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三十路までスキルなし人間が、パーソナルジムを独立開業するまで(工場労働者時代編。20歳~29歳)

この記事の目的は「何もなかった私自身でも、独立して生きていくことができてるよ」ということを伝え、
独立を考えてる人や、何か挑戦を考えている人に、
「自分もできるかも」という勇気を与えるのが目的です。
とくに同じ境遇にいて、人生をより良くしたいと思っている方の力になれればと思います。

・工場労働者時代 編
・ライザップ~整骨院時代 編
・フリーランス~店舗開業 編

という3部作でお届けします。


【仕事そっちのけで遊び尽くした20代前半】


初めての就職は友達に誘われて、家が近いからという理由だけで決めた。

神奈川県の工業団地にある塗料製造工場で社会人生活をスタート。


沢山遊びたい!
早く車がほしい!
という理由から、お金を稼ぐために、いち早く就職したかった。
彼女(現在の妻)に毎回車を出してもらってデートしていたので、早く車を買って沢山ドライブに連れていきたかった。

働き始めたらすぐに車を買って2年半ほど乗り回した。

NISSAN Y33セドリック (車を売ったときに記念撮影2007年22歳くらい)

当時は仕事そっちのけで、とにかく遊びに全てをささげていた。

ほぼ毎日遊び、居酒屋やスナックばかり行っていた。
ドライブしたり、バイクで走ったり、不眠、二日酔い、むしろ酔っ払って出勤することも多々あった。(今思うとすごいな 笑)

2008年夏 バイクで2人乗りして、彼女と(現在の妻)神奈川県から宮城県まで行ったとき。

工場の力仕事で身体はまあまあ筋肉質だった。
(今はタバコ吸ってませんよ😷)


仕事はいつもイライラしてやっていた。
「俺はこんなに仕事しているのに、お前らはなんでやらないんだ」みたいな典型的な自己中心的な思考。
給料も会社の体制も昔ながらの年功序列で全然働いてない人より、給料が少ないのが腹立たしかった。

がむしゃらにやっていたので、それなりに上司の評価はよかった。仕事内容は汚いし臭いし、劣悪な環境の職場だったが、評価してくれる人達のおかげで、頑張れた。

仕事と遊びの生活、それなり楽しかったが、なんだかいつも物足りない感覚があった。
今思うと表面的なことだけで、生きていた気がする。

あれがほしい!これがほしい!飲みたい!遊びたい!
物質的な喜びだけを追求していた。


そんな中、いつも遊んでいた友人と筋トレしようという話になった。なんでそうなったかは覚えてないが、今思うとそんな物足りない感覚を埋めるためだった気がする。


週1回友人らとジムに行っていたのだが、ジム後の飲み会がとにかく楽しくてジムに行っていた。
ジム行って、居酒屋にいって、スナックにいって、歌を歌って、ベロベロになって、そのまま仕事に行って 笑


そんな中でもジムで筋トレを重ねていくことが、次の挑戦へのステップになっていた。

【ボクシング漬けの20代中盤】


そんな生活続けていく中、彼女と同棲することになり、少しずつ夜遊びする頻度が減ってきた。


彼女の妊娠が発覚した。

いよいよ遊べなくなり、貯金をしようとなって、厨房でバイトも始めた。


入籍もして、このまま落ち着いて仕事と生まれてくる子供と暮らしていくんだろうと思っていたが、、


自分の魂がそれを許さなかった。


「なんか違う」

仕事と厨房のバイトの毎日、遊んでいても前のように楽しめない。

「最近落ち着いたね」
「最近つまらなくなったね」

なんて言われてしまうこともあった。


マイホームも購入し、妻も妊娠中のとき、自分の心の中で、


「ボクシングやりたい!!」


何か有り余ったエネルギーをぶつけるような衝動。
筋トレしてるし、ボクシングなんて余裕だろう!
という過信もあった。笑

やりたくもない汚い仕事、やりたくもない厨房のバイト、結婚、妻の妊娠、マイホーム購入により、急激に使えるお金が減り、自由が減り、何か自分の内側で爆発したような衝動。


すぐ厨房のバイトをやめ、ボクシングジムに通い始めた。
(妻に愛想つかされて約1年間別居しました 笑)


ボクシングジムの練習は、まともな運動をしてなかった自分にとっては本当にハードで、毎回クタクタになっていた記憶がある。
練習を重ねていくうちに、少しずつスパーリングをさせてもらえるようになってきた。


スパーリングは本当に怖かった。
恐怖で身体が固くなり、思うように動けなくなり、心拍数がドンドン上がって、ボコボコにされる。

「ボコボコにされたくない!」
という気持ちが更に練習をする原動力になっていった。


タバコをやめ、朝はロードワークをし、仕事にいき、夜はボクシングジム、休日はジムの仲間達と公園でダッシュしたり、階段ダッシュしたり、ロードワークしたり、練習しているときは地獄のように苦しいが、なんともいえない充実感があった。

