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ノクチル組み分け論ver1.0

 おはこんばんにちわ!いれぶんどす。例によって、これはただの怪文書です(いつもそうです)。つまりいつものクソデカコミュ感想文とは違う、完全に私の憶測と妄想と狂気によって編まれた思考の断片です。つまりFR@GMENT怪文書でありますので、それでも読みたい人だけ読んでください。そうじゃない人は費やしかねなかったその時間を使って何か良さげな豆知識でも覚えよう!ゴリラの血液型はほぼB型しかないとかさ。

ノクチルの組み分け帽子に俺はなる!

 お前ハッフルパフ。お前スリザリン。お前もスリザリン。俺アズカバン。そこの透明感MAXの君たち4人は……ノクチル!!
 そんな訳で私は組み分け帽子になります。は?どんな訳?しかしながら組み合わせを考えるというのは、きっとオタク諸氏はみんな感覚として楽しい感じがしますよね?すぐみんなさくまみだとかじゅりちょことかはづちゆとか、果てはユニットの垣根を超えたやり取りなんかにヴァルハラの幻覚を見出したりするでしょう。実際クソ楽しい。みんな楽しく仲良くやっていてくれればそこから栄養を摂れますので。

 とまあ、オタクの持つひとつのキャラクター消費の形態に、そういった特定のキャラクターとキャラクター2人(ないしはそれ以上)の「組み合わせ」を楽しむというものがあるというのは感覚的に納得頂けるものかと思います。多分。いわゆる関係性オタクとか言われたりするのが分かりやすいかな?
 そんな感覚は当然私にもあって、その感覚を持ってしてノクチルを見る事だって少なからずあるわけです。しかしそういう風に彼女たちを見た時、「天塵」の辺りからずっと抱えてきた感覚がありました。それは、「こいつらどこで組分けれるんだ?」というものです。
 いや組み合わせなんざ好きなとこで分けろよ!と思われるかもしれません。その通りです(敗北)。が、何かどうにもこのノクチルとかいう連中についてその事を考える際に、不思議な感覚を私は覚えてしまっていました。

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 まず、ありとあらゆる組み合わせやカップリングについてその上下や貴賤は無く、その価値はそれを受け止めた側に全て委ねられるという前提で述べさせて頂きますが、私の考えとしてそういったキャラ同士の組み合わせには、ある種の「説得力」みたいなものがあり、それがその組み合わせに強度を持たせる形になるんじゃないかなと思っています。
 例えば天海春香の隣にひとり立たせるとするなら?多くのプロデューサーたちは如月千早と答えそうなものです。双葉杏の隣なら?諸星きらりでしょう。矢吹可奈だったら?北沢志保かな。Mからは…自分みたいなMについての造詣が浅い人間にはまだ語れないか…。勉強不足。
 兎も角そうしたような、メジャーとでも言うべき組み合わせがアイマスには数多く存在します(この手のキャラクターコンテンツは全部そんな感じかもしれませんが)。それは単純に人気があるという風にも言えますが、そこにはその人気に繋がるためのある程度の「説得力」を持つ何かがあり、そしてそれを製作側も分かっていてキャラクターを作ってくる節があると思います。
 分かりやすいのはそれこそ天海春香と如月千早、所謂「はるちは」です。16年かけて磨き上げられた至高。圧倒的な「説得力」を持ちます。ではこの「説得力」はどこから来るのかというのは、どこなんでしょうね(思考放棄)?色々な要因が考えられますが、個人的には「お互いがお互いのキャラを補い合っている」という点が強いかなと思っています。
 天真爛漫で人懐っこいコミュニケーション上手、けれどもドジっ子でそそっかしい春香。生真面目でストイックな歌姫、けれども人間関係やコミュニケーションが苦手な千早。という風にいい感じに正反対な部分が上手く噛み合うようになっていて、それがかなりの「説得力」を持たせているように思います。個人的には先程例示した「あんきら」や「かなしほ」もかなり似た構造であるように感じます。なんかオタクってそういうのに弱くない?この消費の仕方になんかちゃんとした名前付いてたりしない?

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 というような感じで私はキャラクターの組み合わせについて考えます。しかしまあ単純に正反対っぽいからいい感じに組み合わさるっていう話でもないし、あくまで一例に過ぎません。要はそういうキャラ同士の相性がその「説得力」に大きく寄与するであろうという事です。
 で、ようやくノクチルの話をしますが、こいつらなんかその感じがしっくりこなくね?いやでもなんか組み合わせる相手とか状況とかで凄いしっくり来る時もあるな…?という感情がずっと自分の中でグルグル回っていました。皆さんはどうなんでしょう?俺だけ?とまあ、そんな思いがあって、それぞれ3パターンある組分けを考えてみて、まず初見から分かりやすく得られた2組とそこにある「違和感」、残り2パターンではそのように組分けることに対する(個人的に)一定の説得力を持つ雰囲気をそれっぽく書いて吐き出しちまおうという試みで書き始めたのがこの記事です。つまりはオタクのカップリング限界妄想記事かもしれません。極まってきたな?それでは行くぞ〜!後半になるに連れてどんどんぐちゃぐちゃになりそうなのでお気をつけください。

