学術会議の新会員任命拒否に関する論理的考察
日本学術会議 についての議論が多い。Twitter上では、人事介入に抗議するしないから、解体論まで出てくる。一方、メディアでは、ほとんどが「人事介入に抗議する」という論点である。私もTwitterのいくつか投稿したけれど、論理的にまとめてみる。
学術会議について
学術会議は1949年に設立された。学術会議法では、内閣総理大臣の所轄で、経費は国庫の負担であるが、科学者の代表機関として、独立して、科学に関する重要事項を審議し研究を推進することが目的である。政府は学術会議にそのための諮問をすることができ、学術会議はそのための勧告をすることができる。
学術会議の役割のうち最も大きなものは、政府と学会との橋渡しである。例えば、国際会議などをひらく時や大型のプロジェクトなど、学会の予算では賄い切れないことが多々ある。このような時は学術会議が科学者たちの現状を政府に伝えてくれる。これについては、小松彦三郎は学術会議は1990年の国際数学者会議が成功に欠かせなかったと述べている[1]。
スウェーデン 王立科学アカデミーなど、世界各国にある科学者を代表する機関と目的等は同じである。欧米のアカデミーは、その独立性を維持するために。政府などからの援助も受けるが、政府以外からも資金調達をする。一方、学術会議は全て国庫から予算が出る。また、報酬の出ないアカデミーが一般的であるが、学術会議では多少ではあるが報酬も出る。アジアのアカデミーは日本と同じ形態が多く、中国科学院など政府機関になっているところもある[3]。
学術会議会員の選出方法の変遷
学術会議の会員は、設立当初、全国の科学者たちの選挙で選ばれていた。「学者の国会」と呼ばれている所以である。しかしこのやり方が政権に批判的な会員を生むと批判されていた。1983年から、全体の選挙から各分野での学術会議員による選挙に変わった。その時に政府は答弁で「形式的な任命」と言っていた。しかし、所詮は選挙。何ら変わることはなく、政権に批判的な会員を生むという批判は続いていた。
2005年から現在の形、すなわち「会員が推薦し総理が任命する」という形に落ち着いた。学術会議ではコオプテーションと呼ぶ。各国アカデミー等調査報告書 ([3])によれば、一般に欧米では会員が選出(推薦とどう違うのか悩む)した者を投票や選挙で選ぶことが多い。選出されないケースがどのくらいあるのかは不明である。インドなど、政府が直接任命するところもある。スペインと中国のアカデミーが日本と同じコオプテーションを採用する。
会員が推薦するということは、新しく選ばれるメンバーはその会員がよく知っている人ということになる。もしその会員が批判的ならば、引き続き批判的な者が推薦されることになるので、問題が全く解決されていない。むしろ選挙なくなったことで、反対派によって落とされることもなくなった。
学術会議がなぜこのような形式に変えたのかは不明であるが、結構な数の会員がコオプテーションを進めていたことだけは確実である。
第7条の論理的解釈
菅総理は2020年の新規会員の選出にあたって、105人のうち6人の任命拒否をした。今までは、推薦されれば確実に任命されていたのだから、選に漏れた人たちと推薦した者たちはさぞ落胆したであろう。中には怒っている人もおり、メディアがその人たちの声を盛んに取り上げていた。
学術会議法第7条には、「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と書かれている。この文は法律の条文なので審議を決定できる。したがって、論理的命題である。そして、条件文である。どちらが前提で、どちらが結論であろうか。
この文の解釈のキーワードは「基づいて」である。「基づいて」は、通常、根拠としてという意味で用いられる。例えば、「経験に基づいて行動した」という形で使われる。この文は「経験があったから、行動した」という意味ではなく、その「行動した」のはその「経験があったから」という意味である。「行動した」のが前提で、「経験があったから」すなわち「経験に基づいた」が結論になる。
したがって、第7条は「推薦に基づいて」が結論、「内閣総理大臣が任命する」が前提となる条件文である。定型的な書き方をすれば、「内閣総理大臣が任命したならば、推薦された者である」ということになる。
論理的条件文が真となるのは、前提が偽又は結論が真の時である。
総理大臣が任命する時は、前提も結論も真となるので、第7条は真である。また、任命しない時も前提が偽になるので、やはり第7条は真である。つまり、論理的には、総理大臣は推薦された者を任命してもしなくても第7条と矛盾しないということである。
「前例がない」ことをするのは悪いことか
反対者が述べているポイントは「前例がない」ことである。任命を拒否された六人のうちの一人、加藤陽子・東京大学教授は「前例のない決定をなぜしたのか、それを問題にすべきだ」とコメントをしている。しかし、既に示したように、これは論理的ではない。総理大臣が任命しないということは、確かに前例のないことである。しかし、矛盾はしていないからである。
