れという愛に囲まれていたら、くるみさんがおうちの近くまで送れるよ!と声をかけてくれた。
すぐに1人になったら寂しさで潰れちまうのでとても嬉しかったし、ありがたかった。
両手に荷物を抱えてペコペコ頭を下げて手を振ってお礼をして、家に帰った。

家に帰っても落ち着かなくて、ソワソワしたので同居人と散歩した。敢えてちょっと遠いコンビニに行って、アイスとおつまみを買って帰った。

家に帰っても、なんか変なところから幸せホルモンがポツポツと分泌されていて仕方なかったので、来てくれた人にお礼の連絡をした。私がいかに嬉しくて幸せな気持ちになったかを、伝えるのが礼儀だと思った。

幸せホルモン出てる顔です。



両親に、「パパとママの子で良かった」とLINEした。私はこんなこと言ったことがなかった。普段は思ってもそんなことは伝えない。でも、舞台を通して、色んな人に私の安東を観た感想を頂いて、本当にそう思ったから、言いたくなってしまった。両親からは温かい労いの言葉と、可愛いはち丸の写真が送られてきて、泣いた。ずっと我慢してたものが、全部込み上げてきた。


私は、はじめて、幸せで泣いた。


そのときは、なんの涙なのか、寂しさなのか嬉しさなのかよくわからなかった。
右足に巻かれた包帯を解きながら、わけもわからず泣いた。
でも一晩たって、抱えきれない幸福感が溢れたから涙が出たんだと気づいた。
みんなに馴染めるかなぁって、いい作品にできるかなぁって、本当は不安だったんだと気づいた。
終わってみて、そんな不安は覆されて、
嬉しさと、楽しさと、愛しさと、寂しさが混ざりあって、ピンクと水色の幸福に変わったんだと気づいた。

人は、幸せで泣けるんだなと。
なんて私は幸せなんだと。
この気持ちは、書き留めておいた方がいいと思って、noteを開いた。


舞台袖ではじめましてをした、舞台に対する思い入れ、というやつを、私は思い出した。
思い入れなんて人それぞれだけど、「強くなりたい」から始めた演劇で、それ以外の感情が私を次の舞台に呼んでいる。
舞台経験が豊富な人はきっとこんな風には思わないし、私もいずれそうなってしまうんだろうと思う。
初めてだし、1年前に悔しい思いをしたから、こんな大層なことを恥ずかしげもなく言えるのかもしれない。


でも、多くの人は再び舞台に立っている。
様々な何かが、舞台の上に人を立たせている。
それぞれの「舞台に対する思い入れ」に誘われて、舞台の上で自分じゃない誰かを生きている。



私は、舞台デビューをした。
作品はドリーム・ファイター。
夢に向き合う全ての人へ。

夢に向かって翔べ!

この作品に関わることが出来て良かった。

フルキャスト 弾ける笑顔、愛おしい
集合〜!



佐藤先生に声をかけていただけたこと、そして作品が『ドリーム・ファイター』であったこと。
これがすごく幸運であったと、終わってみて感じています。
こんなふうに感じられたのも、ドリーム・ファイターが夢をテーマにした爽やかな作品だったからだろうと、思っています。
本当に、こんな機会と安東という素敵な役をいただけて良かったです。ありがとうございました。

たびたび流れてくる観劇の感想を見たり、noteを書いていたら、
西岡彩貴はドリーム・ファイターを観たら何を思うんだろうと、ふと思いました。
舞台の上では安東で、安東ならこう思うとか、こういう風に話を聞くだろうとか、自分抜きで感じたり考えていたりしたから、自分と向き合わせることがなかったなと、気づきました。

私の夢は、「楽しく幸せに生きること」です。
なんてフワフワとした、だらしない夢なんだろうって、自分でも思います。
でも、人生を楽しくすることって、大事じゃないですか?
この作品を通して、西岡彩貴は、「目標」を立てて生きていこうと思いました。
楽しく幸せに生きるために、何が必要で、何をすれば良いか。
お芝居を学んで自分の力をつけて、声優ナレーターとしてお仕事をすることが今の目標かもしれません。それって夢では?と思うかもですが、私にとってこれはあくまで、楽しくて幸せな人生のための「踏み台」です。大きな夢に向かうための、踏み台のひとつです。目標は、ひとつじゃなくて、変わってもいいと思います。
私は、たくさんの踏み台を設置して、色んなやり方で、大きな夢に向かって翔んで行こうと思います。



以下、共演者向け



…1人ずつ思いの丈をぶつけようって思ったけど、なんか文にすると軽くて違うなって思ったからやめました、、

また会いたい
楽しかった
本当にありがとう
みんなが愛おしい、大好きです

嘘偽りなく、ただただこの気持ちです。
仲良くなれてよかった!

私は幸せでーーーす!!!!

またなける



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?