夢原案小説「よくあるパンデミック」その6

※新型コ▢ナウイルスの話題ではありません、創作です。

※スプラッタ・アクション・サバイバル・サスペンスです

※全話までのあらすじ

突如世界にゾンビ化するウイルスが蔓延した。「私」も感染したが、ゾンビ化の代わりに超人的な身体能力を身に付け、生還。以来孤独な生活を送っていたが、ある日、男しかいない生存者集団と出会う。彼らはもともと男女混合の集団だったが、強姦事件に端を発する対立により追い出された身だった。男たちは和解を望んでいたが、女の一人が超人的な身体能力を発揮し、手に負えないという。

その6(第三話後編)


 子供の頃、誕生日に欲しいものはあるかという質問が苦手だった。自分の欲しいものが思いつかないのだ。兄はその質問にいつも何かの答えを出せていて、凄いなと子供心に感心したのを覚えている。私は兄に合わせるように適当に答えていて、私はいつも兄と同じものを持っていた。

 同じものが、二つ。別に苦ではない。むしろ、兄弟間であれば奪い合いをしなくて済むのだ。楽な事この上ない。

「出発ですよ。」

 巡査服の男の声で私は目覚めた。

「朝か。」

「まだ暗いですけどね。皆さんはもう準備を始めてます。」

 こんな体になってから、睡眠や食事が多く必要になっている。男たちにはそれを説明し、件の娘の「守備範囲」に入る前に、休眠時間を貰い空き家で寝ていたのだ。

「お体の調子はどうです?」

「まだ夢心地が残ってる。みんなは?」

「あまり、眠れなかった方もいるみたいです。なんせ、これからあの子と戦うかもしれませんからね。」

「そうならないよう尽くすよ。」

 コンディションは悪くない。空き家は埃っぽかった上、廊下で寝たので背中がやや痛いが、睡眠時間は足りており快調だ。

「朝食は要りますか?」

「今は干し肉で十分。」

「そうですか、では先に外に出てます。」

 巡査服の男は廊下を歩いて行った。リーダー以外では、彼だけが、私に恐怖も嫌悪もなしに話しかけてくれる。別に話し相手がいなくても困りはしないが、話していてイライラしない、というのは大きなメリットだ。

「最年長になのにどうして敬語を?」
「私は警官ですからね。」
「その制服はじゃああなたの?」
「ええ、換えの服は拾い物ですが。」
「警官であることの、誇りってわけか。」
「それもありますが……何より、人々には『お巡りさん』が必要だと思いましてね。まあ、年寄りの世話焼きですよ。」

 上の世代の人間とは馬が合わないことが多いが、彼には好感が持てる。保存食の干し肉を齧りながら、私は立ち上がった。

 外に出ると、男たちは完全武装の上、二十三人全員が揃っていた。

「いいご身分だな。」

 反対派の一人、ガラが悪くて中年の男がこっちを睨んでいる。もう一人の反対派、若くて神経質そうな男も怖い顔をしている。

「休眠は十分か。」

 リーダーが話しかけてきたが、私が緊張感なく干し肉を咥えているせいか、やや苛立っているようだ。

「ああ、おかげで調子がいい。助かったよ。」

 ガラの悪い男が舌打ちした。ピリピリするのは分かるが、これから体を張るのは私だぞ。

「では行こう。」

 先頭がリーダーと私で、その後ろにガラが悪い男と神経質そうな男、巡査服の男、他の男たち、と続いた。都心部からはかなり離れてきており、もう周りは家もまばらで、田んぼや雑木林だらけだ。

 神経質そうな男が話しかけてきた。

「本当に勝算はあるんでしょうね。」
「話した通りだ。分からない。彼女は君らを追い出すのに全力は出してないだろう。」

 二日前、リーダーやほかの隊員から聞いたところでは、彼女はさすまたも銃弾もかわし、殴る、蹴る、投げ飛ばすと言った肉弾戦だけで男たちを追い立てたという。

「俺は本気でゾンビと戦った時、武器を使った。腕を増やしたり骨が飛び出したり、生物として異常な変化が体に起きた。彼女が今日そういう発想で攻撃してきたら、どう対応していいか俺もわからない。」

