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性産業全廃論者の論拠に対する反論

 ここ最近,社会福祉士の藤田孝典氏の主張に端を発し,一部の者から性産業全廃論が主張されている。これに対して,主にはTwitter上で,私も含めて性産業全廃論に反対する者が全廃論者の主張に反論をしている。

 しかし,Twitterの特性上,議論が五月雨式になってしまい,やや論点がぼけてしまっているきらいがある。皆が140文字以内で言いたいことを散発的に述べ合っている状況で,かみ合った議論がなされているとはとても言えない。しかも,この類の問題は感情的になりがちなので,性産業全廃論者と反対論者がそれぞれ攻撃的な言辞を向けている状況さえ見られる。この状況で議論を正確に理解することは,砂漠に落ちた指輪を探すほどには難しいことだろうと思う。

 そこで,このたび性産業全廃を主張する者が論拠として主張するものとこれに対する反論を簡単に整理する。

 今後,新たな議論や反論があれば,随時加筆していきたいので,お知らせいただきたい。更新するごとに,以下において更新履歴を表示する。

 なお,今回のnoteは主に「全廃論者の主張に対する反論」を整理したものである。全廃論に反対する積極的な根拠(反対論の積極的根拠)は従前のnoteにまとめているので,こちらを参照いただきたい。

【更新履歴】
2020/8/13 初稿

(1) 性産業は女性に対する搾取である(お気持ち論)

【主張】性産業の存在そのものが女性を不当に扱うものであるという内容の主張である。「女性に対する差別である」「女性の尊厳を軽視している」「女性の立場を対等に扱っていない」という主張も同じ類型に分類してよい。実のところ,Twitterでみられるかなりの言い分が「女性をこのように扱うべきではない」という類型に分類される。

【反論】しかし,彼らは「なぜ搾取なのか」「なぜ差別なのか」「なぜ尊厳を軽視しているのか」「なぜ対等に扱っていないのか」と問われても,それに対する客観的論拠を提示できない。なぜなら,「差別である」「軽視である」「尊厳を害している」という主張が単純に主張者の主観に基づき発せられているからである。
    女性の主観として,女性が納得した上で対価を得て性的サービスを提供することが「搾取ではない」「差別ではない」「尊厳を害されるとは思わない」というものもあり得る(このような「主観」がないと考えるのは独りよがりであろう)。
 この「搾取である」「搾取ではない」といった議論は完全に主観(お気持ち)のぶつかり合いでしかないのであり,性産業全廃論の根拠としてはあまりに薄弱である。「搾取である」「差別である」「尊厳を害する」といったお気持ち論に対する反論としては「あなたの気持ちはそうなんですね。はい,わかりました。」で足りるのである。

 このことに関連して指摘できるのは彼らは「搾取」「差別」「尊厳」の定義を何ら明らかにしないことである。
 定義を明らかにしない議論に論理性はない。

 以上のとおり,(1)の類の理念的主張はもはや「議論」ではなく,主張者の「お気持ち」をぶつけているものでしかない。
 それどころか,この主張は有害である。なぜなら,これらの主張は,現に性産業に従事している者に対して「私は尊厳を軽視されているんだ」「差別されているんだ」「対等に扱われていないんだ」というレッテルを貼り,同人の自己肯定感を傷つけるからである。性産業全廃論者が垂れ流す言論こそ,性産業に従事する女性の尊厳を害しているのである。もちろん,この議論も私の「お気持ち」に過ぎないが,私はこのように感じる性産業従事者が一定数いることを確信しているため,あえて述べる次第である。

(2) 男性に女性を「買う」権利はない(売買論)

【主張】男性が金銭によって女性を「買う」権利はない。男性が女性を「買う」という構造が,男女が不平等であることの象徴である。

【反論】しかし,この主張も微妙である。そもそも,性産業従事者は女性を「売って」いるのか。それを利用する者は女性を「買って」いるのか。そうではない。特定のサービス(これを「役務」という)の提供を受け,当該サービスの対価を払っているだけだ。人が自ら保有する肉体的あるいは精神的資産に基づく役務を提供し,これに対して対価を支払うという契約は他にも多々あり得るが,それは人を「売る」「買う」というものではない。「買う」という言葉を用いる時点で,不当な印象操作が行われている感が否めない。
 そして,サービスの提供者がいれば,それを受領する者がいるのは当然である。「金銭を得てサービスを提供する者」と「金銭を払ってサービスを受け取る者」は表裏一体であり,いずれが欠けてもサービスは成り立たないのである。
 男性がサービスを利用することの正当性についての説明はこれで十分である。男性がサービスを利用する根拠がない「ない」と主張することは,女性がサービスを提供するべきで「ない」と主張するに等しい。
 ところで,世の中には女性向け性産業も存在する。(2)の論を展開する者はこの産業についても「女性に男性を「買う」権利はない」と主張するのだろうか。興味深いところである。

(3) 女性は自由意思で性産業に従事することを選ばない(意思論)

【主張】表題のとおりである。性産業従事者は自由意思で選んでいるようで「選ばされている」のだといった主張である。

【反論】一般的に判断能力が未成熟とされる未成年であればさておき,原則として,成人に達した女性の意思決定について「それは自由意思ではない」と決めつけること自体,性産業従事者の自己決定権を相当軽視した議論である。
 いかなる自己決定をするかは人それぞれであり,「女性ならこういう意思決定をする」「男性ならこういう意思決定をする」という前提は人の感性の多様性を無視したものである。
 そもそも,この議論を行う論者は「女性の自由な意思決定が社会によって阻害されている」ことを前提としている。だとすれば,自由な意思決定の阻害要因(やむにやまれず性産業しか選択肢がないと言い得る状況)を取り除けばいいのであって,選択肢自体を取り除く根拠にはならない。
 AからEまでの5枚のカードがある場合,目指さなければならないのは「AでもBでもCでもDでもEでも自由に選択できる社会」である。それを自由に選択できない要因,例えば選択者が目隠しをさせられていたり,実は全てがEのカードであったという場合には,その要因を取り除けばいいのであり,「Eのカードをなくしてしまえ」ということにはならないのである。

