「パルプ・フィクション」適応障害ニナッチャッタヨー


だいぶ更新していない。
その間に適応障害になってしまった…。
今は治療の甲斐があって落ち着いてきている。

適応障害については
睡眠障害や食欲の減退、思い込みとやる気減退が激しくなるものと認識してもらえればと思う。

原因は劣悪な職場だ。
知り合いには同情されるほど劣悪なので同しようもないなあと諦めている。
(今は部署を異動している)

ただ、適応障害になりやすい気はあったので職場とめぐり合わせが悪いように思う。

例えば、精神が不安定なときほど計算能力が落ちてしまうのだが、私は高校数学がめっぽうできなかった。
公式はわかるし理屈もわかるのに筆算が間違え全てなし崩しにだめになり点数が取れないのだ。
しかもどれも筆算ができずというところがあり、自分でも何かあるのだろうなと思う。

数学の成績が芳しくなかったり急に悪くなったら注意が必要だと少し強調する。


また、浪人期には講師の謎の演説を聞くと気持ち悪くなりそれのせいなのか成績が振るわないことも多々あった。
普通の人が流せるような内容が流せないし、自分のことのように強く思い自己評価が落ちて何もかもだめな気がするのだ。

講師は無口な人に限るとまた強調する。

性格にしても、私は気持ちが落ち込みやすく、ミスや大事な場面に影響されやすい。誰でもそうだが、そう言っておく必要があるほど病みやすいのだ。
また、一度病みのエンジンがかかると行動が鈍り物事を軽く受け取れなくなる。階段を上るのに一苦労する。
たぶん、何かあるのだろうなと思う。それがどんな病気なのかは判然としないのだが、人と比べると普通ではない時が多いと思う。




前置きが長くなってしまった。
私は具合が悪いときほど
「パルプ・フィクション」を見てしまうというのが本題なのだ。
風邪を引いたときや、息抜き目的で見てしまう。

パルプ・フィクションがどういう話で、具合悪いときと相性がいい部分をこれから書く次第だ。


以下
・パルプ・フィクションとは
・パルプ・フィクションを具合の悪いときに見る理由






パルプ・フィクションとは



「パルプ・フィクション」は
タランティーノの超有名映画だ。
ジョン・トラボルタとブルース・ウィルスと
サミュエル・エル・ジャクソンが出てる超有名な映画だ。

内容はオムニバス構成だ。
軸となる話が2つある。

1つはジョン・トラボルタがメインで進む。
ジョン・トラボルタはサミュエル・エル・ジャクソンとコンビの殺し屋だ。役名がビンセントなので以下ビンセントとする。
ビンセントは組織のボスの妻の一日警護を任される。このボスの妻は色々言われがあり、かなり怪しい仕事だ。めっちゃトラブルに合う。

よくファンの中で言われるのが、過去の話が中心となるところだ。
ビンセントがデートする場所が懐かしいスターたちがサービスをするダイナー(キサラを思った)であることや、会話の中心がボスの妻の言われであることだ。


2つめはブルース・ウィルスがメインの話だ。
ビンセントたちの組織のボスがボクサーのブッチ(ブルース・ウィルスが演じる)に八百長を持ちかける。
しかしブッチは約束を破って八百長試合の対戦相手を殺してしまい、組織に追われる身となってしまう。

この話は先程の過去と対比されて未来の話と言われている。未来の出来事のようなつながりがあるブッチの夢の内容や逃亡話がそれに当たるだろう。

パルプ・フィクションを具合の悪いときに見る理由

これは、ちょうど良さに尽きてしまう。よく眠れたときの悪夢だ。
構成が大変いいので悪夢なのに見れてしまうところだ。
普通に表現したらおそらく半分も経たない内に見るのをやめるだろう。

もう、良作ゆえに見てしまうのだ。

もう一点は具合悪いときのあるあるが内容に詰まっている点だ。
私が好んで見る大きな理由でもある。

というのも、
ビンセントの話にしてもブッチの話にしても
崖っぷちで精神状態が明らかにおかしいのだ。


ビンセントは殺し屋だ。
それは精神衛生上良くないし、ビンセント自身先がないと感じている上にヘロインに手を出している。
そんな身の上のビンセントがもらった話が組織のボスの妻の警護だ。
このボスの妻はいわれがあるといったが、なんとボスの妻と関わりがあるものは殺されたり半殺しに合うというのだ。

ビンセントのように
よくわからないことに関わるときというのは
異常におかしな妄想が働くし、疑い深くなり普通らしく振る舞うのもかなり大変だ。
それがよく表現されていて…
私はかなり落ち着いて見ていられるのだ。
具合の悪いときのあるあるがつまっている。

また、そんな具合の悪いとき限ってヘマをして泥をかぶるんだよなあ(そういったオチなのだ)と
かなり感情移入してしまう。

ブッチの場合は、
自分の明らかな過失で危機に立たされるときのあの感じがとても良くわかる。
悪いことをしてしまったから
こうしよう、ああしようという考える事象
レベル99といったところだ。

そんなときに限って思っても見ないことに見舞われるというオチで
また私は感心してしまう。


映画の話ではないが具合の悪いあるあるに
ノンフィクションというドキュメントがある。
ただそれを見るとき、私は人間の身近さを感じ取ってかなり具合の悪さを増長させてしまい逆効果なのだ。
割り切って見れるような爽快さが大切だ。つまりエンタメだ。


具合の悪さとエンタメの爽快さはやはりパルプ・フィクションくらいしか持っていないと私は思う。

そういうわけで「パルプ・フィクション」をみている。

以上が本文だ。


具合の悪いあるあるとして
「パルプ・フィクション」を選ぶのは私くらいなものだが、
言わずもがなとても面白い映画だ。


救いのないバッドエンドというわけでもないし、
かといってハッピーエンドでもないけれど
タイミングを選ばず見られる映画の一つだ。

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