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「人生」でくくってものを見る

タイトルの通りなんですけれども、
人って一人の人生を「人生」っていう括りで
どうしても見れない生き物なんですよね。

「今」売れっ子だから!と
わーきゃー周りから囃し立てられ、
こんな歳にもなって引きこもりだからと
ダメな大人扱いを受けたり。

はたまた売れっ子だった人が
突然殺人事件起こして刑務所行きになったら
「あの人あんな人だったんだ」と
異常者扱いに変わり、
いい年して引きこもりがちだった人が
もう少し年を重ねて
充実した日々を送るようになったら、
充実してていいな〜なんて
羨ましがられたり...。

結局のところ人は
「今」の状況や環境で人を判断しがちで、
それは自分も苦しめるし、
それは何よりも相手に対して
失礼だとも思うんですよ。

最期の最期まで引きこもりを貫き通した人は
やっぱり、あぁ引きこもってた人生だったね。
で終わってゆくし、
どこまでも前進し続けて最期を迎えれば
何事にも挑戦し続けて終わったね。と
言われるわけです。

普通に生きていれば人生数十年
誰しも生きるわけだから、
あくまで「今」調子が乗ってる人も、
停滞してる人も、数十年の中の
通過点がただ「今」なだけにすぎないんですね

周りの人を見て羨むも
喝入れるも見放すのも自由だけれど、
「人生」で見れば「今」があったから
繋がった未来も存在するし、
壊れる未来も存在する。

「今」の状況が心地よいものであっても
そうでなかったとしても
「今」を大切に生きつつ、
そして「今」だけにとらわれないような
見方も同時にしていきたい。

汚点は目立つものだけれど
広くみれば汚点は汚点でなく、
有り難い修行の一点に過ぎないのです。

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