また、船田元・元経済企画庁長官は、政府の形式的な任命を「直近まで有権解釈として政府が受け継いできたはずだ」と言っている。しかし、この解釈は1983年度からの分野別選挙制に対する解釈であり、2005年に変更された選出方法に適用することには無理がある。
2017年になって当時の安倍首相が105人よりも多い推薦者名簿を受け取り、その中から105人を選んだようである。選に漏れた人たちは、推薦されたけれども、任命されなかったわけである。この時点で、新しい解釈が生まれたと考える方が自然である。菅首相は、この方式を踏襲したと言える。
科学の視点からすれば、なぜ前例通りにしなければならないのか、という疑問が残る。前例がある、というのは、過去にそのような解釈を与えた者が居るということである。
科学の基本は自分で確かめるということである。前例があるのならば、それが果たして正しいのか、確認する必要があると思っていし、実際に確認する。
脚気という病気がある。明治時代は原因不明の大病であった。毎年脚気によって1万人が亡くなっていた。陸軍で脚気が流行した時に、陸軍はドイツ医学会の結果を前例に細菌が脚気の原因であると考えていた。鈴木梅太郎は脚気の原因は、ビタミン不足であると訴えたが、森鴎外らが前例を盾に却下した。鈴木は、前例にとらわれずに、自分で観察を行ったので、真実に辿り着くことができた。
このように。前例前例と言っていると、真実がいつまでたっても見えてこないばかりか、学術会議の重要な役割りの一つである、政府への勧告ができなくなる恐れがある。また、科学者たちの研究する意欲を削ぐことにもなりかねない。
学問の自由は侵害されているか
志位和夫・日本共産党委員長や、枝野幸男・立憲民主党代表、田中優子・法政大学総長、大西隆・元学術会議会長のなどは、学問の自由に対する侵害で、憲法違反であると主張している。では、「学問の自由に対する侵害である」ことは、「学術会議に選ばれなかった人がいる」と言うことの論理的帰結なのだろうか。
学問の自由は、憲法で保障された権利である。これに対する侵害というからには、自由に学問ができる状態ではなくなった、ということになる。戦前は、軍部が研究内容を指定して、有無を言わさずやらせたらしい。やらなければ、逮捕されたり、所属している研究機関を追い出されたりして、研究ができなくなった者が多いと聞く。今回は、学術会議のメンバーに選ばれなかっただけである。逮捕されたわけでもなく、所属している研究機関を追い出されたりもしていない。したがって、引き続き、研究に従事できる。
また学問の自由を懸念している者はほとんどが共産党系の団体及び個人である。田中の話はしんぶん赤旗に載っていた。
そもそも学術会議法第3条に、「重要事項を審議し、実現を図り」、「研究の連絡を図り、その効率を向上させる」とある。したがって、学術会議は、学問をする環境を整えることが主だった職務であり、研究をするところではないと考えられる。小松や海部も学術会議にそのような役割を期待している[1、2]。
したがって、学術会選ばれなかったことは、学問の自由を侵害したことにはならないと結論できる。
海部宣男は[2]で、学術会議のおかげで、逆に自由な研究ができにくくなっていると主張する。実際、学術会議は軍事関連の研究をしないと宣言している。北海道大学が防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募していたが、学術会議の圧力で辞退していた、という報道もある。軍事研究だからといって、研究をさせないということは、学問の自由の侵害である。
説明責任は必要か
日本学術会議は任命しない理由を説明せよ、と要望を出している。首相には説明責任がwると主張している評論家もいる。[4]には、任命されなかった場合に理由を説明せよとは書かれていないので、説明する義務は全くない。自分がこれはと思った人たちが、首相に落とされた、おかしいじゃねぇか、と、どこかの落語家元のような感情が強いのだと思う。
終わりに
以上が反対派の主張の主だったものである。新聞やテレビでは、政府側が不利のように報道されているが、SNSでは逆に反対派が不利のように描かれている。また、反対派も、その輪を広げているように思える。と言うことは、反対派が不利な状況にいることが推論される。川勝平太・静岡県知事は、「菅総理の強要レベルが露見した」とコメントしてる。これは、菅総理に対する誹謗中傷である。反対派も総理に対して個人攻撃をしなくてはならないくらい論理的なネタが無くなったと推測される。
資料
[1]小松彦三郎 「第21回国際数学者会議について」https://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301001-008.pdf
[2]海部宣男 「日本学術会議と日本の天文学」天文月報
[3]日本学術会議 「各国アカデミー等調査報告書 」
[4]日本学術会議法