本質的な理解ができないこと③

part2の続きです。


こういう、『自分が身を置かない限りずっと本質的に理解することができないこと(というか自分が身を置くことが難しいこと)』はいくつかあると思っている。


それは今話した『地方•都会問題』の他に、『金銭感覚問題』、『家庭環境問題』である。
いずれも、個々人が幼少期から形成してきた感覚なので、容易に変えられるものではないし、ずっと自分が普通だと思って生きてきてるので、自分の異常さ(というより、自分が必ずしも普通ではないということ)に気づくタイミングもあまりないのが原因である。



まず金銭感覚の話。
Yは都内の有名な高校に通っていたので、周りの友達はお金持ちばっかりだった。
そんな中放課後はよくカフェ行こう〜とか友達に誘われたらしい。
Yがお金ないからごめん!と断ると、いや私が出すから一緒に行こうよ!と友達が言う。
こういうことなのである。
金持ち側はお金がないという問題を本質的に理解していないので、私が出すから!と提案してしまう。
しかしそうでない側としては友達がお金を出してくれたところで問題は解決しない。
むしろ申し訳なさで楽しくなくなってしまう。



そして家庭環境の話。
この話は私の周りの家庭環境があまり良くない人はみんな共感してくれる。
例えば心を許した友達に、実は私、よく昔父親に殴られたりしてたんだよね...と話すと、
大丈夫!?アザとかできなかった!?なんで児相に通報しないの!?
みたいな心配をする人がいる。
あるいは、そういう親でも敬わないとダメだよ、と諭してくる人もいる。
家庭環境が良くない側としては、児相に通報するとか、アザを見つけた知人が異変に気づき保護してくれるとか、そんな簡単な話ではないのである。
そういう親でも敬わないとダメだよ!は論外だし。聞き飽きている。
これもまた、自分とは違う環境に対して本質的に理解していないので、そういう声の掛け方をしてしまう。


こういう時、心にモヤモヤを抱えることになるのはいつも弱者側(マイノリティ側)だ。
つまり地方出身者、貧乏な人、親ガチャ失敗した人。

かと言ってなんと声をかけてくれるのが正解なのかは弱者側もよく分からないので、その場を気まずくさせないように、地方出身であること、貧乏であること、家庭環境が悪いことを無意識のうちに隠して生活しがちである。

地方・都会問題、金銭感覚問題、家庭環境問題の他にも、似たような話題があるかもしれない。
あるいは、宮城という地方(と私は思っている)に住んでいる私でも、もっと田舎に住んでいる人の中に混ざれば立場が変わってしまう。

やはりpart2でも書いた通り、マジョリティ側は無意識のうちにそういったハラスメントをしないように配慮すべきだし、マイノリティ側は相手が意図的に傷つけているわけではないことを知るべきだと思った。


そんな感じです。
おわり。

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