手紙

ある日、母が珍しいことを言った。

「近くの公園にピクニックに行こう。」

家事が苦手な母はスーパーでお弁当を買った。姉はお菓子を買ってもらって嬉しそう。私は、家にあったバトミントンのセットを持って行った。お弁当は好物の焼きそば。

それが最後の楽しかった思い出。

何日か後の土曜日。姉が風邪をひいて学校を休んだ。病院から帰ってきた姉を寝かせてから、母は普段着から一番のお気に入り、緑のワンピースに着替え始めた。背中のジッパーを閉じるよう私に頼んできた。

「どこ行くの?」
「どこにも行かないよ。」

その会話は2、3回繰り返された。ざわめく気持ちが何なのか、当時10歳の私にはわからなかった。私は幼すぎた。

「お父さんに、サイドボードの上に手紙があるよ、って言っておいてね。」

そして玄関にカギをかけていなくなった。
サイドボードの上を見ると、小さな紙に一言書きなぐってあった。

「お父さん、ごめんなさい。」

私はその紙を裏返しにした。そしてテレビを見て過ごした。内容は全く覚えていない。姉を起こすこともしなかった。

しばらくして父が帰ってきた。

「なんで止めなかったんだ?」父が思わず私をなじった。

その時、ざわめく気持ちが固まって真っ二つに割れた気がした。父の表情を見て、ようやくとんでもないことが起きたんだと認識した。
母は家を出ていったのだった。

今、思う。
この時の母の気持ちは誰にもわからない。どこにいるのかすらわからない。
父の気持ちは、後年酔った時に少しずつ漏らすことがあったので、少しはわかる。
「子供を捨てて出ていくなんて、俺には考えられない。」
「毎日飲みに出かけていた俺に理不尽なところがあったのかもしれない。」
「あいつにはかわいそうなことをしたな、って今は思う。」

私の気持ちは。
これは今でも両親が理解できることではないと思う。しかし時は経って、自分も大人になり、その心残りを現在に引きずることはない。

母が家を出ていったことはそれ以上でも以下でもない。
しかし、私が躁うつ病への歩みを歩み始めたきっかけにはなったのだとは思う。自分のモノのとらえ方で状況は一変するんだと、痛感している。
ポジティブ思考を押し付けられるとうんざりするが、一度立ち止まって考えたい。ポジティブとは、外部に向けて発信するための考え方ではなく、自分(内部)を労わったり、かわいがったりするための考え方だと思う。
当時、そんな「ポジティブ」が自分にあれば、病気にはならなかったのかもしれない。そこは、すこしだけ後悔。

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