模型が灯す未来とこれから

“失われた街”模型復元プロジェクトとは…

 人々の記憶や思い出を手掛かりに、真っ白な模型に文字や色を書き入れていき、街を復元する取り組み。取材前、私は正直、街の復興に貢献できるリアルな取り組みを優先した方が被災者にとって良いのではないかと感じていた。けど約2時間後、プロジェクト創始者である神戸大学工学部准教授で建築家の槻橋修さんのお話を聴いて、被災地応援の新たなカタチを知ることになった。

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被災者の方が語る記憶は、明るく楽しい記憶

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 模型を目の前にして、被災者の方々が話すのは楽しかった思い出話やお隣さんとのエピソードが多いと槻橋さんは語る。震災という悲しい出来事を思い出す活動でもあるため、重い雰囲気になるのかと思っていた私にとっては意外だった。どこの桜がきれいだったという地元ならではの話や行きつけのお店の話、中には、お線香をあげて亡くなったご近所さんを偲ぶかのように、模型に書き込む方もいた。

 これは、お通夜やお葬式のときに、故人との楽しかった思い出話に花を咲かすケースが多いことと共通している。模型復元プロジェクトは“街のお通夜”のような役割を果たしているのではないかと槻橋さんは語る。

震災を知らない私達にできること

 私の父は阪神淡路大震災の被災者だ。1月16日の夜、父は普段寝ている2段ベッドの下の段ではなく上の段で寝ていた。17日の朝、地震発生によって1段目は押し潰された。もし、父がいつも通り1段目で寝ていたら…考えるだけでゾッとした。今この世に私が誕生しているのも奇跡だと実感する。

 しかし、実際に震災を経験していない私達は、いざ震災が起きた時にどうするか。取材の中で、槻橋先生にこの疑問を率直にぶつけてみたところ「忘れてはいけない」から当時の状況を調べる。「継承しなければならない」からニュースを見る。そんな受け身の姿勢で学んだことは、いざというときあまり役に立たない。主体的に“知りたい”というモチベーションを軸とすることが大切というヒントを頂いた。

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 2020年、“withコロナ”という状況下で、マスクなしで生活できること、大勢で集まってすごせることなど、身近な幸せを実感した年でもあると思う。震災も同様に、大切な家族と過ごすこと、毎日学校に行けること、お風呂に入れることなどの何気ない幸せを一瞬にして奪う。

 震災は天災のため発生することは防げない。しかし、我々の取り組み次第で被害を減らすことはできる。近い将来起きると言われている南海トラフが発生した際、若者の動きによって被害の規模や街の復興、経済の復興速度は左右することもできる。いざというとき私たちが弱気にならず自信を持ってリーダーシップを取ることで、大切な家族や友人を救えるのである。そのためには、普段から「家族で避難場所は決めているか」「家のどこに避難バッグがあるのか」など“減災”のための問いを、身近な人に投げかけることが私たちの役割であると考える。

(取材先:神戸大学大学院 工学研究科 建築学専攻 准教授 槻橋修氏)
(取材者:岡田敏和、鎌田春風、出口真愛)

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