(4) 性産業にはリスクがある(弊害論)

【主張】性産業にはリスクがある。当該行為そのものに感染等のリスクがある。また,いわゆる「クソ客」と言われる顧客から想定外の被害を受ける可能性がある。

【反論】一定数の職業には多かれ少なかれ何らかのリスクが存在するものであり,そのリスクも踏まえた対価が支払われるものである。相対的に大きな危険を有する仕事としては,警察官,レスキュー隊,自衛隊,カーレーサー,プロボクサー,原発作業員,治験モニターなどがあると考えられる。なお,プロボクサーは脳に障害を負う可能性が相当高いという情報もあるある程度の大きな危険は,相当数の職種に見出せるものなのである。したがって,リスクの存在は産業全廃の根拠にはならない。
 論者は,性産業のリスクが高いのが問題なのだと言うかもしれない。
 しかし,得られる対価がリスクに見合っているか否かは当事者が自由に決める問題である。性産業従事者が「納得」している限り,リスクがあるからというのは産業廃止を主張する論拠にはならない。
 もちろん,リスクの存在を明確に認識することは必要であるし,リスクを軽減するための努力は必要である。
 この点については,次のような話も出てきている。

 従前のnoteで書いたとおり全廃論は非現実的であるところ,非現実的な全廃論を叫び続けるくらいなら,リスク軽減のための具体的策を議論するほうがはるかに建設的である。
 このことに関連して述べておくと,いわゆる「クソ客」の存在を理由に産業全廃を主張するのは相当不可解である。この場合に悪いのは「クソ客」であって,性産業それ自体ではない。にもかかわらず,性産業の全廃を主張するのは,「痴漢は防がなければいけないから女性は服装に気をつけよう」といった主張にもみられる倒錯した議論である。
 なお,リスクの存在を事前に把握するための情報提供は積極的に行われるべきであることは指摘しておきたい。

(5) 違法である(法律論)

【主張】性産業そのものが違法である。

【反論】全く根拠がない。相当数の性産業が前提とするサービスは「性交類似行為」であって,これは売春防止法により禁止されているものではない。元特捜部主任検事の前田氏が次のように解説するとおりである。

わが国には売春防止法があり、次のとおり買売春は違法とされている。
「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」(3条)
「この法律で『売春』とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう」(2条)
(略)
また、「性交すること」が要件となっているので、手淫や口淫といった性交類似行為は含まれないし、同性間では買売春とならない。


 警視庁のウェブサイトでも,一定の手続きを踏まえて合法になる産業であることを当然の前提としている。それでも性産業全体が違法であるという偏った考えを持っているのであれば,ぜひ警察にでも相談してみればいい。
 脱法行為がなされているとの議論もあり,私も脱法行為を是認するものではない。しかし,これは法律の運用や取り締まりの問題である。脱法行為を取り締まることと,性産業そのものを肯定することは完全に両立している。

(6) 性産業は福祉の水準を後退させる

【主張】性産業は福祉の水準を後退させる。例えば,生活保護を申請したいのに窓口が「性産業で働けるでしょう」と言ったりする。

【反論】福祉の充実は性産業の存否とは関係なく目指すことが可能であり,福祉の充実のために性産業の廃止が必要だという主張は全く論理的ではない。性産業があろうがなかろうが福祉の充実は目指せるし,性産業があろうがなかろうが福祉は不十分なものとなり得る。そこには合理的な関係性が見出せない。例えば,次の①~⑤は互いに相矛盾なく目指すことが可能である。


 また,仮に性産業の存在ゆえに福祉の水準が後退するようなことがあれば,そのような後退を食い止めれば足りるのであり,性産業の存在を否定する必要はないはずである。例えば,生活保護については,生活保護の運用上,各人に「性産業で働かない権利」を保障すれば足りる。産業全体を廃止する必要はどこにもない。
 確かに,現在の福祉制度には不十分なところがある。しかし,福祉制度の不十分さは政治のあり方やこれを(一定程度)支える世論,さらには税金の使い道に関する議論や恒常的な不況が大きく関与しているところである。福祉の不十分さを「性産業が存在しているせいだ」と主張するのは八つ当たりであるとの誹りを免れない。
 また,福祉制度を利用することは権利であって義務ではない。福祉は税金を中心とした国民の支出によって賄われるところが多いから,その充実度には一定の限界がある。少なくとも,福祉によって「贅沢」をすることは今の日本では難しい。福祉の充実は目指すべきだが,福祉の利用を行わず性産業を経由して人生を切り開くという選択肢は残されるべきであろう。

(7) 結論

 以上の次第で,性産業全廃論者の提示する論拠にはいずれも全く説得力がない。私としてはここまで指摘した【反論】に対する再反論を希望している。ただし,この【反論】に再反論することは容易ではないと思う。
 それにも関わらず,なぜ性産業全廃論者がここまで性産業を攻撃するのだろうか。この点についての私の仮説は,今のところ次のようなものである。


2020.8.13 かんねこ





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