俺が銀杏BOYZだ!!!〜空気階段と僕の第三次世界大戦的銀杏革命〜

僕は銀杏BOYZがデビューアルバムを2枚同時に出したとき、高校生だった。銀杏BOYZの前身バンド、Going Steadyは周りの邦楽ロック好きはみんな聴いていたんじゃないかレベルで流行っていた。むしろ普段、邦楽ロックなんて聴かないだろうという人も聴いていた。僕もGoing Steadyはそれなりに聴いていた。

Going Steady(以下ゴイステ)が崩壊して銀杏BOYZになった。実際はギターの人が変わっただけだけど、微妙にリスナー層がコアになったような気がする。僕が本格的にハマったのは銀杏になってからである。

ライブの噂だけは耳に入ってくる。音源を出さない。早く音源が聴きたい!という飢餓感が高まって来た頃に「銀杏BOYZがアルバムを2枚同時に出す」というビッグニュースが入ってきた。今でも覚えてる発売日の2005年1月15日、更にいうと前日の1月14日にCDショップに買いに走った‥実際は歩いて買いに行ったけど。

「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」という2枚のアルバム。どちらもCDの収録時間の限界近くまで曲が入っている。どちらも鬼のように聴き狂った。嫌なことあったら銀杏を聴き、嬉しいことあったら銀杏を聴き、移動中も銀杏を聴き、みたいな日々。

当時の僕はロック好きが陥りがち(??)な「世の中の綺麗事を歌っているようなJ-POPは全てゴミ」という深刻な中二病を患っていた。そのため銀杏BOYZの人間の綺麗な部分も汚い部分も全てひっくるめて、ストレートに歌う姿勢に心を撃たれたのである。銀杏の追っかけのような感じになった。銀杏BOYZの公式ホームページにあったBBSにも書き込んでいた。

大学生になってからは銀杏のライブにも何度か行った。正直なところ、追っかけていたと言う割には回数は少ないと思う。でも出待ちしたり(峯田さんには遂に会えなかった、でも他の3人とは喋った)、ファンと交流したりと濃い内容だったと思う。

銀杏のライブにひとりで来ていた人たちの目は死んでいることが多かった気がする。おそらく当時の僕の目も死んでいた。みーんな死んだ魚の目をしていた。大人の人達には「何をしているんですか」と聞いてはいけない、僕のような大学生や高校生には「学校生活はどうですか」と聞いてはいけない、そんな雰囲気が出ていた。でもみんな銀杏の話をすると、目がキラキラしだすんですよね。

みんな銀杏に救われてきた人達なんだろうなあと。銀杏を聴いているときは目がキラキラしていたもんな。きっとみんな屈折した感情を燻ぶらせて生きていた、だからこそストレートな銀杏の曲が深く刺さったのかもしれない。

2007年に久々の音源「あいどんわなだい」「光」という2枚のシングルが出た。どちらもカップリングを含めて名曲で、この時期にロッキング・オン・ジャパンで銀杏が表紙になったのもあり、否が応でも高まる「アルバム」への期待。その日がそう遠くない事を信じて、この2枚のシングルをずっと聴いていた。ライブでは「次のアルバムに入る」新曲もやっていた。早くCDで聴きたいなあなんて思っていた。

筑紫哲也のNews23に銀杏が出演して、「光」を歌うなんてこともあった。この時点で銀杏のアルバムリリースから3年近くが経っていたけど、未だに自分の中で銀杏の熱は燃えていた。


でもアルバムは2008年になっても出なかった。2009年になっても出なかった。2009年にシングルは出たけど‥。気付いたら、銀杏はたまに聴くくらいのレベルになっていた。ホームページに「アルバム制作中」という文字があったと思うけど、いつしかなくなっていたし、更新されるのも年1度のペースで変わる(すげー長い)メンバーのプロフィールだけになっていた気がする。

そして時代は飛び2013年下半期、銀杏が2014年に遂にアルバムを出すというニュースが飛び込んできた。しかも発売日は1月15日。9年も待たせやがって‥と思った。しかし同時に衝撃的な発表があった。

ベースの安孫子さんとギターのチンさんの脱退。二人とも長いアルバム制作で力を使い果たしてしまったのだという。その1ヶ月後、ドラムの村井さんも脱退。峯田さん一人になってしまった。

銀杏BOYZは峯田さんが中心のバンドであることは間違いない。でも他の3人もみんな重要なメンバーだった。銀杏のDVDを見ればわかる、メンバー全員が個性的でキャラが立っている。あの3人の演奏があるからこその銀杏BOYZだった。4人の絆は強い。そう思っていた