2年生組

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 そういうわけで1組目ですが、透と円香で「2年生組」です。呼称は適当です。とおまど〜!一番分かりやすい組かもですね。
 この2人を組にする理由はとても単純に強いものが多いです。同い年で家が隣同士の幼馴染み、通って来た学校も今通う学校だって同じ、しかもまあ綺麗にパーソナルカラーが青と赤で対照的です。実は透のパーソナルカラーは緑色ですが、もし緑だと考えても緑の補色は赤なので完璧に反対です。赤いきつねと緑のたぬきです。コミュなんかでも2人で行動しているような描写が非常に多く、普段から浅倉&樋口コンビなんだろうと思わせます。このコンビ絶対学校でも有名だと思う。
 え?じゃあコイツらかなり強めの「説得力」を持ってるじゃん。なーにが違和感だよ?という感じになります。実際この2人を見た時、「はるちは」と全く同じような波動を感じた方も少なくないのでは?実際私にも最初は、妙に抜けてそうな透と硬めの雰囲気の円香は、お互いのキャラクターを埋め合う「はるちは」の様に見えていました。

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 でもどうです?なんか違いませんでした?ふらふらする透を円香がどうにかすると思ったら円香もそれに何かブツクサ言いながらもふらっと付いていくだけだし、透の悪ノリかどうかもよく分からないノリには円香も普通に乗るし。しかも【UNTITLED】から見るに円香から透に対する感情はかーなり捩くれている感じもします。春香の抜けてる所を千早がカバーして、千早が動かない所を春香が引っ張っていく、みたいな綺麗な形にこの2人組はなっていないと個人的に今はそう思っていて、それが一見相当強い強度を持つはずのこの「2年生組」の「説得力」を下げているというように感じます。なんか不安定なんですよねえ。
 一体どこでそういう風に思えたのか、考えてみると一番最初の違和感は【ハウ・アー・UFO】かなあと思いました。3つ目のコミュで透と円香が「2人で宿題半分こして写し合う」とかいう選択肢を取っていた所です。いやお前樋口…?透はともかく円香もそういう感じ…?アレ…?みたいになったのをよく覚えています。後は「海へ出るつもりじゃなかったし」で特に何かアクシデントがあってとかでもなくチンタラ歩き過ぎて普通にミーティングに遅刻した辺りもこいつら…ってなりました。初期はこういう時円香はしっかりするしさせる側だと思っていたんですけどねぇ…なんなら円香の方から怠惰であんまりよろしくないやり方に持っていきがちで、その辺の印象は本当に変わっちゃったなと思います。でもなんだか面白い!これからもそんな感じでいいぞ。

1年生組

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 そういう流れからすると今度は「1年生組」、小糸と雛菜です。ひなこいです。とおまどを組にするなら必然的にこの2人が組になります。
 さて、小糸と雛菜を組にする理由というのも、結構分かり易いものでしょう。同い年、小学生の頃からの幼馴染み、今通っている学校も同じ、そして実はパーソナルカラーも正反対です!知ってましたか?色相環とか調べてみて下さい。青紫の向かい側には黄色があるはずです。でもこの2人に関してそういう風に言われているのはあまり見ない気がします。因みに私は小糸のパーソナルカラーは紫とか青紫ではなく「スミレ色」だという拘りを持ちます(クソどうでもいい余談)。なんで私がそんな謎感情を抱いてるのかは感謝祭小糸編を見れば分かります。多分。
 そしてそんな2人も2年生組よろしく、単純にキャラクター的な相性の部分で見ても強い「説得力」を持ちます。「はるちは」型、と言うよりかは「あんきら」の方が近いかな?見てくれ的にも。役割は逆だけど!真面目にちゃきちゃき動きそうな小糸と、マイペースで少しワガママそうにも見える雛菜の雰囲気はそのキャラクターの噛み合わせを感じさせるには充分なものです。きっと雛菜に小糸が振り回されてドタバタしたりするんやろなあ…(予測)。結構典型的ですな。

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 という流れなので、2年生組と同じように1年生組についてもその「説得力」に影を差したように思えた違和感について考えます。まず、W.I.N.G.実装当初の印象とはもう違い、今現在私の考える市川雛菜は周りの人間を振り回したり迷惑を掛けたりする言動はほとんどしない人物です。雛菜は「自分はしたいようにするからそっちもそうして」というスタンスを徹底するので、良くも悪くも他人に干渉しないしされもしないように動くし、それは親しい幼馴染み相手でもほぼ変わりません。つまり、根本的に市川雛菜から発せられる他者に対する要請や期待というものはほとんどありません。そういう意味で、「雛菜の言動が小糸を振り回す」という見方は違っていたんだと個人的には思いました。
 じゃあどういう構造なのかというと、小糸は雛菜の振る舞いに振り回されているのではなく、自分から振り回っている(意味不明な日本語)と言う方が形として近いのだと思います。もし小糸が雛菜の言動を無視したとしても、雛菜はそうだからと言ってその行動を変えはしないはずです。小糸は真面目なので雛菜のマイペースな動きにとやかく言いますが、雛菜に置いて行かれる方が嫌なのでついて行くしかないんですね。そういう状況を側から見ると「雛菜が小糸を振り回している」という風に見えてしまいます。これがみんな大好き【しかえし優等生】で、謎の教師が「市川は福丸の邪魔するなよ」と言い放った原因でもあり、小糸自身だってそういう状況にある程度自覚的だからその言葉に憤慨したんじゃないかな。
 そしてその前提で考えると、【しかえし優等生】で雛菜を無理矢理勉強に駆り出したり、いきなり雛菜の事を置いて走り出したり、【Re:Birth】で教室に忘れ物を取りに行くのに同行させたり、寧ろ小糸の方が雛菜を振り回すパターンの方が多くないか?とさえ思います。感謝祭編や「さざ凡」なんかでも小糸の抱えるものを雛菜は察してそれとなく気遣うような動きをするし、もう今となってはどっちかというと小糸が雛菜にフォローされる形と捉える方が自然な気がしていて、それがこの1年生組の違和感であり面白いところです。「あんきら」と比べて見た目と役回りが逆だな!とか思ってたのに実は言うほど逆じゃなかったっていうね。

