なぜ書くのか。

最近note見てるよという声をよく聞く。
と同時になんでnoteしているの?とも聞かれる。今日は一つ一つなぜ書くのかについて書こうかな。

noteは投げるだけ。

コミュニケーショはよくキャッチボールに例えられる。相手が言ったことを受け取って、自分の意見を投げる。その繰り返し。私のこのnoteはただ投げるだけである。
たまには緩く、
たまには高く、
たまには早く、
キャッチしたい人だけ受け取ってほしい。多くの人にボールを投げようとは全く思っていない。受け取りたい人だけ受け取って。あなたの見たいタイミングで。

頭の中をごっそり取り出し、見つめる。

書く前は頭の中にぐるぐるがいっぱいある。点と点があちらこちらあり、線もまっすぐではなく、ぐるぐるに回ってどの点を結んでいるのかわからない。書くことによって点と点をぴっと線で結んでいく。でも大切なことは、書くたびに結ぶ点と結ばれる点が違うことだ。これは書いていておもしろい。例えば『感情は言葉を上回るのか。』では言語化するおもしろさを語り、『NOタイトル』では言語化しないことを語っている。経験(点)と経験(点)が違うものであったら、見えてくる線は違う。時には既存のnoteと矛盾することも出てくる。それが書いていて面白い。

noteは思考の一区切り

もともと自己肯定感が低くて、思考し始めると気分が落ちていく一方なので区切りをつけないといけない。その区切りがnoteである。しかもnoteで公にしないといけないので、最後はポジティブに締めを書いて伝えたい。そうなると、私の自己肯定感の低い思考から生まれたものも少しはポジティブになっていく。

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私はどれだけ努力しても人間は分かり合えないと感じているものの、自分のコアな部分が伝わらなかった時にしんどさを感じる。だったら、伝えなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、たぶん心のどこかに期待している。

わかってくれる人がいるんじゃないかと。


だから書くけど、無理に広めようとはしない。わかりやすくはかかない。ただ心からでた言葉だけ並べていく。上手に書こうとも、下手に書こうとも思わない。

だけどPV数は見てしまう笑
最近毎週投稿できているからなのか、PV数が伸びている。伸びているのを見て複雑になる。いろんな人に読まれて嬉しい一方、自分の考えや思考が他の人に影響を与えていることが怖い。もともと、自己肯定感が低くて自分が存在していることが害だと思いがち人間なのに、悪い影響を及ぼしてないか心配になる。

自分の思考の質が未熟すぎて。
自分の考えなんて他人得た情報の組み合わせにしかすぎないのに。
何も誇れるものなんて一つもないのに。

書いていていいのかな、読まれていてもいいのかなと思ってしまう。

noteはあくまで私の個人の意見だ。救われる人がいたら本当に嬉しいが、真反対の意見の人もきっといるし、どちらが正しいかなんてわからない。

それでもだれかにわかってほしいというエゴで今日も書いている。


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