さびしさは鳴る
綿矢りさ先生が19歳のときに書き上げた小説「蹴りたい背中」の冒頭の一文だ。
この言葉を身に染みて体感している。
昨日12月2日で僕は一つ年を重ねた。
誕生日ほど友達のほとんどいない僕にとって寂しい日はない。
独りで飲むお酒の発泡のシュワシュワという音、隣の部屋の生活音、換気扇の音、シュークリームの咀嚼音。
それらが全てさびしさを感じさせる。
大学で全然友達を作らなかったのは、僕の意思だし、今こうやって独りで生きているのは僕の責任だ。
なのにどうして、こう、さびしさに押しつぶされそうになるんだろう。
来年度はまた全く違う場所で、全く違う人達と、全く違うことを研究する。そのときにまた、僕は違う人になれているだろうか。
どうにかもう少しうまく生きてゆきたい。そう思う12月の頭である。
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