未来志向組

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 さてここまで、ノクチルの4人を年次別に分けてみました。これはある意味で彼女たちの初見から感じられる分かりやすい形の印象と、それを細かく見ると覚える違和感について考えてみました。ここからは逆に、初見では読み取る事が出来なかった同士の組み合わせと、その組み合わせの持ち得る「説得力」を補強していく試みを始めます。
 まずその1組目は〜?じゃん!透と小糸です!とおこい〜!とおこい…?あまり見ない単語ですねぇ……!なかなかマイナーな組み合わせかもしれません。個人的には「こいとおる」という呼称でもいいと思います。別になんでもいいか。この2人の組み合わせを私は「未来志向組」と名付けました。文字通り、この2人のもつキャラクター的、もしくはアイドルとしての在り方の部分での共通点は「未来に向かって前進しようとする事」だという風に考えています。

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 まず透は、最近あまり言及がありませんが、そもそもアイドルを始めた動機として「よく夢に見る終わりのないジャングルジムのてっぺんに辿り着きたい」というものがあります。透はおそらく、今までの代わり映えしない日常がこの無限ジャングルジム編を引き起こしてしまっているという風に感じています。そんな透は、過去一緒にジャングルジムを登ったかもしれないシャニP、そしてアイドルの世界に出会った事でもしかしたらアイドルやればてっぺんに登れるかもという思いから新たな世界に飛び込んだのだろうと思います。
 そして実際この世界に飛び込んだ透は、芸能界の勝手こそなーーーんにも分かってないものの、仕事について後ろ向きであったことは私の思う限り一度もありません。「海へ出るつもりじゃなかったし」では一回仕事を蹴っていますが、あれは「自分がやりたくないからやらない」じゃなくて「みんなやりたがってないみたいだからやめとこう」みたいな感じだと思います(それはそれでどうなんだという感じではありますが)。その後実際みんなやりたそうな雰囲気になって、なんとなくやるっていう話になった途端透は急にやる気になったので、透はアイドルとして何かする事自体には基本やる気です。G.R.A.D.編でも同じように感じられますが、透は飛び込んでみたこのアイドルの世界で何かを為す事で、何かが変わったり新しい何かを得られると思っている節があると思いますし、その為に彼女は前に前に、今とは違う未来に進む強い意志がある(ジャングルジムを登る意志がある)と言っていいと思っています。

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 小糸については…いやわざわざ語る必要ある??ってな感じですね。小糸はアイドルになった動機こそ、透と円香が何故かアイドルやるって話になってしまい、置いて行かれるのが嫌で明確なビジョンも無いまま書類偽造してまで283プロの門を叩いたというなかなかの無茶苦茶をしやがった子ですが、今はもう唾を飛ばして説明する必要もないほどのド王道アイドルとして邁進しています。
 小糸はノクチルの中でも特に明確に「自分はこういうアイドルになりたい」「アイドルとしてこうなりたい」という目標を持っています。というかW.I.N.G.編の時点で「自分のように居場所が無いと感じている誰かの居場所になれるアイドルになりたい」とかいうこっちの涙腺ぶち壊し目標を小糸は打ち立てています。G.R.A.D.編でも躓きはしたものの、結局最後は「G.R.A.D.を優勝する、そしてそれもただの通過点にする」とか抜かすクソデカ丸小糸になっててもう最高!小糸は弱かった自分を過去にする為、とにかく目標へと走り続けています。実はもう一番最初に走り出した透も抜き去ってるんじゃない?そんな気がします。
 という感じで透と小糸の2人は、アイドルとしての活動を通して新たな世界、新たな自分を見つける為に未来へ突き進んでいく姿勢が見える2人であると私は考えました。未来志向な2人です。

 じゃあその心構えがありゃ良いよな!これからもアイドル頑張ってくれよな!っていう話じゃないですよね。小糸のことを例に挙げますが、先程「小糸は弱かった自分を過去する為」に未来へ邁進しているという風に書きました。それは確かに小糸がよく言う「成長」なんですが、その「成長」を成し遂げたとして、そこに至るまでの「過去」の弱かった自分の時間って、二度と目を見やることのないであろう無価値なものでしょうか?同じように、もし透が退屈な日常を打破したとして、それまでの毎日同じような事の繰り返しに思えた日常は、果たして本当になんの面白味もない灰色の日々でしょうか?
 そんな風には思えない、というか思いたくないんですよね。私が(欲望)。でもノクチル限界オタクなら分かってくれる人も多いのでは(願望)?別にアイドルなんかじゃなくても、「成長」なんかしなくたって、彼女たちはもう十分過ぎるほどに美しく魅力的な存在だと思います。正直変わって欲しくないという気持ちもあるんだ…。でもこの2人はそれを良しとしないんですね。「さざ凡」で示された「彼女たちが笑っていてくれればそれでいい人たち」的価値観を、俺は否定できねぇ…!どうしても切なくなってしまう…!この2人の持つ未来へ向かおうとする力は、そうやって繋いで来た時間を過去にしてしまうような、そういう切ない側面を感じさせてくることもあるのだと、少なくとも私は感じています。

足踏み組

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 さて、先程の通り透と小糸を未来志向組とすると、残る円香と雛菜が組になります。ひなまど!この供給が来ると狂うタイプの人がそこそこいる気がします。なんか独特の距離感なので変なとこに刺さる感じはする。そんな2人の事を私は「足踏み組」と呼称します。ローグライクゲームでは必須テク。油断して透明なやつとか倍速行動のやつが来て死ぬやつです。この2人は特徴として、流れ行く時の中での変化を望まないという部分があると考えています。つまりその場に留まってしまいがちという意味で「足踏み」と表現しています。