自分の中では銀杏BOYZは「メンバーチェンジや脱退とはいちばん縁の遠いバンド」だったのだ。だからこそ立ち直れないくらい落ち込んだ。同時に銀杏への思いがスッと冷めてしまった。峯田さんの事は大好きだし尊敬している、でも僕が聴きたいのは4人の銀杏BOYZなのだ。新しく出るアルバム2枚は4人で録音した、4人がジャケットに写っているアルバムだ。なので買った。でも聴かなかった。以前のアルバムから9年経って27歳になっていた僕は、銀杏を全く聴かなくなってしまった。

そしてまた月日は流れて2019年4月。僕は空気階段というお笑いコンビが好きで、彼らがTBSラジオでやっている「空気階段の踊り場」というラジオが大好きで、毎週聴いている。2019年4月の時点で番組は3年目、放送回数も100回を超えていた。その記念すべき3年目に突入した第103回目の放送。

その空気階段の鈴木もぐらさん(僕と同い年)が、銀杏BOYZへの熱い思いと、峯田さんとの思い出を語ったのである。なんと10代の頃から銀杏BOYZの追っかけをしており、峯田さんと交流まであったのだという。

番組が始まってから一度も銀杏BOYZという単語が出たことは無かった。芸人になってから「中途半端な状態では銀杏BOYZを聴くことは出来ない」「峯田さんに迷惑をかけたくない」「銀杏BOYZの名前を出して注目を浴びたくない」「売れたらまたお会いしたい」という思いから、距離を置いていたのだという。

そんな もぐらさんが語る銀杏と送った青春時代や峯田さんとの関係。とても驚いた。ただ好きだっただけではなく、峯田さんと交流があり、家に泊めてもらったというエピソードまで飛び出す。僕ですら目が飛び出るくらい驚いたのだから、相方の水川かたまりさん、スタッフの人達はもっと驚いただろうな。

同い年の彼が語る銀杏。しかも自分と同じように銀杏と距離を置いていたという事実。(理由も境遇も立場も背負っているものも何もかも違うので比べるのはおこがましいけど‥)

そして彼の語るエピソードを聴いて、自分の青春時代とオーバーラップして、ブワーっと涙が止まらなくなった。

放送が終わったあと、狂ったように銀杏を聴いた。買ってから一度も聴いていなかった2014年に出た2枚のアルバムも聴いた。また涙が出てきた。2014年に出たアルバムは自分が好きだった銀杏BOYZそのものだった。まさか30代になって、また銀杏が好きになるとは思わなかった。空気階段には本当に感謝している。もしかしたら僕が銀杏のライブにいったとき、鈴木もぐらさんに会っていたかもしれない。

援助交際という曲がある。

なんとこのPVに、若かりし頃の鈴木もぐらさんが出ているのだ(3分50秒ころ)

それを知ったとき、自分の中で何かが一気にバーーーっと繋がったような気がして、ある種の運命的なものを感じた。僕が空気階段を好きになったのは偶然じゃないのかもしれない。

先日(2020年10月25日)の「空気階段の踊り場」に峯田さんがゲストに来ていた。1年前のイベントの時にも峯田さんがゲストに来ていた。照れくさそうに話す もぐらさんと峯田さんの関係性にグッと来て、2回ともウルっときた。自分の中で特別な存在であるものが再び繋がり、過去を懐かしみながら、今起こっていることを踏まえながら、これから起こることを考えながら、話しているという事実。これが泣かずにいられますかと‥。


放送を聴いて、勢いでnoteを書いてしまった。銀杏のライブが懐かしいなあ。あの頃にライブであった人達は元気だろうか‥などと考えながら一気に書いた。



今まで出会えた全ての人々に もう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう


そうなったら本当に素敵ですね。過剰な自分語りになりましたが、自分にとっては銀杏BOYZというのは、どうしても青春と繋がってしまうため、こうなってしまうのです。

先日、銀杏の新しいアルバムが出ました。また銀杏の新しい音源が出るのをワクワクできるようになった。そうなるキッカケをくれた空気階段に感謝。そして銀杏をずっと続けて良い曲を作ってくれる峯田さんに本当に感謝。


銀杏BOYZは自分のことを歌っている!という感覚になる。それを端的に もぐらさんが表していた。僕も同じ気持ちだと思う。その言葉でこの長い文章を締めたいと思います。


俺が銀杏BOYZだ!!!!!


(以下ゴイステ)って書いたのに一度も使わなかったな‥‥

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