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2021.1.8

新しい年にはなったもののアメリカも日本も世の中がざわざわし過ぎていて皆さんお疲れのようだ。やっぱりこういうときって笑いが必要だ。となるとこの方に出動してもらおう。メーテルとの旅日記をちゃんとした記憶があるうちにと思っていたのでこの機会に何日かに分けて書こう。これは全てノンフィクション。ちなみに最初の写真はメーテルじゃございません。お人形です。

5人兄弟末っ子の夫ぺんちゃんは大学入学と同時に実家を離れ、それ以降は行事の時以外はあまり実家に近寄らなかったらしい。そんなぺんちゃんが私との日本旅行を義母に自慢したせいで旅行大好きの義母も行きたいと言い出した。私も一生に一度なら(メイドノミヤゲ)と色々プランした。まさか後で2回目も行くとは思わなかったがまずは1回目の旅日記を色々あったので何日か分けて書こう。

義母と旅するなんて気は正気か!などと散々友達にも心配されたがサンフランシスコ空港を飛び立ち、到着した日はぺんちゃんの大好きな品川で一泊。恒例の叙々苑でウェルカムようこそジャパン焼肉海鮮ディナーを3人で頂いた。翌日は京都へ向かう計画だ。ラッシュアワーを見たことがない義母が朝の品川駅で言った。「人混みが落ち着くまで待ちましょう。」夫と私は同時に「ノー」。品川駅は常に混んでいるし京都行きの新幹線に乗らなければならない。私達は夫が先頭、義母そして私と一列になり大勢の通勤客の中を鮭のように逆流して進む。チラチラ振り向く夫が突然義母に向かって叫んだ。「Mom I hate your bag!」

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この時、義母はこういうキャリーケース↓を必ず旅行に持って行った。海外旅行を何度もしていると必ず誰もが経験するスーツケース行方不明事件に備えて義母はまず自分の絶対必要なウィッグやお薬などをこの知り合いからもらったと言うあまり丈夫ではなさそうなキャリーケースに入れて機内持ち込みにしていた。夫がこの怪しげなすぐ壊れそうなキャリーケースを嫌いなことはサンフランシスコ空港で見た時からわかっていた。慣れぬ人混みでこのキャリーケースは他の通勤客の足元の邪魔になっていた。危なっかしく歩く義母も心配だったがこのキャリーケースが予想通り通勤客の邪魔になっていて思わず夫は叫んだのだった。

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このキャリーケースは2回目の日本旅行では禁止令を発令し引退させたのでその辺のことはまた別の旅日記に書こう。

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喧嘩していても写真撮影はこの笑顔。旅行中は私が写真を撮ると、フェースブックに早くあげろと言う義母に夫がせかされると言う毎日だった。

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京都から奈良にも行った。このあと鹿せんべいが無くなって「ノーモア ノーモア」と言う義母を鹿たちがしつこく追い回していた。

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夫が行きたがった岐阜城へも行った。ケーブルカーで山頂までは来たが義母が早く歩けないので私は夫だけお城の中を見に行かせて義母とベンチで待っていた。お城も見たかったがなんだか本能寺に行きたくなった。敵は本能寺などと妄想しているとこの看板が目に入った。

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私的にはイノシシよりも強そうな義母に注意だ。見つけたので静かにその場を離れたかった。

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岐阜では長良川沿いのホテルに泊まり、夕食はバイキング料理。普段ゆっくり歩行の甲殻類モンスターは蟹を見た途端、猛スピードで蟹を取りに行く。小走りで蟹を何度も取りに行く義母。レストランの方がお会計の時にシニアディスカウントを下さってその時にこっそり「ディスカウントの方が一番召し上がってましたね。」と言われた。まさにその通りで義母が蟹を歯で殻を割りながら夢中で食べているのを見て私はお腹がいっぱいだった。

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日本のホテルの部屋はバスルームと部屋の段差があるところが多い。旅行中、一人の部屋で義母に何かあって怪我でもさせたら義家族から後で何を言われるかわからないので私から3人同室で行きましょうと提案した。ホテル予約の際、トリプルルームは結構どこの街でも探しやすいし部屋が二人部屋より広いのは良かった。たまにこの無造作に置かれているウィッグには驚かされた。あと丸刈りの夫とウィッグの義母の朝の支度が早すぎて私だけ1時間早く起床して支度した。

この後はいよいよ今回の旅の目的地に向かった。義母の希望を叶えてあげようと色々調べてあげた私に幸あれ。続きはまた明日。

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