家族、友人、仲間を思い浮かべてほしい
私に残されているものは、何だろう。
学生の間はへらへらしていても、友達もいるし、親に助けてもらえるし、日常生活においてもそれなりに充実している。授業中も、ぼーっと聞きながらしていれば済むのだから。
だがいざ社会と言う檻に放り込まれると、何もできない。
これまで、人の考えばかりを気にし、人に判断を委ね、人の後ばかりついて歩いてきた。
そんな私に、何ができるのだろうか。
今の時代には致命的だが情報には特に疎く、学校で専攻したことも流していたため身にならず、スポーツもぱっとしない。
いろいろな人に会って、特に思うことがある。この人本当にダメだな、いいところないな、って言う人がいない。必ずしも、誰しもに長所がある。
私は...特にない、と思っていたが、つい先日のことだ。
メールの文章うまいね。
俺には打てんわ。
と上司が一言呟く。
別の上司も、
僕よりも圧倒的に文章力あるね。
これか!?これなのか!??
ようやく見えた微かな光。
今は得意分野も見つけられずただただ、だらだらとしたつまらないルーティンが仕上がっている。
このままではだらだらが昂じて、妻と妻のお腹の中の子にまで影響が及んでしまう。
今は腐らずに、芯を通さなれければならない。ここで私がくたばれば、一家共倒れだ。
だから今やるべきことは、考えることだ。
そして考えながらも、行動に移すこと。
単純明快だ。
どうすれば、妻子ともに不自由なくかつ、幸せにできるか。そして、己が満足できるか。
私のようにどんなにお金が無くても、どんなに頭が弱くても考えることはなんとかできそうだ。
このことは、このご時世にも言えると思う。
主要都市への緊急事態宣言。そして、全国への緊急事態宣言。
目に見えないという卑怯極まりない敵、コロナウィルス。恐怖心に駆られるのはわかる。
ただ、
「都心からの避難と称した、拡散とも取れる行動」
これは今はすべきではない。
これについても、家族、友人、周りの人間のことを考えてみれば、取るべき行動は自ずと見えてくるはずだ。
なぜ自分が保菌者でないと言い切れる?
なぜ発症者がいない県なら大丈夫だといいきれる?
全く何の意味もない行動一つで、全国あるいは世界に少なからず影響があるということを、今一度考えてみてほしい。
今はくやしいかな、何もできないので何もしない。だがその判断こそ、今すべきことだ。
ただぼーっとして何もしないわけではなく、しっかりと考えた上で何もしない。
しっかりと考える
これぞ全国民が一丸となって、出来ることではないだろうか。