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忘れることは幸せなこと

認知症の高齢者とお会いすると、忘れることで生きやすくなるのではないか、と思うことがある。

もちろん、認知症の進行により生活に支障が出る場合は、介護者による安全面の配慮が必要なのは前提です。

人生の最終章を生きている高齢者の生きざまは、まさに生きてきた結晶のようなもの。

人生に揉まれ、喜びや苦労が刻まれて、老い独特の美しい輝きを放つ人や、癒しの笑顔で生きる喜びを放つ人、うさん臭さを放つ人など、さまざまいらっしゃる。

むしろ認知症があることで、それらの性質はより強く放たれるように感じる。

高齢により不自由になった体も、忘れられた記憶も、すべてがその人らしさの結晶だ。

忘れてしまうことで、本人にとっては不自由かもしれないが、はたから見るとちょうどよく人生の執着から離れられるようになっている、自然の仕組みなのではないかと思えてくる。



ある、毎日徘徊するお爺さんは、毎日心配かけることで、バラバラだった家族を、本当は団結させたかったのかと思わせてくれる。そして地域を巻き込んで見事に成し遂げた。

また、長男の嫁としてのプライドで自分を縛っていたあるお婆さんは、徐々に記憶が怪しくなることで、今度はお嫁さんへの意地を手放せるようになり、甘えることを受け入れられる様になった。お嫁さんの笑顔はお婆さんの笑顔だった。


心身が制限されることで、より簡素化された生活にならざるを得ず、より自然に近づいた生態へと、余分なものをそぎ落としながら、より自分らしさを凝縮させていく過程こそ、老化なのではないかと思う。

私自身も更年期症状に悩まされる年頃になり、自分のポンコツ化を日々実感している。以前のように動かない体と頭と心をなだめたり、すかしたりしながら、なんだかんだ過ごしている。

おかげで、高齢者のおかれた状況を少しずつ実感として理解できるようになってきた。


いらない記憶はどんどん手放し、命を軽くして、先々の余計な心配にエネルギーを奪われないようにし、今を生きることに集中する。

このことを、高齢者たちは生きざまを見せて私に教えてくれている。
忘れることは幸せなことなんだと。



ゆりさん
サムネイルに素敵な写真を使わせて頂いて
ありがとうございます✨😊

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