なぜ死ぬのに生きる?
未成年の自殺率が先進国のなかで最も高いのが日本。
日本の未来は世界が羨むのではなかったのか。
身体的健康が保証された世界で、精神的健康が保証されていない。
だから自殺率があがる。当たり前だ。
僕だって毎日を積極的に生きたくて生きてるわけではない。いつも死にたいとかそんなことをTwitterにつぶやいているし、多分これから生きてて楽しい!!みたいな瞬間もそんなに無いと思う。
だけど僕は死のうとは思わない。死にたいことと死ぬことは全くの別物だ。
この"死にたい"気持ちが生きる上で重要なのではないか、そう思っている。
もちろん、これを書いている僕と、これを読んでくれているあなたは違う人間だ。
だから、この考えを押し付けるつもりはまったくないし、こういう考えで生きている人間もいるんだなぁくらいの軽い気持ちで読んでほしい。
ヒトは運良く(悪く?)思考する力を持っている。
生きるに対してなぜ?を繰り返していくといずれ行き詰まる。
なぜ生きるのか?→幸せになりたい
なぜ幸せになりたい?→????
まだ答えのようなものを絞り出すことはできるだろうが、なぜはまだ簡単に続けられる。
なぜ生きるのか、22年間生きての僕なりの現時点での答えは『情報伝達乗り物』だ。
この記事でも軽く触れているが、生き物というのは全て遺伝子の乗り物に過ぎないと思っている。
ただ、それだけだとあんまりにも虚しい。遺伝子という、二重らせんをただ世の中に遺すために生まれてきた、そんなものが生きる意味なのだと言われたら死にたくもなる。
もう少し広く、かつ、詳しくこの"乗り物"を見てみよう。
乗り物は動くために、ご飯を食べ、呼吸をする。ご飯は血肉になり、かつて血肉だったものは排泄される。排泄された血肉はやがて、雨になるかもしれないし、石になるかもしれないし、はたまた誰かの血肉になるかもしれない。
乗り物が停止してしまったときも同じだ。僕たちを構成している原子は宇宙に普遍的に存在しているのだ。たまたま、きれいに集まった原子がヒトとして意思を持って動いている。
世界が、宇宙が僕たちを作っているように、僕たちもまた、たしかに世界・宇宙という永遠にも思える枠組みを作り出しているのだ。
"なんで死ぬのに生きるの?"
この問に永遠に答えを出すことはできないだろう。
ただ、僕もあなたも永遠の流れの中の一部なんだと言うことを忘れないでほしい。
誰かの生きる助けになれますように。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?