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 まず円香。円香についてその特徴が何より顕著に表れているのは【閑話】のコミュでしょう。このコミュはノクチルの4人がどこかのショッピングモールか何かのフードコートに集まって勉強しようとするけど、なんだかんだ小糸以外は遊んだり駄弁ったりしてるだけになるというもう解像度の高過ぎる高校生の日常コミュです。青春真っ盛りの女子高生が外に出かけて集まって勉強なんてやってられんよな!そんなコミュの最後は、円香はそのなんの生産性もないいつも通りの4人の時間を「自分は勉強だってやればやれるけどやらないだけ」と怠惰極まりない肯定をしつつ、「だからもうちょっとだけ休憩」とモノローグする形で終わります。うーん…この女。
 そんな円香からは、例えノクチルという名が与えられとしても変わらない、このなんでもない幼馴染み4人での「休憩」が続く事を望んでしまう傾向を感じます。それは言い換えれば、「変化を望まない現状維持志向」とでも言うべきスタンスで、彼女のそういう部分は今でチラホラ見えていた気がします。「天塵」の冒頭で、幼い頃に交わした「車を買って海に行く」という約束と自分が今シャニPの車に乗せられてどこかへ向かう状況を重ね合わせながら「降ろして」と言ったことや、同じく「天塵」で透の名を出しながらいつになく不安げに「自分たちはどこへ行くんだろう」とひとり言ちたシーンからも同じものを感じます。ここで語るとクソデカになり過ぎるのであまり書けませんが、【雨情】の2つ目のコミュからもかなりこの雰囲気を感じます。あのコミュは今まで一緒に何かを始めながらも何も続かずに結局ただ一緒にいるだけの4人と、いつまで経っても同じところばかりを練習している下手くそな吹奏楽部を重ね合わせていますが(両者共に足踏みしてるという事!)、円香は皮肉りながらもそういう状況を強く否定しているようには見えません。円香は多分、自分たちはそういうもので、これからもそうであるはずだと何処かで思っているのでしょう。

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 雛菜についても似たような傾向があると思っています。雛菜は一見すると「あれしよう、これしよう」とマイペースに動き回っているので、あまり「足踏み」をしているようには見えないかもしれません。しかし雛菜のそういうムーブ、よくよく考えてみると、その動きの幅がかなり小さいのです。「スイーツ食べに行きたい」「買い物に行きたい」とか、そんな程度の動きしかしません。つまり雛菜の「こうしたい」は目の前の物事にしか向いておらず、それは小糸の「こういうアイドルになりたい」みたいな大きな目標や目的と比べて相当に小さく散発的な目的です。ほぼその場から動いていない、「足踏み」なんです。
 そういう雛菜のパーソナリティが如実に表れているのが【HAPPY-!NG】のコミュだと思います。このコミュで、雛菜は進路調査票を出す事が出来ないでいました(本人は忘れてた風に言ってるけど)。それはやっぱり、変化が怖かったんだと思います。皆さん進路調査票出すの嫌じゃなかったですか?俺は凄い嫌でした(隙自語)。なんだか自分の将来を決めつけるような感じがするし、それで選んだ先で正しいのか?とか思っちゃって書きづらいな、嫌だなと感じた経験が私にもあります。
 おそらく雛菜も同じような不安を抱えていて、それ故に目の前にある刹那的な小さい「しあわせ」にばかりに留まってしまうのかなと思います。同カードでシャニPと一緒に電車を待ちながらジュースを飲んでいた時、ポツリと「アイドルとして成功したらこういう時間も無くなっちゃうのかな」と零していました。更には「シャニPにはあんまり変わらないで欲しいな」なんて言います。雛菜はそういう素振りをおくびにも出しませんが、どこかで未来に対する漠然とした不安を抱えていて、それ故に「足踏み」してしまっているように思えるのです。
 というのが私の考えるこの「足踏み組」の2人に共通する特徴です。変化に対する臆病さみたいなものが感じられ、先述の未来志向組と対極のものとなります。この組分けは「天塵」冒頭で描かれた彼女たちの幼い頃の約束を覚えていた2人とそうでない2人として分けられますが、先述の考え方的に結構納得出来ませんか?しかしながらそういう風に表現してしまうと結構ネガティブな感じがしてしまいますが、まあ実際確かにそうです(無慈悲)。このゲームアイドルマスターなので、良い感じの未来に向かってYOU住MY進して貰わないと困ります。ただ、ご存知の通りこの2人はとても賢いので、いくら自分がそう望んだとしてもいつまでもずっと同じままではいられない事くらい分かってると思います。その感じが良く表現されてるのが【雨情】の3つ目のコミュかなと思いました。いくら雨が降ってるからって、ずっとそこで雨宿りしてたら家にも帰れない、だから小さな傘に2人収まって濡れながらも歩いて帰ったのだろうと思います。そんなどうしようもなく流れていく時の中で、2人とも色んな変化を肯定できるようになっていけたらいいなあ。あと、「足踏み」してるというのはある意味で「慎重派」と言ってもいいので、必ずしもネガティブな役割だけ果たすということにはならないはずです。そしてそれはきっと、未来へ向かっていく2人が溢れ落としてしまうような時間を拾い上げて、大切に持っていることもできるスタンスのはずです。きっと。

夢見組

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 次は最後の組分けになります。最初はまず、透と雛菜!とおひな〜!とおひな…?あまり見な(以下略)。実際とおひなとかいう言葉はあんまり見かけませんが、この2人が絡んでいること自体は結構あるので思考材料はそこそこあります。そんな2人を「夢見組」と名付けました。オイオタク!あのクソザコメンタル炎上ピンク頭とは関係無い!ぞ!!じゃあもうちょい名前なんとかしろってなとこですがもうめんどくさいのでこれでいいです(適当)。この組はその名の通り「夢を見がち」であるという点で特徴を持つ2人です。「夢」というのはふんわりした表現で、未来志向組の持つ「目的・目標」やそれこそ志向すべき「未来」とあまり大差ないのでは?という感じになるので、ここでざっくり定義させて頂きます。この項での「夢」とは、「そこに辿り着くまでの明確な道筋が示されていない、もしくはその実現可能性が相当低い(或いは無い)目的」として扱います。

