キリスト教映画(特に旧約聖書の出エジプト記)としての西部劇『大西部への道』

オイラは西部劇がものすごい好きである。もっと細かく分類するならば、1800年代から1920年代ぐらいまでのアメリカを描いた作品全般が好きである。西部劇というのは、膨大な作品があって、A級が2割、B級が3割、C級が5割という印象。誰もが知るいわゆる西部劇はA級で、C級は日本ではもちろんアメリカ本土でも現在は一般ではもう観れない作品だ。なので、A級の作品をひと通り観た後は、B級の作品を「うわ〜全然面白くねぇ〜!でも西部劇だから雰囲気サイコー!」と言いながら眠くなりながら観るという状態になる。
こちらの『大西部への道』はカーク・ダグラス主演の立派なA級西部劇だ。とは言ってもマカロニ・ウェスタンに代表される決斗系ではなくて、西部を開拓する移住開拓者の物語。西部を開拓する移住開拓者の物語も西部劇の立派な1ジャンルで、『西部開拓史』をはじめとしてけっこう色々有名な作品がある。実は『大草原の小さな家』もそういう意味で、立派な西部劇。西部を舞台にした作品は西部劇なのである。
この西部開拓モノというのはとにかく荒野を住めそうな所を求めてひたすらハードに移動する。『西部開拓史』をはじめ、自然災害、インディアン、南北戦争、鉄道、ギャング等を題材にした色んな困難や障壁やハプニングがたちあがるのだか、それをスター・ウォーズ風に乗り越えてハッピーエンドというパターンが多い。
『大西部への道』もそのパターンなのだが、その道中のハプニングというのが、エグい。ここまでやるか、というヘヴィーさ。途中でこれもう西部劇じゃなくて、旧約聖書のユダヤ人のそれじゃん!というのが途中でだんだんわかってくる。これカーク・ダグラスは明らかにモーゼで、みんなが目指す西部のオレゴンは明らかに約束の地カナンやんか!とわかってくるのである。
というわけで、わりと似たような映画が多い西部劇の中で、『大西部への道』は旧約聖書を題材にした(とオイラは思う)かなりワン&オンリーな映画だと思う。

すべてのリアクション:
6Jun Ishikawa、武市 公平、他4人


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?