 神経質な男だけでなく、ガラの悪い男や巡査服の男も話に聞き入っているようだった。

「奥の手は俺の血だが、ゾンビによって効果はまちまちで、下手すれば彼女が死んでしまうかもしれない。」

 単なるゾンビなら負ける気はしないが、相手が超人ゾンビ(と彼らは呼んでいた)となると、未知の領域だ。戦わないことが望ましい。

「要は、あなたはアテにならないってことですね。」

「そうでもない。」

 ずっと黙っていたリーダーが話に入ってきた。

「彼がいなければ、私は隊を二分して片方を説得に回していただろう。下手すれば我々の半数が死ぬ作戦でもある。彼の陽動があるからこそ、リスクを極限まで減らせるのだ。」

 神経質そうな男が完封された。

 このリーダーの男は、実に合理的というか、冷徹だとさえ思える。私もどちらかと言えば、他人からそういう評価をされる側ではあるが、ここまで情を捨てた判断のできる人物は初めて見る。今回の陽動作戦も、彼の発案だ。

 とある雑木林の前で、リーダーは立ち止まった。

「ここを抜ければ、娘の『守備範囲』だ。」

 私が男達の抑止力になると決めた後、最初に議論したのが、どうやって女たちの隠れ家に近づくかだった。男達と一緒に住んでいたショッピングセンターは周辺には高い建物がすくなく、見晴らしが良い。超人ゾンビの視力もあり、男達の接近は丸見えになってしまう。例の娘が以前の男達のように周辺のパトロールなどしようものなら、彼女の守備範囲はさらに広がる。また、超人ゾンビは聴力も鋭い。あくまで私の身体能力を基準にするなら、最大で数キロ先の話し声も聞かれる恐れがある。

「どうだ、何が聞こえるか。」

 リーダーの声は落ち着き払っていたが、緊張感はあった。

 私は耳を済ませた。

「林の中は風と虫、木の葉の擦れる音くらいしかない。」
「よし、ここは安全地帯と判断する。予定通り、ここから先は我々五人で進む。お前達は迂回してショッピングセンターを目指せ。」

 男たちは静かに頷いた。

 ショッピングセンターから数キロ離れたこの雑木林は、視覚的にも聴覚的にも、彼女のレーダーにはかからない。この林からは先頭の五人だけで進み、囮となる。リーダーと巡査服の男は私の付き添い、反対派二人は私の見張りだ。

「林を抜けたらさらにチームを分ける。コミュニケーションはハンドサインを使え。」

 聴力と視力で警戒できる私が、反対派二人を連れて先を進み、五メートル遅れて巡査服の男が、さらに一メートル後ろをリーダーが追う。先頭の三人組は、足の複数あるゾンビと思われるかも、という私の提案だ。

「おい、まだ何も聞き取れないのかよ。」
「林の中は雑音が多いんだ、期待はするな。」
「ちょっと二人とも、静かにして下さいよ、彼女の方が耳がいいかもしれないんですから。」
「ならお前も静かにしてろよな。」

 そうやって話しかけて来られるのが一番邪魔だと言えば、この二人は黙ってくれるだろうか。

 こんな計画に乗る義理は私には無い。だが、私と同じものを持った人間に、興味があったのだ。戦闘なんて願い下げだが、冷静に考えて、ショッピングセンターに近づくうちに必ずどこかで私達は気付かれ、例の脅しが本物なら襲撃を受けるだろう。計画では私はそれにいち早く気づき、彼女に接触しなくてはならない。和解の交渉を持ちかけ、破綻すればリーダー達が撤退するまでの足止めをする。

 林の出口が見えてきた。空が白んできているおかげで分かった。リーダーに指示され、私と反対派二人が前に出る。

「ちょっと待って。」

 声を落とすことなく発言した私に、神経質そうな男が顔をしかめるのが見えたが、そんなことより気になるものが聞こえていた。

「泣き声だ。」

 遠く……建物の中ではない……泣いている女性がいる……

「多分、ショッピングセンターからかな……女の人が一人、泣いてる。他の音がしない、ゾンビに襲われているとかでは無さそうだ……」

「おい、夜が明けたら俺らは不利になる、んなどうでもいい情報はほっといて、早く行くぞ。」

 出口に向かって歩きながら、この音に注意を向けていた。この人物は、悲しみというより、恐怖で泣いている。何かに脅え、取り乱している。

「出口だ……いや、入口と言うべきかな。異変に気づいたらすぐ教えろ。作戦開始だ。」

「動いたっ、」

 私が小さく叫び、他の四人が私を見た。

「泣いている女が……飛んだ……?いや、着地して……何かに掴まって……」

 はっと気付いた。『掴まっている』のではない、『掴んでいる』!

