掃除

まだ母がいた頃から、私以外は掃除の苦手な人間ばかりだった。
私以外は、と言っても私自身まだ潔癖症だったわけではなかったし、綺麗好きの自覚もなかったが、私以外は片づけをする人間がいなかったというのが正確な言い方になる。

キッチンと2つ部屋があるだけの小さな借家に4人で住んでいた。
流し台にはいつも洗っていない皿が置きっぱなしになっていたし、コンロには焦げがたくさんついていた。
洗面台がなかったので、キッチンで歯を磨いていたが、歯ブラシが入れてあるコップにはいつも濁った水が張っていた。

エプロン代わりに黒いごみ袋を胸から下に巻いて、子供用の椅子に乗ると、やっと水栓に届いた。私は、山盛りになっている洗濯物を洗濯しながら、皿洗いをした。

父の実家に移り住んでからも、「掃除をする人間」と位置付けられていた私は、各自の個室も掃除しなければならなかった。
すでに潔癖症になっている私は、触れられない「ばい菌」との闘いと「部屋が散らかっているのが嫌だ」という狭間で非常に苦しんだ。
結局は、散らかった父の部屋を掃除することで、自分の部屋に「ばい菌」が侵入するのを少しでも防ぐ、という解釈を頭で唱えながら、姉の部屋と共に掃除をした。

祖母は、このことを近くに住んでいた叔父や伯母に私に聞こえるように吹聴した。

「あの子は、よく掃除をしてくれるとてもいい子。頼んだらいつでもやってくれる。」

私の作られたキャラクターはこのようにして固まっていった。
そして、部屋が散らかっていると、叱られるのは、いつも私であった。

「いつも出来てるのに、なぜ出来ないの?おばあちゃん、がっかりするよ。」

こう言われると、多少の反発もしたが、悔しさの方が先立ったり、潔癖症がまさってしまい、仕方なく片付ける、のループであった。

今、思う。
なんとも馬鹿らしいループであろうか。
私自身も、もう少し例えば語彙力を高めて反論すればよかったと思うし、叱られても従うことをしなければよかったとも思う。

しかしながら、とにかく寂しかった。一番これがきつかった。反論や反発は生きていけなくなるかもしれない、と本能的に思っていたので、出来なかった。

私よりも、過酷な幼少期を過ごした人々がたくさんいるのは知っている。一番大変なのは自分ではないことも、当時からよく自覚していた。

祖母から言われたこともある。
「あなたはお母さんがいなくて大変だけど、ご飯すら食べれない人もたくさんいるんだから我慢しなさい。」

どうだろうか、苦しんでいる時に、そう唱えるまじないは本当に効果的なのだろうか。

苦しいと大きな声で叫ぼう。間違っていると大きな声で言おう。過去の自分に願う。


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