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 まず透から。先程も少し語りましたが、透のアイドルを始める動機の源流には「夢に出てくる終わらないジャングルジムのてっぺんに登りたい」とかいうアイマス史上類を見ないくらいのやたらとふんわりした想いがあります。これはいくら私のような限界オタクが解釈したところで公式に解答が示されておらず、シャニPや周りの幼馴染みも、そしておそらく浅倉透本人も具体的に理解出来ていない想いであり、一種の「夢」であろうと思われます。
 個人的な解釈として何とか透のこの「夢」を説明するならば「退屈な日常からの脱却」という形で述べることが出来るのですが、いかんせん透自身がそれを為したくともどうすればいいのかわかっておらず、それ故に頓珍漢な事をし始めたりする訳です。まずそもそも、わけわからん声かけてきたアイドルのプロデュース業やってる男に何かを見出していきなりアイドルやるとか言い始めるのも充分やべーやつだと思いますが、例えば【ハウ・アー・UFO】で宇宙人を呼ぼうとしたり、「海へ出るつもりじゃなかったし」でも年が変わる瞬間にみんなで飛べば「ほんとの世界」が見えるとかよく分からん事を考えてたりして、そうやって日常を破壊しようとしています。
 が、現実にそれらはあまり上手くいかなかったりします。結局宇宙人は来ないし、年が明けて数日すればいつもの緩い雰囲気に戻ってしまいます。何故ならその「夢」に辿り着くプロセスとしてそれらは間違っている、もしくは難し過ぎるからです。宇宙人なんて呼んでも来ないし、年が変わる瞬間にジャンプしたからって世界が変わるわけないですね。そういう部分があって、透はいつも何かを求めていながら、どこに辿り着くでもなく同じような日常をぶらついています。また、透のそういう部分が弱みとしてガッツリ出てしまったのがG.R.A.D.編です。透は自分はこの世界に組み込まれた命ではないのかもしれないという悩みから、「自分がちゃんと生きているという事を確かめるために自身の心臓を確かめたい」という「夢」を抱いてしまいます。しかし透は、どうやったら自分の心臓を確かめられるのかが全く分からず、受けれそうな仕事は全部受ける、河原を100周する、大きな湿原に行ったら何か分かるかも、と極端な発想しか出来ずに苦しんでしまいました。透の考え方や価値観は本当に素晴らしくて大好きなんですが、この「夢」を見てしまうという事は、未来に向かって走ろうとする透に危うい側面をもたらすものでもあるのです。

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 一方で雛菜も、透ほどではないにしろ似たような傾向が見られます。というか、分かり易いところで言えば透のそういう部分に乗っかりがちであるというように言った方が的確かもしれません。例えば分かりやすいのは、「天塵」冒頭で描写された「みんなで車を買って海に行く」という透の提案に乗り気だった事です。そこまで非現実的な話ではないにしろ、当時小学生だった彼女たちにとっては相当遠大な「夢」であったはずですが、雛菜はその提案に結構ノリノリだったようで、しかも今現在に至るまでその約束のために一万円札を貯金箱に入れていたことが【游魚】で明らかになりました。ほんと愛おしいな雛菜のこれ。雛菜にとって、あの約束は(少なくとも当時の雛菜にとっては難しかったとしても)叶えたかった「夢」なのでしょう。提案した本人は忘れてたっぽいけどな!
 他にも同じく「天塵」で、雛菜が「これからアイドルとして成功したら大きな仕事が来るのかな、ファッションショーとか?」なんて言うと、透が「パリ(でやるの)?」などといきなり大きな事を言い出したり、直近では283フェスの朗読劇で透が「野球選手になる」みたいなこと言い出した時も、雛菜はそれを全く否定しないどころか、「それ良さそう」みたいな感じで話を続けます。雛菜は透の見た「夢」を通して自分も「夢」を見る節があるのかもしれません。
 また、透を介さずに雛菜自身でもある程度「夢」を見る事はあると言えます。例えばファン感謝祭編で、自分たちのステージでやってみたいアイデアをひとりでずっと考え、ノートにそれらを沢山書き綴っていたようでした。また【Makeup♡Box】でも、シャニPに言われる形でしたが、「いつか衣装やメイクをセルフプロデュースする」という言葉にはかなり前向きでした。別に透の突飛なビジョンに乗って中身の無い話なんてしなくても、雛菜は割と現実的かつ具体的な形で「こうしたい」という想う力を実は持っています。アレ?そうなったら雛菜はここで定義される「夢」を見がちとは言えないのでは?という感じですが、この見解における雛菜の場合は「自分の想いを『夢』にしてしまう」と言った方がいいと思っています。そしてそれは、雛菜が透と性質を異にする故の形でもあります。

