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人生の折り返し地点を過ぎて(前編)

…というタイトルにしておいて何ですが、「折り返し地点」というのもおこがましいよね。今日人生終わるかもしれないし。
ここは目くじら立てず、平均的な人生の長さの半分くらいということで、しばしお付き合いください。

村上春樹の小説で、主人公が三十歳だか三十五歳だかで、「折り返し」と決めて行動するという話があった。歯医者に行って歯のメンテナンス、ジムで体のメンテナンスを始める、みたいな。いやー、村上春樹っぽすぎる。けど。
まずは身体的な問題に取り組む、というのは実際のところ正しいのでしょうね。目に見えるし。

さて、人生後半。
第二の思春期、思秋期とかいう言い方もありますが。
ここからはどうやって死ぬまでなんとか生きていくか、が、わりと重たい問題。
ある程度、自分や世間の取り扱いにようやく慣れてきたし、子どもや親との関わりにも全力じゃなくていい(たぶん)。

バタバタの人生前半が終わってふと我に返ってしまったら……
〈なにものにもなれなかった私〉に気づいてしまう。
それをしっかり描いてくれるのは、名作、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』です。

「格好の日和だなあ、首を吊るといいだろうな……」

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』

ワーニャはこんなことを言いつつ、自殺もしません。

戯曲って苦手意識のある方もいると思いますが、チェーホフのはとってもキャラが立ってて、短めで読みやすいのでおすすめ。
初めて読んだとき、無知なわたしはタイトルからほのぼのした話なのかな〜と漠然とイメージしていたところ…いやいや、かなりヤバいし怖いしすごくわかるし救いがない。
「中年文学」という書評があったけど、言い得て妙。何者にもなれなかったけどあきらめることもできないワーニャ。

終盤、姪っ子・ソーニャの「生きていきましょう」というセリフ(言葉自体は『櫻の園』にもあったと思う)、全然明るくないし前向きじゃないんだよなー。。つらし。
それでも、生きていかなあかんのよね。

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そもそもわたしたちは、全員、生まれるときには何も知らされず、ルールのわからない世界に放り出され、わけもわからず生きて死ぬのですが。
そんな人生のなかで、なんとかしてよろこびを見出すことが、ある意味人生の目的なのかも。

突然、気づいたら生きさせられていた、この人生のわけのわからなさを描いた作家…といえば、やはりカフカ。
2024年は没後100年、ということで、短編集も発売されましたね。

わたしは『変身』しか読んだことがなかったのですが、この短編集でカフカの凄さにあらためて衝撃を受けました。
最初に収録されている『判決』がなんとも言えずショッキングで、読後もなかなか脳裏から離れず…。

最初は、疎遠になっている幼馴染の話題で、あー、文学やなぁ…心情描写上手いなぁ…と一歩引いて余裕のある気持ちで読んでいた。が、主人公の父親がでてきてどんどん覚醒していくところ、「ええええーー???!」と前のめりになってしまい、、、 からの、まさかの結末。

これは、「ほんとは主人公の妄想でした」とか、「じつは父親はなにもしてませんでした」とかいう話じゃなくて、ほんとにただ、書いてあるとおりに味わう話だとわたしは思う。悪夢のような。覚めない夢、イコール、現実なのだろう。と受け取った。

他にも、『火夫』の、船室がどこだかわからなくなるところとか、『流刑地にて』の文字が読めないところとか、果てしなく悪夢だった。
 
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長くなったので、前編はここまで。
中編では、人生の取り返しのつかなさについて書いていきますね。


※画像  テオドール・キッテルセン
noekken som hvit hest .1909 (The Nix as a brook horse)



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