ライブの後っていつもこんな気持ち

ホテルの高層階から夜景を眺めてお酒を飲んでいる。
なんていい夜なのだろう。
しかもライブ終わりに。
こういう時家事をしなくとも、綺麗な部屋で酒飲んで風呂入ってそのまま寝られるのは、遠征のいい所である。
横浜は本当に良い土地だ。高層ビルが立ち並びながら、町の空気は爽やかで人通りは多く、何より海が近い。
遠征先が横浜だと、最高の土地で最高の思い出を作れるのが心底ありがたい。横浜にあるイベントホール全てに感謝している。
なんて描書きつつ、走る電車の音を聞きながらライブを思い返し、外を眺めてもそして思うのだ。

「あー、今ここから飛び降りたら、すげえ良い気持ちで死ねるんだろうな」

何も積極的に今すぐ死にたいという訳でもないし、できることなら痛く苦しいことは避けたいのだが、それでも思う。
〝どうか今すぐ殺してくれないか〟
と。
最高の気分になればなるほど、今日まで生きていてよかったと思えば思うほど、すぐにピリオドを打ちたくなる。
この素晴らしい思い出を抱えて明日からも頑張って生きよう、と言うような気には到底なれないのだ。

自分語りになって申し訳ないが、少し私の話をしよう。

私はとにかく昔から、最善を選択できない人間だった。
上手くやり過ごす、と言うことがなぜか酷く苦手で、大人に上手嘘をつけず児童相談所送りになったことや、家族関係はことごとく拗れ、さすがに理不尽すぎるだろうことについ口を出して結局怒りの矛先を受けることになったり、友人の厄介な問題に巻き込まれたりもした。

ともかくそんな人生を送っていて、どうにも自分ではそれらを正せず、他人のようにうまくやり過ごせず、中途半端に不真面目を装うのも難しければ、聖人君子にも成りきれない。
嫌々疲れながら生真面目をやって、他人行儀な善人になりながら、下手に他人の顔色を窺っている。
心底、息のしづらい人生だ。

だからまあ、人並みかそれ以上に、ああ死にたいなと思う瞬間は多々ある。
どうせ自死などできやしないけれど、それでも、そう選択できたらいいのにな、と思う。

かといってこれまでずっと不幸かと言われればそうではない。
恵まれているな、と。
いますごく幸せだ、と感じることだってたくさんあるのだ。

例えば思いがけずライブで最前席が取れた時。
二度と見られないだろうと思ってた演劇を観劇できた時。
誰かから少なからず好感を抱かれていた時。
泊まったホテルの窓から綺麗な景色が見えた時。
ビールがたまらなく美味しいと感じる時。

推しのライブやイベントでは去年一昨年と二年連続で最善席が取れちゃったし、それ以外にも恵まれている瞬間は多くある。
だからと言って、そのとき心に得た希望や夢といった感情は長続きしてくれないのだ、どう足掻いても。

どれだけ楽しくとも次の日にはまた息のしづらい日常を送らなければならないした誰かからの反感を買って、敵意を向けられて、うまくできない自分に落ち込み、明日なんて来なくていいと望むのだろう。
そうしてダラダラと、死にたい日々を続けていく。

幸福の瞬間と、自分のいる現実との乖離は激しすぎて、憧れても自分はそこに届かないし、何かになれるわけでもない。
明日も私は私として生きなければならなくて、私に幸せをくれた人たちは、いつも私に幸せをくれるわけではないのだ。
その日々を一人で生きていくのはあまりにも苦痛で、堪らなく辛くて、救って欲しくてどうしようもない。
救われたい。孤独じゃないと思わせてほしい。

などということを、他人任せであるとか、きっとそう言うのだろう。
誰かに依存し誰かに生きる意味を見出さなくてはならない人生。
自分なんてどこにもない空虚な人生。
だからこそ辛くて仕方なくて、どれだけ明日が辛くともそれは変わらないのだ。

どんなに幸福を与えられても変われなくて、変わらない。この長続きしない幸せを享受して、苦しさに喘ぎながら過ごすしかないのだ。
簡単に終わってしまえないのだから、生きるしかない。
だからこそ!こんなに最高な幸せな日には、夢を見るのだろう。

「ああ、この幸せの中で人生が終わってしまえばいいのに!」

幸福なまま後の苦しみもなく終わってしまえる夢を見て、結局また、明日目が覚める。
それなら今日くらいは幸せを教授しておかなくては。

とりあえずは、お風呂に入って、明日来るであろう筋肉痛に備える他は無い。