小説「自殺相談所レスト」1-1

自殺相談所レスト 1-1


登場人物

五月女チヨ(そうとめ ちよ)JK。背は低い。
嶺井リュウ(みねい りゅう)成人男性。物腰柔らか。



 夏の夜風があまりに心地よく、五月女チヨはしばらく、自分が何をしにこんな寂れたビルの屋上に上がったのか忘れていた。

「このまま、風になりたい。」

 目的を思い出したとき、彼女は思わずそうつぶやいた。

 眼下の通りには人通りがなく、この時間帯だと車も走っていない。周辺の建物の明かりも数えるほどだ。今がチャンスだよ、おいで、と言わんばかりに柔らかそうな闇が下に広がっている。もちろん、実際には硬いアスファルトの地面が待ち構えていることはチヨもわかっていた。

 チヨはまず、深呼吸をした。

 次に、靴を脱いだ。こういう時どうして靴を脱ぐ必要があるのかチヨは知らないが、そういう形式なのだと思っている。

 そして、屋上の柵に右足をかけた。柵は道端のガードレール程の高さなので、向こう側に降りるのは容易だった。

 あとは、体を傾けて手を離すだけだ。

 さすがに心臓が高鳴ってきた。

 やっぱり、やめようか?

 いや、だめだ。私にはもう居場所なんてないんだから。

 チヨが再び深呼吸した時だった。

「いい月夜だね。」

 背後からの声にチヨは驚き、体勢を崩した。恥ずかしいほど大きな声で叫びながら、慌てて柵に掴まった。

「ちょっと、落ちるかと思ったじゃん!」

 チヨは振り返り、切れ気味に怒鳴った。五メートルほど先に男がいる。年は20代後半といったところか。髪は短めで清潔感があり、夜に紛れるような濃い色のワイシャツを着た
細身の男だ。

「まだ心の準備は出来てないんだね。」

 男はチヨの状況に動じていないばかりか、微かに笑っているようにさえ見えた。

「なんなのあんた?」

「それはこっちのセリフだよ。残業の合間に外の空気を吸いに来たら、女の子が自殺寸前、これじゃ休憩になりやしない。」

 男はやれやれといった様子だ。チヨはなんだかばつが悪くなってきた。

「……他のとこ行く。それなら文句ないでしょ。」

「僕は構わないよ?ここで飛んでも。」

「え?」

 あまりにもすんなり許可を出されたので、チヨは面食らった。

「心の底から死にたいと思ってるなら、それを止めるのはかえって残酷だ。」

 続く言葉は完全にチヨの予想外だった。説教でも説得でもなく、理解の言葉だった。

 チヨが返す言葉に迷っていると、男がまた口を開いた。

「君、名前は?」

「えっと、五月女、チヨ……」

 思わず答えてしまった。答えてよかったのだろうか?

「僕は嶺井リュウ。年は?」

 ナチュラルに自己紹介が始まってしまった。しかし、チヨには口をつぐむ理由があるわけではない。

「16歳。」

「じゃあ高校生か。」

「うん。」

「親御さんと喧嘩?それとも失恋?」

 急に突っ込んだことを聞かれ、チヨは少し警戒した。

「なんで話さなきゃいけないわけ?死ぬのは止めないんでしょ?」

「止めないよ。でも言い残したことがあると嫌じゃない?」

 チヨはやけに自殺に協力的なこの嶺井という男に段々苛立ってきた。

「い、いじめよ!どう、満足?」

「君は満足?」

「は?」

 自分でも間の抜けた声が出たのがわかった。

「僕は全然聞き足りない……実は僕、下で相談所をやってるんだ。『自殺の相談所』だ。だからもし君がよければ、最後に話でもしない?ついでに、もっと楽な死に方も紹介してあげる。」

 じ、自殺の相談所???

 嶺井がゆっくりと、手を差し伸べながら、近づいてきた。

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