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利他的な遺伝子

僕は僕がクソ野郎であることを知っている。

それを治そうともしないクズ野郎であることもわかる。

世間一般的に見て、ブサイクであることも、それを整える努力をしていないことも、お金がないことも知っている。

天才でもないし、凡人だし、歯車にすらなれないし。

だけど、生きられている、死んでない。しかも、これからも、どうやら60年近く生きるらしい。

リチャード・ドーキンスは我々は利己的な遺伝子のただの乗り物に過ぎない、と言った。

よりよい遺伝子を後世に伝えていくためだけの乗り物なのだと。

なら、その乗り物が明らかにおかしい僕はどうすればいいのか?

答えはシンプルだ。利他的であることだ。

僕は僕が僕個人として必要とされることなんて無いことを知っている。

乗り物はすでに壊れているのだ、別にどうってことない。

遺伝子を残しておくべきでない僕は、周りの遺伝子を残すべき人間のために生きる。

働きアリだって、女王蜂を除く殆どの蜂だってそうやって生きている。

それが巡り巡って自分の遺伝子を残すことになると本能的に知っているからだ。

僕が遺伝子を残すことは多分できない。

かわりに遺すのは意思だったり、思想だったり、哲学だったり。そういうものを残していけたらいいと思っている。

今年の3月で乃木坂46を卒業した佐々木琴子さんはなぜアイドルになったのかと聞かれ、生きた証を残すためだと言っていた。

ドクターヒルルクは、人に忘れられたときに死ぬと言っていた。

宮沢賢治は作品がわらす(方言で子供のこと)だと言っていた。

そういう人に僕はなりたい。

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