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 ここで役に立つのが先程の組分けです。透は前へ前へと進もうとする「未来志向組」です。片や一方、雛菜は変化に踏み込めずにその場に留まりがちな「足踏み組」であると私は定義しました。そしてその姿勢は、あるひとつの考え方として「慎重派である」という風にも書きました。そう考えると、先述の【Makeup♡Box】でシャニPから例の具体的なビジョンを示された際に、「そうするならちゃんと勉強しないと」みたいな冷静な意見を出したことにも納得がいきます。つまり雛菜は、例えそのビジョンがここで定義する「夢」とは言えないような具体的なもの、つまり「目的・目標」であるにしても、その「足踏み組」であるという慎重な特性故に、そこに至るまでの明確明瞭な道筋が示されていないと踏み込めないのです。本来ならば割と具体的な足取りで辿り着けそうな「目的・目標」であるはずのものを「夢」にしてしまうのです。だからこそ、達成困難な「夢」を見がちな透にシンパシーを感じて同調するのかもしれませんね。
 と、いうのがこの2人の場合における特徴です。透はその「夢」に向かう道筋が分からないからいつもフラフラしているし、それなのになんとなく走り出すから苦しむし、雛菜は「夢」に至るまでの道筋が明確に示されない不安感が故に前に進むという選択肢を取れません。そんな2人は学校の屋上や透の部屋で、辿り着けるかどうかも分からないような妙に大きな話だけを膨らまし、遠い青空に視線を向けて「夢」を見出しながら駄弁るだけになってしまいます。それは楽しい可能性に満ち溢れた未来を予感させる一方で、その「夢」を実現させるにはイマイチ上手くいっていない2人の少し不安定な在り方を感じさせてしまうのです。

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 最後の組み分けになります。先程の組み合わせからすれば残るのは円香と小糸!まどこい〜!!これはかなりメジャーな組み合わせでしょう。二次創作の世界でもかなり見かけるし、樋口円香ペナキス概念とかの色々と滅茶苦茶に飛躍した形になりやすい2人です。まあ、実際公式のコミュでも円香の小糸に対する態度は若干にちゅにちゅしているのでこうなるのもある程度は仕方ないです。そうだろヒグティー?そんな2人の特徴は「現実主義的である」という部分です。名前的に分かるかもしれませんが、先程の「夢見組」と対照的な形質を読み取れます。

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 最初は円香からです。樋口円香はリアリストである、と言われてあんまり違和感があるという人は多くないんじゃ?と思います。円香はいつだって冷静で現実に即した鋭い言葉を放つことが多いように思われるかと思います。先述の夢見組のぶっ飛んだ会話なんかに呆れながらツッコミ(というか茶々?)を入れたりするのも円香の役目であることが多いと言っていいでしょう。マジレス勢。悪く言えば冗談が通じないタイプのやつ、良く言えば真面目なやつです。
 そういう円香の部分は、ノクチルがアイドルとして仕事をする、もしくはしたとなった時に良く立ち現れてくるように思います。例えば「天塵」での例の生配信番組についてもその番組についてちゃんと下調べもするし、その仕事を受けれた事について「透がディレクターの目に留まったからか?」とか聞いてくるし、自分たちの事を「矢面に立つ商品」とかドギツい事言うし、現場でぞんざいな扱いを受けた時も「自分たちはその程度の枠だ」とか言うし、それで炎上して干される事を心配する小糸にも「干されたんじゃなくて最初から知名度がないだけ」とか言います。ちょっと物事をネガティブに捉え過ぎな感じもしますが、円香はとにかくこうして目の前の物事に目を向け、冷静沈着な発言をします。更に、何度も出て来た部分ですが、「天塵」冒頭の幼い頃のやり取りの時点でも「車を買うのはお金が沢山かかるし免許だって要る」という発言をしており、こういう円香の物事の捉え方はもはや性分と言って問題はないのだろうと思えます。

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 そしてそれは、アイドルとして仕事をするにあたって決してマイナスに働くだけの部分ではありません。円香はアイドルやることについて口ではとやかく言いますが、まず第一に「自分はアイドルになってしまった」というリアルをしっかり受け止めている様なので、アイドルとして求められる振る舞いや仕事に関してそのラインを下回ろうとはしない、というか寧ろ求められる以上にやろうとする事すらありますよね。樋口円香とかいうやつ、実は自主練の鬼だったりするし、やると決まった仕事を怠けたりした事もないです。真面目な子ですよ本当に。
 しかしそうなってくると、「足踏み組」の項で円香の事を「怠惰」と表現した事と矛盾するように思えます。が、これなかなか説明しづらいんですけど、「怠惰で真面目なやつ」というのは存在します。余裕があるとグダグダしてるのに、いざ特定の状況になると急に真面目になるタイプの人。レポートを期限ギリギリにしか書けないくせに内容は妥協出来ない奴。多分円香ってそういう感じの、「現実が差し迫ると動き出す」みたいなタイプです。結局、その場で「足踏み」し続けるというは不可能で、動かなきゃいけなくなる現実が迫ってくると抗えません。それが【雨情】の3つ目のコミュで示されたものでもあろうという事は既に述べました。
 そうやって迫り来る将来を先送りにしがちな雰囲気を持つのは同じですが、そのやり方が違うという部分でこの「足踏み組」の2人がここでは分けて考えられます。まず、雛菜に関しては「現実から目を逸らす」という形で「足踏み」します。「進路調査票」を書くことを先延ばしにし、目の前の小さな「しあわせ」を優先して動くことは彼女の目を迫りくる「しあわせ」じゃないかもしれない現実から逸らさせます。雛菜がそういう風に現実を目を背けようとにしているのならば、先述した透の突飛な「夢」に乗っかりがちであるというのも、もしかしたら一種の「目逸らし」なのかもしれませんね。

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 片や円香の方は、現実から目を逸らしたりはしないのですが、その現実を「事も無げ」にこなして見せたり、シニカルに笑い飛ばしてみたりすることで余裕を出し、「まだここに居てもいいでしょ」という感じで未来を先延ばしているように見えます。【閑話】での「自分は何でもそれなりに出来る」「だからもう少しだけ休憩」発言はこういう事なんじゃないかな。