買ったばかりのマイホーム(4LDK)に一人暮らしで寂しかった。
前のように遊ぶお金もないので、必然的にボクシングやトレーニング三昧だったし、運動しているときは寂しさもまぎれた。

身体も当然メキメキ変わってきた。なんだかボクシングやっているということが、自信にもなっていた。
ボクシングは全然弱かったが、運動が楽しくて、ドンドン進化している自分が嬉しくてしょうがなかった。


この頃の「運動って楽しい!」という経験が、今の自分のベースになっている。


【人生のどん底。20代後半】


仕事では役割が増えてきて、労働組合の役員(労働者を守る団体)をやるようになった。必然的に帰れなくなり、ボクシングする時間がなくなっていった。
仕事も忙しいし、家族の時間も増やしていこうという思いで、ボクシングを辞める決断をした。

妻と息子と平和に暮らし始め、職場を良くするための活動に力を注いでいた。
レクリエーションを企画したり、飲み会、忘年会、若手メンバーでキャンプを企画したりと、会社をより良く、楽しくするための活動を積極的に行ってきた。

「どうせやるなら楽しく仕事しよう」という姿勢で、
前向きに取り組んでいたが、実は自分自身が心から楽しんでいなかった。


ただロボットのように単調な仕事をこなす日々。
熱い気持ちで仕事すると、ドン引きされるという、シーソーゲーム。
そもそも会社を良くしたい!自分の人生をより良くしたい!というマインドの人は、ほとんどいなかったと思う。


お金持ちになりたい!出世したい!
という願望があったが、
「果たしてこの職場で本当のお金持ちになれるのか?」「本当にこんな場所で出世したいのか?」
「自分はどんな人生を歩みたいのか?」
自問自答を繰り返す日々。


少しずつ運動しなくなり、タバコをまた吸い始めて、お酒を毎晩飲むようになり、週末だけが楽しみの人生になっていった。


気づいたら人と会うのが嫌になっていた。

人と顔を合わせることが嫌になり、いつもマスクをしていた。その当時、携帯で「精神疾患」「うつ病」とかいつも検索して調べていた記憶がある。
自分はどうかなってしまったのかと本気で悩んだ。


【衝動が走った】

ある日、回覧板で空手教室の案内がきた。
息子も5歳になったし、一緒に空手を習おうという流れになった。


週2回ほど稽古をつんで、空手の基本を学んだ。
ボクシングをやっていたので、パンチを誉められた。
息子にもいいところを見せたい。
しかし久々の運動で堕落しきった身体には辛く、クタクタになった。

これじゃイカンと思い、体力づくりや空手のパフォーマンスアップのために、また走り込みや筋トレを始めた。



すると走っている時に衝動が走った。


「楽しい!!!」
「もう運動を仕事にしちゃおう!!!」


年齢も29歳間近の28歳。転職するならこのタイミングだと思った。
このインスピレーションを感じてから、すぐに行動を開始した。

運動といえばフィットネスクラブ、まずはバイトからだと思い、面接に行った。


落ちた……


自分は学生時代はバンドマン、運動歴も浅い、身体やトレーニングの知識もない。

対して、学生時代からバリバリスポーツをして、スポーツの専門学校で学んで、スポーツ万能です!みたいなイメージの人が沢山いる業界。

かなり引け目を感じていた。


諦めきれずネットで検索していると目にとまったのが、


「RIZAP」


テレビコマーシャルで知っていて、「大きい会社だろうし、自分では難しいだろう。ダメ元で受けよう」と思った。


面接は緊張しすぎて、かなりしどろもどろになっていた。
でも自分の中で本気で頑張っていたことが武器になっていた。


ボクシングで身体が変わったという経験、
身体が変わって自信がついたという経験
仕事をしながら、労働組合で頑張っていたとう経験
レクリエーションを沢山企画してきたという経験


「頑張ってきてよかったな」と思った。


今でも覚えている。
合否は電話で伝えられたのだが、「合格」と言われたときの感動を。

知識や経験はないかもしれないが、何かのために頑張ってきたことは決して無駄にならない。
自分のにじみ出る自信として確実に血、肉になっていると感じた。

そこを買ってくれたRIZAPには本当に感謝しかない。
そして沢山の経験を積ませてくれた塗料工場の方々に本当に感謝。


もちろん沢山の人に反対されたし、家族にも反対されたが、もう自分の気持ちはまったく揺らがなかった。


「さあ人生が動き出すよ!」というワクワクと希望で溢れていた。


(その当時の日記。汚い字 笑)


(当時のケータイ待ち受け画面)


しかし知識まったくなし、接客業の経験も高校生の時にやった居酒屋バイトくらい、
そんな自分を待ち受けていたのは地獄のような試練の連続の日々だった。


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