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あの日、妊娠4ヶ月でした【my story 1】


今回から4回でお届けする my  story. 

表面的にはうまくいってる風に生きていた私が

強さも弱さも出しながら

自然体で生きられるようになった9年の変化。


人の目ばかり気にして

行動していたところから40代に入って

15年のライター業 → 心理コーチに転身。


本音に向き合うことで

ダメな自分を隠さず、どんな自分も肯定して

ファンができるあり方に変わるまでを伝えます。


***************


人生が激変するきっかけとなった

2011年3月11日。

私は第2子を妊娠していました。


家から海が見える湘南のマンションに暮らし、

フリーランスの編集&ライターとして働き、

仕事も順調。


誰もが知る大手出版社から

自分の編集した本が出版されたばかりで。


大きな夢を叶え、さらに

3歳の長男に弟ができたと

喜んでいた矢先のできごとでした。


悪夢のはじまり



どんっ!



突き上げるような衝撃とともに

その瞬間は突然やってきました。


2011年3月11日。


家で仕事をしていた私は

体験したことのない大きな揺れに

びくりと反応しました。



いつのまにか、2mサイズの

ダイニングテーブルが

右に左にゆっさゆっさ揺れはじめ、

天井からつるしている照明も

波打ちはじめました。



「なにこれ…」



お腹の中にいる子を守るように

とっさにテーブルの下に身を隠し、

大きな揺れがおさまるのを待っていました。



震源地は、、、どこ?



テレビをつけると

すぐにわかりました。

震源地は福島県。



待って、、、

弟家族が仙台に住んでいる!



緊急時は電話回線がパンクする。



連絡がとれなくなるかもしれないと

慌てて電話したら

奇跡的につながった電話口の向こうからは



「俺は生きてるから!

生きてるってみんなにいっといて!

嫁も子供も生きてるかかわからない。

今から家に帰るから」



ガチャリと切られた電話から

尋常じゃない様子が伝わってきたのでした。



あの大きな揺れの日が

悪夢の日々のはじまりでした。



重なる余震

原発の爆発

計画停電



放射能が降ったとか、降らないとか。



水は飲んでいいの?

外に出て大丈夫なの?



まるで映画を見てるかのような

信じられない状況のなかで

情報収集をしようと

テレビを見ては具合が悪くなり、

Twitterを見ては吐きそうになる。



不安で不安でたまらなかった。



まだ安定期にも入らない、

でも確実にいるお腹の中の命。



何が正しいのかわからないなかで

ひとつの情報が

私の心をとらえて離さなくなりました。



胎児が危ない


情報に振り回される日々のなか、

目がクギヅケになったのが

「放射能の影響を胎児がいちばん受ける」

という情報でした。



これは本当なの?



本当だったらどうしよう…



この子は

ちゃんと生まれてくるの?



どうしよう。

コワイ、コワイ、コワイ。



何かあったら私のせいだ。

私のせいだ。

私のせいだ。



震災から2週間後には

3歳の長男の相手をすることもできず、

ふとんをかぶってうずくまり、

ぼろぼろ泣いては

過呼吸になっている私がいました。



お腹の子を守るためには

どうしたらいいの?

こんなに不安定でいいの?

ちゃんと育つの?



ごめんね、ごめんね。

ダメなお母さんでごめんね。



まだ見ぬお腹の赤ちゃんにも

3歳の長男にも

声にならない声で謝る日々でした。



一番辛かったこと


何より辛かったのは

夫に寄り添ってもらえなかったことでした。



お腹の子はまだ15週目。

不安に感じていることを伝えても

「気にしすぎだ。

そんなことを言ってたら

福島の人はどうなるんだ」

その一点張り。



わかってる、わかってる。

そんなことはわかってる。



それでも不安で苦しくて

たまらないんだよ・・・



私の食べたものが

吸い込んだ空気が

ぐらぐらのメンタルが

お腹の子の成長にかかわっているとしたら

どうすればいいの。

どうしたらいいの。



助けて。

助けて。

誰か助けて。



わんわんと声をあげて

子供のように泣きたかった。



だけど実際には

声を殺して泣いていました。



そんな日々でした。



誰も知り合いのいない場所へ


この頃から私は

大好きな湘南を離れて

別の場所へ行こうと計画しはじめていました。

(夫をおいて)



地震も放射能も

心配のない場所へ。

(夫をおいて)



ただ、ただ、

お腹の子の成長を

安心して考えられる場所へ。

(夫をおいて、笑)



とにかく

安心して眠りたかった。



日に日に大きくなるお腹の命を

慈しみ、楽しみにできる場を

探していました。



それは不安定な私を非難する夫から

逃げるためだったのかもしれません。



選んだのは、沖縄でした。



南へ行くとは決めても

東北出身の私は

関東より南には

頼れる知り合いがいません。



どこへ行っても同じ。



だったら

これまで5回行ったことのある沖縄にしよう。

少しでも土地勘のある場所にしよう。



レンタカーを借りて

観光しながらのんびりして

沖縄の海に癒されよう。



うつうつとした気持ちから

安心して笑顔で

マタニティライフを過ごしたいと

出産まで見据えて決めた場所でした。



当時、東日本大震災をきっかけに

沖縄に移住してる人が多いというのも

決め手になりました。



決めたら意思を曲げない私は

夫に沖縄行きを告げ、強行突破。



決めたら絶対に

言うことをきかないと知ってる夫も

しぶしぶ了解してくれ

沖縄行きが決まったのです。



2011年6月のことでした。



つづく

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