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 小糸に関しては…いやあんまり説明する必要なくない?分かりやすくて助かります。小糸も透や雛菜と比べ、円香と同じように現実を見るタイプです、というか現実を必要以上に重く受け止めるタイプと言ってもいいでしょう。地に足がついてると言えばそうですが、むしろ足が埋まってるくらいなのが小糸だと思います。
 小糸は「自分が劣っている、間違っている」という風に考えられてしまうような事が目の前で起きるとすぐ凹みますが、あまりにもそうやって劣等感に苛まれ続けてきたせいか自分の置かれている現状に対する心配事が多いです。「天塵」でも「自分だけが出来ていない」とか「干されちゃってどうしたらいいんだろう」とか、かなりネガティブにですが現状を評価して色々と考えます。

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 しかしながら問題なのはその「ネガティブに受け止め過ぎる」という部分だけであって、小糸のそういうリアルを受け止める姿勢は彼女自身どころかノクチルに全体に良い影響を出していると思います。夢見組は当然のことながら、リアルを受け止める側の円香に至ってもあまり前に進もうとしない(進めない)この不良どもにおいて、小糸だけがしっかりと「どうすれば?どうしよう?ああしたい、こうしよう」と色々考えながら前に進む姿勢を強く見せてくれます。G.R.A.D.編や【おみくじ結びますか】なんかでも、小糸は自分の置かれてる現状を落ち着いて整理して気持ちさえ作れれば、「自分(たち)が今したいこと、出来ること、すべきことはこれだ」という答えをしっかり出してくる子の様に思えます。その力は「さざ凡」でも遺憾無く発揮されましたね。そういうとこが大好きなんだ(突然溢れ返る感情)。

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 そしてそういう部分が、同じ未来志向組として考えた透との決定的な差異でもあります。先程、透は遠いところにある「夢」を見てしまうために上手く道筋が示せない、そしてそのせいで躓く事もあるという話をしました。小糸はそうではなく、目の前の「リアル」を(必要以上に重く)受け止めるため、そういう何か自分の求める「夢」ではない「目的」への道筋を見つけることが出来ます。ただその重く受け止めた現実のせいで足取りがフラフラしちゃうんですが…。この差が決定的に出たのが「さざ凡」での、4人の眠れない由緒ある寺での夜の会話でした。数少ない透と小糸が2人きりで話すシーンです。あの場面で透は小糸から「自分たちが視聴者や番組にどういう事を求められているのかわかった?」と問われましたが、その問いに透は何ひとつ言葉を紡げませんでした。あの時透は小糸にそう問われるまで、「この番組の関心、需要」「自分たちがタレントとしてどう振る舞えば撮れ高があるか」とかの部分をほとんど考えず、その先にある番組が放送された後の結果の方に目がいってしまっていたように思えます。こういう部分で、上を見ながらフラフラしている透と、心配事や劣等感に苛まれ俯きながらよろけながら一歩一歩少しずつ前に進む小糸では、同じく変化ある未来を期待するにしてもやはり異なる姿勢だと思えます。
 さて、他の組について絡めたりしたのでぐちゃぐちゃと長くなりましたが、円香と小糸に共通して感じられる部分について書きました。双方ともに目の前の現実を見て、受け止めます。それはフラフラしがちな夢見組の地盤を固めるという意味では心強いですが、2人ともその現実をネガティブに受け止めがちなのは問題でもあります。たまには上を向いて、明るく楽しい「夢」を見たっていいんだぞ、円香も小糸も。

まとめ

 いかがでしたか?いやいかがでしたかじゃないが?お分かりかと思いますが、ご都合マシマシ限界オタク考察チョモランマ怪文書なので、もう自分で書いてても「なんだこれは…」みたいな感じです。なので取り敢えず適当にまとめます。
 まず最初の年次の組分け、つまり初見時点でアイマスのオタク的文脈に則って感じられた組分けについては、そこにある違和感について考えました。「なんかこいつら外から見ただけではわからん謎の関係性があるぞ…」と感じさせたのが最初の出発点です。というかシャニのアイドルはみんながみんなそういう分かりやすい印象を前に出し過ぎた見方すると痛い目見るアイドルばかりですけどね!そしてオタクの悲しき性-SAGA-により色んな残り2つの組分けについて色々と思考を巡らしてしまったんですね〜。
 そういう訳で、「未来志向組と足踏み組」、「夢見組とリアル組」という適当極まりない名前で2パターンを考えました。個人的にはこの分け方と考え方はしっくり来ていて、そういう風に切り分けた時に結構面白い事になるという部分だけぶちまけてまとめることで終わります。それまとめって言うか?

