それでもだらだら生きている。

何をだらだら生きてんだ、という気持ちになる。
特にこんな雨の夜。
特別暗い歌を聞きながら、何かが酷く煩わしくて、けれどその正体も掴めないような、こんな夜。
自分のことが惨めで、滑稽で、とんでもなく情けなくなるのだ。

高校を卒業してやりたいこともなく、夢を追いかける振りをしながらそれを叶える気もなくて、なんとなくアルバイトをして嫌いな接客を十年も続けて。
なんとなく正社員になろうかと就職もしたけれど、営業なんて向いて無くて、金を払うメリットも見出せない商品を誰かに押し付けることに疲れて結局はやめてしまった。
とはいえアルバイトに戻る気もなく、新しい就職先を探そうとも腰が重くて仕方ない。
どうせ、どちらにせよ大して稼げもしない給料で真面目に働き、いつか使い潰される。
かといって資格を取る気にもなれないし、生きる道として選べる才能も特にない。
無理をするには最早疲れ果てている。だが私のような底辺は無理をしなければ生きていけない。

どこで間違えたんだろうか、と考えない日は無く、どこでも何も、間違えてばかりじゃないかと苦笑する。

そもそも高校選びから間違えていた。
親の言うとおりに、身内からの推薦制度がある偏差値もそれなりのブランド校を受験するのではなく、中学の同級生が行く頭の悪そうな近所の高校を受験すればよかったのだ。
身の丈に合う場所で、せめても普通の学生のように、
授業は受けたくもないが友達がいるし入学したからとりあえず学校に行こうか、なんて気分で毎日学校に通う。
そんな学生生活を送れる場所を選べばよかったのだ。
中学の勉強から授業についていけなかった落ちこぼれが高校で突然お嬢様学校に入学したところで、賢くなるわけでも、ましてや勉学に打ち込む気になるはずもない。

いいや、それを言うならば小学校で虐待を疑われて上手く嘘が付けずに児相送りになり転校することになったせいだし、
もっと言えば小学校の受験を失敗したせいでもある。
さらに言えば、生まれてくること自体間違いだったのだろう。
ほとほと嫌になるくらい、生きるのに向いていないのだ、私は。

死を選ぶことはいつだってできたし、実際試みたことも何度かあった。
首吊りとか飛び込みとか、手首を切るとか。
けれどいつだって中途半端で、首吊りは苦しくなってやめたし、飛び込みは決心がつかず車を見送るだけだった。手首を切ったところで確固たるものがないと、人間そこまで深く切れはしないのだから、恐怖と痛みはそういうものなのだろう。
そんなこんなで死に損なって、もう二十六年も生き恥を晒し続けている。

それでも、日々人生の幕引きを願ってしまうのだ。
私のような屑に貴重な生命というものを宿してもいいのか、万物を創ったという神様は余程、酔狂であるらしい。
全く、こんな人間を生み出すくらいなら、世の惜しまれる命を長らえさせるべきだろうに。
私に信仰心などというものはないが、なんで私なんぞを生んだのだ、と怒りをぶつける先には不確かでありながらも大いなる存在が必要であるのだ、いつの時代も。
勝手な生き物で申し訳ないが、たまの恨み節くらい聞いてくれよ、神様。

どうすればマシな生き方ができるのか、と考えなくもないが、私にはとてもできそうにないので早々に、諦める、という答えを出す。
どこで間違えたのか、どうすればマシな生き方ができるのか。
そうして堂々巡りに、何をだらだら生きてんだ、とまた考える。
生きる意味も目的もなく、いやもしかすると誰もかれもがそうかもしれないが、とはいえ気力もないのだから、今日だって時間を無駄にしてしまった。
私はなぜこうも苦しみながら、生きているのか。
人とは極力会いたくない、そのくせ寂しくてたまらない。
自分本位に堂々と生きて居たいのに、誰かに嫌われるのが恐ろしい。
優しい人間でありたいと願っても、やって来る苛立ちを消化しきれない。
どうにもうまく生きられない。感情や魂が肉体と相まって重力に負ける。
私という存在が、こんなにも重い。

それでも、生きてしまうのだから不思議だ。
今だってこんなにも苦しいのに、しばらくすれば「そろそろ眠い」と思ってベッドに潜るのだろう。
そうすれば当たり前に朝が来て、昼まで寝過ごし、「お腹すいたな」と食パンでも齧るのだろう。
そうしてSNSを流し見て、そういえばもうすぐクリアなんだよなとゲームをして、姉弟と軽口を叩いて、面倒だなと思いながらも米を炊く。
毎日、結局はそうして生きるのだ。
どれだけ終わるタイミングがあったとしても、どうせ「今じゃないな」なんて思ってしまう。

だって、読みたい本は大量に積まれたままだし、推しは今日も生きているし。
いい音楽は生まれ続けるし、面白い映画もアニメも後ろが詰まってるし。
書きたいことは溢れてくるし、たまに会いたくなる人はいるし。
着たい服もあるし、食べたいものも、覚えたい知識も、部屋の模様替えも、なんだかんだ時間が足りないし。

生きるのをやめられないのだ。
だらだらと、なんのためでもないけれど、生き続けてしまうのだ。
死にたいくせに、生きることをやめられないとは、
全くなんと欲深いことか。

この強欲に付き合いながら、今日もだらだら、生きている。