日本人の宗教性。

今日は大安と一粒万倍日と神吉日というトリプルラッキーデーだった。そしてこの前の3月21日は、年イチレベルの天赦日と一粒万倍日と寅の日という日だったのだが、宝くじ売り場にものすごい行列が!やはり日本人だなぁと感慨深かった。
日本人は無宗教と言われることもあるが、間違いなく世界有数の宗教的な民族である。ヨーロッパでは大きな都市をのぞけば、1つの町に1つの教会と1つの市場、というのがスタンダードである。ところが日本はすごい。数えきれないぐらいの神社仏閣がけっこう小さな町でもある。宗教施設に囲まれて生活していると言っても過言ではない。
なのになぜ日本人は「いえいえいえ。私は無宗教ですよ~。」プルプルプルと頭を振るのか?このようなことがおこるのか?
日本人の中にある「宗教」のイメージと言葉の解釈が厳密な意味では間違っているからなのである。
日本人がイメージしている「宗教」というのは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のアブラハム系宗教における「信仰」のことなのだ!
つまり「いえいえいえ。私は無宗教ですよ~。」と言うのではなく、「いえいえいえ。私は宗教的な人間なのですが、アブラハム系宗教における「信仰」はないですよ~」と答えるのが正確な正解なのである。
「宗教」というのは基本的超自然的存在や現象を基盤に生活すること、またその基盤を確認する儀式をおこなうことだ。
日本や東北アジアの場合は祖霊信仰がまず基盤にあるから、とりあえず「敬う」とか「礼儀を重要視するとか」とか「人が見ていなくてもちゃんとする」という宗教の体系がしっかりとある。
おもてだって参拝しない場合でも、日本人というのは「所作」の中に宗教性や霊性が常に浸透しているのである。それが暗黙の集合知として作用しているので、その所作に内包された肉体的な宗教性を捨てて、アブラハム的信仰の世界に入る、というのは日本人にとってはものすごいエネルギーのいることなのだ。なので「いえいえいえ。私は無宗教ですよ~。(あなたの仲間ですよ~)」と答えてしまうのだと思う。
日本人のそのような内向きな宗教性も、お正月の行事や宮崎駿映画や新海誠映画では「フルに放出してだいじょうぶ」な雰囲気があるので、宗教性がおもてに出てくるのだ。

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