 「未来志向組と足踏み組」「夢見組とリアル組」、これらはそれぞれお互いに反対と言っていいような特質を持つ同士で2つに分けられています。そういう風な流れで書いてきたつもりです。その構造を持ってして、拡大解釈大爆発で考えたい事が2つほどあります。まず1つ目は彼女たちの関係性についてです。
 「未来志向組」は過去を振り返りその場で足踏みしてしまう「足踏み組」を「前に進もう、きっと良い未来が待っているよ」と手を引いてあげられるはずです。逆に「足踏み組」は、前へ前へ進む「未来志向組」に「貴女たちが未来へ進もうとして繋いできた時間は決して無価値なものではなかったよ」と言ってあげられる存在だと思います。もう一方での場合、「夢見組」は「リアル組」に「俯いてばかりでいないで、もっと楽しい夢を見ようよ」と顔を上げるように促し、「リアル組」は「夢見組」に「楽しい未来も大事だけど、そのために一歩一歩踏みしめていこうよ」と道筋を作れるはずです。
 つまり、この組分けはどちらにしろ、お互いにその欠点を埋め合いうまい具合にバランスを取り合う形になっているように思えます。……ん?いやこれ……この記事の最初で語った「はるちは」「あんきら」「かなしほ」辺りの形と全く同じじゃね?そう!こういう風に考えるとこのノクチルとかいう連中は完全にこの型にハマれます。
 私はノクチルを見た目通りの「2年生組・1年生組」に分けた時、違和感を感じてしまう、でも場合によってはこの4人は凄い噛み合っているように思える、というように感じていると本記事の最初の方で述べました。その感情は分かりやすく言えば、「ぱっと見の印象からは違う微妙に歪な関係を感じさせつつ、何をどうしてもこの4人の関係には絶対に崩れない何かがある」と思えたと言えるのですが、そういう風に思える理由は、この2パターンにおける噛み合わせが完璧に噛み合っていたからだと考えたのです。そういう外見からは見て取れず、しかし角度を変えてみると見えだすような、奥にある深い深い関係が彼女たちを結び付けているというのは、なんか凄えエモい!!エモいんですよ!!明確に理由もなく、ただ一緒にいるだけで他者には分からないほどに深いところで繋がっている、それってなんだかとっても「幼馴染み」って感じしませんか!?彼女たちを見てると感じる、なんだか型にハマらないように見えるのに、何人たりとも入り込む余地も無いほどの完成された美しさを感じてしまうのは、こういう構造があるんじゃないかなと思ったんです!

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 そして最後にぶちまけるのは、この2パターンにの組分け自体の共通点とそこからの限界妄想です。「未来に向かう事と夢見る事」「その場で足踏みをする事とリアルを見詰める事」と、共通する部分を考えるとこういう風に分けられます。共通する部分とは?「未来に眼差しを向ける事」と「現在・過去に眼差しを向ける事」であると考えます。
 つまりこの2パターンの組分けはどちらも、「未来」と「現在・過去」との対立になっています。「ああなりたい、ああしたい」という思いと、「こうだったよね、こうするのがいいよね」という思いが良い感じに両立しています。さて!ここで!L@YERED WING07の新曲について、思い出して下さい。「僕らだけの未来の空」「今しかない瞬間を」、ですよね?これ、「未来」と「現在・過去」を歌っている歌だと思えませんか?俺は思えます(断言)。
 ノクチルを考える時、そこにはどうしても彼女たちの「変わっていく時間」と「変わらない・変わって欲しくない時間」があると思います。そしてそれは、どちらも捨て難いものです。でもそれはどちらも捨てないでいいんじゃないか?どっちも成り立つんじゃないか?と、私はそう思ってしまいます。そう思わせてくれるのは,彼女には「未来」へ向かう力も、「現在・過去」を大切にする気持ちも、そのどちらもが4人の中に良いバランスで在るからなんじゃないかなと思うんです。そしてそれを歌ってくれたのが、このノクチル2年目の歩みのメルクマールだと思うんです。
 先述の関係性の話も相まって、そういうバランスの良さって「説得力」を持つじゃないですか。そしてそういう「説得力」って、「希望」を感じさせるじゃないですか。きっとこいつらは上手くいくって。間違いないんだって。私はそれを信じたくって、こんなものを書いたのかもしれません。ノクチルに狂わされ過ぎだろ俺。でもこれ、めー↑っちゃ楽しいよ!

感情置き場

 いかがでしたか(禁断の二度打ち)?どうかと思うくらい私見乱れまくりの憶測世界を展開してしまいました。取り敢えず3つほどそれらしい言い訳をさせて下さい。
 まず1つ目、なぜこんなん書き出したかというと、暇になっちまったからです。【ピトス・エルピス】以降間が空いてしまったので書き始めました。いつもは何かあると「書かなきゃ…」ってヒィヒィ言ってるのに、いざ何もないと何か書きたくなる。人類は愚かです(バカデカ主語)。
 2つ目は、こういった形でのスキームを恥ずかしげも無くインターネッツに提示する事で、もしかしたらノクチルを考える上で誰かに何処かで何かに役立つ事があるかもしれないという思いもあったからです。
 そして何よりの3つ目の理由は、この辺りのタイミングでこの考えは吐き出さなければならないと思ったからです。そしてそれは、間違いない判断でした。この記事をここまでまともに読んだ狂人で、それでいてつい先日のLP編までもう読んでるノクチルのオタクなら思う事かもしれませんが、この記事の考え方はもう割と古くなってきていると思います。これ書き始める前にLP来てたら多分書けてなかったかも。
 透は少しずつ、自分の目指す理想のために自分が何をすべきか、どうしたらそこに辿り着けるのかを考えながら進むようになっています。円香は円香で、「激情」を解放したことによって「残酷な才能」だけでは実現できないような高みを見るようになりました。小糸は最初からそうですが、簡単には実現出来なさそうな未来でもそれを達成するために走り出しました。雛菜も他者や迫り来る変化を受け入れ、その中でより「しあわせ」になる為に考え方をアップデートしています。そういう彼女たちの変化が、G.R.A.D.編実装以降ここに至るまで色濃く描かれてきた気がしています。
 つまりこの記事は、もう既に「過去」になりつつあります。遺物〜。でもまあ、それでいいわ!例えもし、この4人がアイドルなんかやらなくて完成されていたとしても、そのまま何も起きないんじゃこのゲームがアイドルマスターである意味なんてないんだから。変わりゆく彼女たちには、きっとこれまで以上のしあわせな「未来」があると信じたい!それ故に俺も「現在」の気持ちを吐き出しておきたかった!それだけ!以上!解散!!相変わらず長ったらしいだけの怪文書でした!!

 なんにしてもここまで読んでくれた方、もしいらっしゃるなら人生の貴重なお時間を頂きありがとうございました。またどこか良い感じの着地点で会いましょう。それでは〜。

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