「全員林に戻れ!彼女に気付かれてる!」

「嘘だろ?!」

 後ろの四人の反応を気にしている暇はない、もう彼女が、『投げた』のが分かった。上空を見る。視力を引き上げ、唖然とした。

「……バス?」
「どういう事だ?」
「リーダー!とにかく退避だ!」

 私は四人を掴んで林の奥に投げた。最後に私が木の上にジャンプした瞬間、さっきまで私達のいた場所に、一台のバスが、回転しながら隕石のように激突した。

「うっ!」

 鉄の塊がひしゃげながら転がる轟音、そして視界を覆い尽くす土埃が舞う。私の避難した木が折れ、傾き出したのですかさず隣の木に移った。

 甘く見ていた。彼女の攻撃はもう始まっていたのだ。

「予定通り迎撃しつつ、交渉を試みる!!リーダー達は退避を!!!」

「ざけんな!てめぇの見張りだぞ俺たちは!」
「単独行動は許しません!」

「足でまといだ!!!」

 反対派二人は黙った。すかさずリーダーが指示を出した。

「ここは君に任せる!他は撤退だ、彼の言うとおり私たちでは無力だ。」

 四人の、来た道を戻っていく足音が聞こえた。私は例の娘の居場所を探るため、耳を済ませた。

「……殺してやる……」

 彼女の声が聞こえた。さっきの位置からは動いていない……だが、

「……弾、あった、ちょっと、小さい……」

 また何か投げてくるつもりか。恐らく女達をゾンビから守るために、日常的にこの攻撃方法を磨いていたに違いない。精度が高すぎる。

「攻撃を!!!止めてくれ!!!俺は君と!!!話がしたい!!!」

 あの位置から私達を狙うには、聴力に頼っているはずだ。なら声が届く。

「……セク、ハラ、だ、うるさい……」

 ダメだ!怪力の代償か、彼女は既に意識がゾンビ化に呑まれつつある!危険な状態だ。

 彼女はさらに二つの物体を投げた。このまま暴れさせ続けると、彼女がゾンビから戻って来られるかも分からない。

 上空に二つの影が見えた。今度は……自動車だ。さらに、下の林の中から一人、こちらに近付いてくる者の足音がする。

「くそっ……戻るな!また投げてきた!!」

 こちらの音が聞こえてるなら、あの自動車は片方が彼を狙ってる可能性がある。人間にあれは避けられない!

 ……でも俺なら、守れるな……

 私は木の枝から、飛来物に向かって跳んだ……足場が悪かったが数十メートルは飛んだろう。飛んで来た自動車とすれ違いざま車体の横に蹴りを入れた。渾身の一振だ。片方が向きを変えられ、もう片方にぶつかり、そのまま林の手前に落ちていった。

「よし!」

「……なに、おまえ……」

 こちらの様子を聴いていたのか、彼女は呟いた。私はすぐに落下し始め、風の音で周りの様子が聞こえなくなった。

 ……考えろ……着地までの数秒で、彼女の行動選択肢は二つだ。新たに弾を用意するか、こちらに攻めてくるか。今ので遠距離攻撃はいなされるとわかったはず。

 林からかなり離れた、民家の屋根に着地しようとしたが、屋根を突き破り室内に落ちた。

「いったた……」

 そのまま耳を済ませる。ガラガラと何か重くて鉄製のものを引きずる音、息遣いと足音から、その生き物はとてつもない速さでこっちに向かってきている。よし、好都合だ。

 穴の空いた屋根から這い出て、視界を確認……見えた!彼女、かどうか分からないほど、顔も肉体も変異している。服は着ていない。全身の筋肉が巨人と形容できるほどに膨れ上がり、血管という血管が浮き出ていてグロテスクだ。ガラガラという音の正体は巨大化した右腕で引きずっている道路標識だった。特筆すべきは左腕で、肘から先が枝分かれしている。私のように腕を足した訳ではなく、筋繊維が解けてタコの足のように、何本もの細い触手に分かれているのだ。

 並木通りをこちらへ直進してくる彼女に、再度呼びかけた。

「俺も君と同じ、ゾンビだ!!!話をしよう!!!」

 今度は声帯を強化し、こちらの熱意を伝える。

「ゾンビ!!!殺す!!!」

 かえって殺意が増してしまった。とはいえ想定内だ。暴走したゾンビは罠にはめやすい。

 彼女の触手が好き勝手動き回り、道路脇の木の枝を切断し始めた。並の人間ならチェーンソーを使って落とすような太い枝を、手刀のようにスパスパ切っている。切り口が斜めなのが見えたので今度は槍にする気らしい。触手が各々槍を構えたのを確認して、私はあえて、屋内に引っ込んだ。

