来年度の抱負

 前回は前々回からひと月ぶりでしたが、今回は前回から3ヶ月半ぶりです。その間に割と真面目に3月末締め切りの公募で小説を書いてました。しかし、まだ締め切り前ですがとても間に合う状況じゃないので、今年度は諦めることにしました。自分のイメージを文章に落とし込む力が足りず、表現力のなさを思い知らされました。自分でもかなり大事にしている物語なので、修行して出直したいと思います。決して2月発売のホグワーツ・レガシーに没頭してたわけではありません。

 しかしながら、多くの発見もありました。私は21歳から6年ほどアマチュア劇団で脚本を書いてはいましたが、小説という形式は不慣れでした。演劇でしか表現できないこと、小説でしか表現できないことの制約に惑わされました。その制約の中で、演劇では省略できる描写も小説ではそれが許されない苦しみと、演劇では表現できなかった細かい心情が描写できる喜びを見つけました。

 さて、3ヶ月半ぶりにnoteを書こうと思った契機について話そうと思います。今日は市内のアマチュア劇団の芝居を観劇しに行きました。観劇自体は2年ぶりです。それが刺激となってここに戻ってきました。決してホグワーツ・レガシーをクリアしたからではありません。ちょうど年度末も近づいているので、来年度の抱負も含め言葉にしていこうと思います。

 突然ですが、『自省録』の第四巻一七の言葉を引用します。

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。 
マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子 訳 岩波文庫

 最後の「善き人」がどのような人のことを指すのかが難しいですが、それを考えることを含めて自問自答を繰り返し「善き人」でありたいと思っています。私は短歌なり、小説なり、公募にも挑んでますが、必ずしもプロになりたいわけではないです。とにかくまずは自分の胸の内にあるものを、自分の納得のいく形で言葉にしたいです。そして、それが多くの人に楽しんでもらえたらなお良いですが、とにもかくにも、まずは自分の納得がほしいです。

 話が最初に戻って諦めた公募ですが、自分の実力のなさを自分で自覚しました。だからと言って完成を諦められないので、もっと気軽に文章を書く力を付けたいと思いました。noteの公式も「質より量」などと言ってくる時がありますが、それにならっていけたらと思います。短歌でも小説でも、今回みたいな日記でもいいので、自分の思っていることを言葉にする機会を増やしていきたいです。ちなみに、今日、久しぶりに短歌をつぶやきました。

 久しぶりにアイデアを紙のノートにまとめようと思ったら、長い期間使っていなかったせいかインクが掠れて困りました。確かに、最近はスマホかタブレットしか使わなかったですが、この紙のノートに記す作業をそれほどサボっていたのかと驚きました。昔、ギターを勢いで買ってしばらくは練習しましたが、すぐ触らなくなって弦が錆びてしまったのを思い出します。少年時代は野球をやってましたが、監督は「1日サボれば、取り戻すのに3日かかる」と言っていました。何事も日々の積み重ねが大事と言うのは言われなくとも分かっています。問題は実践できるかどうかです。答え合わせはきっとこのnoteでできるでしょう。がんばります。

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