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家庭連合解散命令請求とウクライナ軍事侵攻の共通点

いわゆる旧統一教会、家庭連合の二世として、何も言わないまま政府によって解散命令請求が出されることに納得がいかず、ここに私見を述べさせていただく。

現在の家庭連合と全国弁連を代表とする反対派との関係性は、ウクライナ・ロシア問題とよく似た構図と経過を辿っている。

現在のロシア・ウクライナ戦争は、ロシアによる一方的な力による現状変更からスタートした。
開戦前後において、マスコミ・教育機関の情報統制が計画的に実施されたロシアでは、国民は兄弟国ウクライナに巣食う悪魔のナチズムを憎んだ。
ウクライナに住むロシア系住民(やウクライナ人)を解放するためのあらゆる手段が肯定され、武力行使という結論に至った。
たとえそれを国際世論が否定・批判したとしても、大きな抑止力とはならない。
法や道徳は、それを冒すことにためらいを持たない強い意志と行動には、一定期間無力だ。

もちろん、ウクライナが絶対的な善で、ロシアが絶対的な悪かと言えば、それは違う。
ウクライナも伝統的に腐敗しやすい政治・経済構造を持っている。
私の知人がウクライナに10年ほど住んでいたが、道端で急に警官に捕まって賄賂を要求される、などという日本では想像しづらい体験が珍しくなかったという。

では、今の家庭連合を取り巻く状況を振り返ってみたい。
後藤徹さんの記者会見等でようやく陽の目を見るようになった拉致監禁・強制改宗は、キリスト教会・全国弁連による、一方的な力による現状変更である。
成人した自由意志を持つ一個人を「親子間であれば警察が動けない」ことを盾に拉致監禁し、ソ連の日本兵シベリア抑留や中国・北朝鮮の強制収容所を手本にしたかのような強制改宗を実施している。
たとえ、最高裁判決で拉致監禁の事実認定がなされようとも、今でも拉致監禁は続いている。
さらに、マスコミは家庭連合に対する否定的な報道に徹し、太田光さんのような中立的な意見ですら袋叩きにあう。
思想・宗教的に中立であるはずの教育機関でも、家庭連合を批判することを厭わない人間は多い。(家庭連合に限らず天皇や国旗、国歌も否定しているが)
私自身、1990年代に学生時代を過ごした二世として、家庭連合を授業中に名指しで批判する先生が一人や二人ではなかったことに大きく傷つけられたし、
大学では宗教学の講義で家庭連合を強く批判する講師に、敵愾心を煽られたことを記憶している。
現在、家庭連合は(何ら関わりもなかった人も含めた)日本国民にとって、日本に巣食う悪魔的カルトとして憎しみを向けられている。
この構図は、ロシア国民が憎むウクライナのナチズムと同じである…そのナチズムの実体が虚構だということも含めて。
その家庭連合を解散させるためのあらゆる手段が肯定され、人権侵害が起きるようになり、信教の自由、政治参加の権利が奪われ、
立憲主義国家としてあってはならない「結論ありき」の解散請求が出されようとしている。
これでは、国民の情緒に流されて政権交代のたびに前大統領を監獄につなぐ、隣の国と同じではないか。

私も家庭連合も絶対的な善ではないことは知っている。
世界平和を成すという動機は間違いないと私も確信しているが、その方法に関しては、お世辞にもうまくやっているとは思っていない。
むしろ、信徒の絶対的な信仰心に胡坐をかいて、検証されていない無謀な計画を推し進めてその責任を後任に押し付けて逃げる者、
傲慢にも自分が神や救世主だと思い込んで人を裁く者、優生思想を持って内外の断絶を広げる者など、汚点といえるものも見てきた。
だからこそ、自己反省し、内部改革を進めることは当然であり、外圧によってそれを推し進めることは本末転倒だとも思っている。

とはいえ、家庭連合へ解散請求を肯定することは、私にとってはロシアのウクライナ侵略の肯定と同義である。
自分にとって悪だと思い込んだ集団であれば、憲法で保障された人権・自由を侵害してよいのだろうか。
さらに言えば、家庭連合が悪であるという証拠は、全国弁連から全く提出されていない。

もっと踏み込んでいえば、家庭連合はこのままでは解散命令請求の裁判結果に寄らず、カルトのレッテルを貼られて敗北することが必至の状況だ。
今の家庭連合の戦略は、ウクライナが憲法9条を盾にロシアを批判するようなものとしか思えない。
憲法9条があろうがなかろうが、隣にいる侵略者はいつでも戦争を起こせるのは自明の理である。
むしろ今、有効な対策を打たなければ、時を失い取り返しのつかない事態になる。
家庭連合は相手を誰だと思っているのか?
法律を作り運用する、日本国民に信託された立法府・行政府に対して法的優位性を説いて、勝ち目があると思っているのか。

この対立構造は、武力の伴わない近代戦争の一形態だ。
大げさに言えば、日本VS中国共産党の対立構造が生み出している、思想的・宗教的代理戦争だ。
ここで家庭連合が負ければ、日本は全体主義国家側へ傾き、ゆっくりと中国に支配されていく契機となるだろう。(既に一定程度支配されているという論もあるが)

家庭連合の礼拝ではよく言われることがある。
例えば家庭での夫婦喧嘩だとしても、それはただの個人同士の喧嘩ではなく、先祖たちの悪しき因縁が背後にある戦いだから、神を中心に歴史的・国家的視点をもって解決せよ、と。
親子関係、兄弟関係、職場の人間関係も、目の前の敵(と思いこんでいる相手)がすべてではなく、背後のいろいろな因縁を背負っている代理戦争であり、極論してしまえば神とサタンの戦いの最前線である、と。
その理屈は、現在の状況にも通づるもので、家庭連合の用語で言えば終末(ハルマゲドンという意ではなく、善と悪の交差する分岐点という意味)である。

家庭連合は、自らの保身のために解散請求を止める戦いをしようすれば、敗北は必至である。
家庭連合が日本を生かすため、日本の共産化・左傾化をとどめるために、自らの命を差し出す戦いをすれば、生きる。
家庭連合創始者の文鮮明氏も、家庭連合や統一教会は過渡的な使命を持っているものの、その設立や維持が目的ではないと仰っていたではないか。

「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つ(ルカ17:33)」の文字通りの意味を、家庭連合も自覚するべきだし、解散総選挙を睨む岸田政権も同様に自覚すべきだと考えている。

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