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怒るのは嫌だけど、自分が怒るのにも理由がある。


こんばんは。あにんです。

今回は、
誰かに怒ってしまった時に
罪悪感を抱きやすい私が、
怒ってもそんなに
自分を責めなくていい時もあるんじゃないか?
と、思えたことについて
文を書きました。
(まとめたと言うより、ただ、書きました。)

誰が読むかもわからないし、
特に私のこと知ってる人もいないので、
そんな中で言うのもあれですが…
私、よく怒るんです。

だけど、いつも怒ろうって思って
怒るわけじゃないのです。
つい、怒ってしまうのです。

つい怒ってしまうと、
うっかりミスをしたような気になって、
なんか罪悪感を抱いたり
もう少し自分の怒りを
コントロールできたんじゃないかと
反省したりします。

そして、自分のことを、
怒りっぽい。
って思って、その性格をどうにか
変えられないか、悩んだりします。

怒ること=悪いこと。
みたいな気がして、
怒ると、怒った相手に悪いことを
したような気持ちになります。

あぁ、今日も怒っちゃったな。
自分はなんで心が狭いんだろう。
なんて感情的なんだろう。
など、考え出したら
負のループにハマってしまう。
怒った時、
怒り方とか、伝え方の反省をするわけじゃなく
怒ったこと自体を反省することが多いです。

今日も、実は怒ってしまうことや、
怒ってなくても不満に思ったり
モヤモヤすることがありました。

そして、そのことを思い出して
自分を責めたくなりました。

怒った時のことについて
母に話すと、
„怒ってるかもだけど、
怒った相手は
あにんにとって
嫌なことをしたから、怒ったんでしょ?“

と言われて、ふと気がつきました。

誰かに対して怒ったり、不満を抱いた時
自分は、いつも
なぜこんなに怒ってしまうんだろう
とか、
こんなに不満が多いんだろう?
と、自分のことばかり考えていたのですが
状況を考えれば、
自分にとって、嫌なことがあったから
怒っている。
自分の嫌だと思うことに対してのリアクションであると言うことに、今更ながら
気付かされました。

あぁ、そうか
自分は自発的に怒ってやろう!
相手に対して、怒ることによって
嫌な気持ちにさせてやろう!
などと、自分から
アクションを起こして
怒ってるわけではないのだなと。

苦手な食べ物を食べた時に、
体が拒否して
飲み込もうとしても
オエ!ってなってしまう様に

嫌なことや苦手なことを
心が受け入れようとしても
心が拒否してるのかと。

自分にとっての
„嫌なもの“
が、そこにあるんだな。

それが、からだだと嗚咽な様に
こころは怒りで表してるのかなと。

そう考えたら、
怒ってる時は、
自分の嫌なものに直面してるんだな。
怒りっぽいって感じると言うことは、
自分の周りに嫌だと感じる
モノやコトが多いんだな。
そうしたら、次自分が怒った時は
何が嫌なのかしっかり見つめてみよう。
その嫌なことがなぜ嫌なのかまで
見つけることができたら、
その嫌なことへの対策を考えれるし
きっと自分が、
違う風にリアクションできる様になる
ヒントが見つかるんじゃないかな。
とか、まで思えてきました。

そして、何が言いたかったかと言うと、
すごく適当なまとめになりますが、
怒る自分を、
怒るたびに責める必要は
ないんじゃないか。
と言うことです。

怒ること=悪いこと

怒ること≠悪いこと

と言うより、怒ったらダメ!でもなく、
怒り方によって、反省したり
もっと相手に伝わりやすい
伝え方とか、
リアクションの仕方があったなと
改善の目的で
反省することはあっても
怒るたびに、
罪悪感を抱いたり
ひとり反省会をする必要はないのかなって。

苦手なモノを無理やり食べて、
オエッ!
ってなった時って
なんで私は、
これ食べれないんだろう?
美味しいって思えないんだろう?
って、自分を責めたり
罪悪感を抱くより
あ、やっぱり嫌いだな。この味。
くらいな軽い気持ちだと思うんです。

だから、繰り返しになりますが、
怒っても、
あ、これ自分嫌なんだな。
くらいでいいのかも。

って、少し思いました。

過激に反応してしまったら、
改善は、するだろうけど。

もっと自分の怒りの
見方を変えてみて
自分自身に対しても寛容になれたらな。
と、思いました。

気楽にいきたいものですね。


と、長々と書きましたが、
そして、
要点の分かりにくい文でしたが、
読んでくれてありがとうございました。

おやすみなさい。

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