映画を2本観た時の「嘘」に関する気づき


昨日、今日と映画をみた。
『とんび』と『ONE PIECE FILM RED』
前者はアマゾンプライム、後者は家族で映画館。

まだ、みていない人はネタバレの可能性がありますので、読まないでください。

たまたま見つけた共通点が「嘘」

相手(こどもの成長)のためを思ってついた嘘。真実を隠すための嘘。
しかし、その嘘ってほんとに相手のための嘘なのだろうか?と思った。

傷つく相手、衝撃を受ける相手に対して、嘘をつく方が「可哀想で我慢できない」「その時どうしたら良いかの不安」というものがあるからなのではないか??
「優しさ」という仮面を被るっているが、「第一次感情の恐れ」が働いていたのではないか??

「自分側から見た嘘」というのが、2つの映画から見えた共通点。

最近、一人称的保育と二人称的保育について考えてるからアンテナが張っているのかもしれないけれど。

この嘘って、一人称的なのではないか?
いろんな理由があって、真実を知ってほしくない人から見た、嘘。

相手のことを思って、知らない方がいいからって建前では言っていうけれど、
この嘘がこじれさせたり、誤解を生んだり、心に深い闇を作ったりしちゃうこともあるんだろうな〜って思う。

二人称的に考えたら、こうした嘘にはならなかったのではないか?

こどもの最善の育ちを考えたとき、
嘘をついて護ることも
事実を知って、傷ついた時に踏ん張る力や知恵を与えることも
どっちもあっていいとは思うけど…

一人称的保育では、
こうした「建前としてのあなたのために」っていうことがゴロゴロ転がっているのだと思う。もちろん「大人都合の保育」よりも少しはマシだけど…

この気づきを2、3年後に見た時に「どう感じるのか」今から楽しみ…

負け惜しみ〜 






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