「死ね!!!」

 槍が空を切る音。三本。民家の壁を貫いてきた槍を、避ける、速さは問題ない。ガタガタと家屋が揺れ、崩れることの方が心配だ。

 私は家屋の中を確認した。武器になるものはないか?ひとまず一階へと降りる。

 また槍が壁をぶち抜いて来たのを避け、辺りを見渡す。彼女の速さからすると、あと十秒で民家に突撃してくる。さっき林の中で戻ってきていた人物が、今、この民家に向かって進んできている。何故こっちへ?だが今は彼女への対処が先だ。

 台所で肉切り包丁を見つけた。これは使える。私はすでにボロボロのリュックを部屋のすみに置き、包丁を取った。

 三度目の槍が台所を破壊し、近くの棚を砕いた。中から殺虫剤のスプレー缶が転がり出た。あれもかなり欲しいが……時間切れだ。窓の向こうで彼女が、連れてきた道路標識を大きく横に振りかぶっている……ん。横?!

「あああ!!!」

 台所が真っ二つにされた。私は伏せて居なければ、腰から上を撥ねられる所だった。だが伏せたのは失敗で、柱を崩された天井が落ちてきて、私は身動きが取れなくなり、視界も悪くなった。

「今度は!!!殺す!!!」

 彼女が踏み切った。恐らく今、中を舞い、天井に潰された私の真上にいる。続いて道路標識を切断する金属音がした。刺し殺すつもりか。身をよじると、手にスプレー缶が当たった。

「いつもいい所にいるなっ!」

 スプレー缶を掴んだ右腕をそのまま木材の外に突き出した。

 筋繊維をほどく……猿真似だができるか?

 ……できるさ……俺と彼女は同じだ……

 彼女が道路標識を突き刺してくるのと同時に、私の右腕が血を吹き出し解けた。

 ……聴力を研ぎ澄ませろ!……

 私の筋触手が二本飛び出し、一本は彼女の刺突を弾こうとする。

「いだっ!!」

 切っ先を僅かにそらすのが精一杯で、鉄の槍は私の脇腹を抉った。

 同時に、もう一本の触手は既にスプレー缶を彼女の顔に向けていた。

「ぎいでぐれ!!」

 噴射できたが、触手の先の感覚が消えた。恐らく敵の触手に切られたのだ。だが、

「うわぁぁぁ!!!!」

 殺虫剤に悶えながら彼女が落ちてきた。私の隣で痛みに苦しんでいる。

 私は残った触手で木材をどかし起き上がった。包丁もすぐ側に落ちていた、幸い刃は欠けていない。彼女もちょうど、触手の左腕を押えながら立ち上がっていた。スプレーは顔を狙ったがガードされていたようだ。私と彼女は、半壊した家の中で向かい合っていた。

「本当は傷つけたくない、話し合おう。」

「うるさい!!!」

 二人の損傷部の再生は同時に終わり、次の瞬間彼女の筋繊維触手が嵐のように切りかかってきた。

 ……次は視力を研ぎ澄ませろ……

 嵐が凪いだ。触手の動きがスローモーションのように見える。全部で八本。先端を爪のように薄く固くした触手を高速で振るい、物体を切断しているようだ。だが先端部以外は触手を振り回す都合で硬化していない、つまり、包丁で切れる。

 私は包丁で素早く、触手を四本切り落とした。

「ぎゃあっ!」

 彼女が怯んだ隙をつき、間を詰め、本日二度目の蹴りを放った。彼女は吹き飛んで居間の壁にぶつかった。

 ……よし、台所と違って居間は崩れていない、チャンスだ!……

 彼女はようやく、私の狙いに気付いた。狭い室内では触手が振り回しにくくなる。

「しまった……」

 理性が戻って来ているようだ。

「消耗してるんだろ?君の負けだ。お願いだから話を聞いてくれ。」

 彼女は私を見た。血管の浮き出た異形の顔に、わずかだが動揺の表情が見て取れた。

「男は、敵……」

「全員じゃない、君の味方もいる。」

「それだって全員じゃない!!」

 彼女は自らの怒りを焚き付けるように歯ぎしりをした。右腕の筋肉がどんどん膨らみ、胴体に不釣り合いな大きさになっていく。バスを投げ飛ばすほどの腕力はこういうことか……恐らくこの腕なら重機のように家屋そのものを破壊できる。室内という条件を失えば、触手と巨腕を活かした攻撃は激化し、交渉どころではなくなってしまう。

 ……やるしか、ないのか……

 私は左手を前に出し、包丁を振りかぶった。その時、

「二人とも!そこまでだ!」

 振り返ると、半壊した台所に、巡査服の男が入って来ていた。

「お嬢さん、私が分かるかい?」

 彼女はというと、驚きに目を見開き、まるで時が止まったかのように立ち尽くしている。

「おま、わり……さん……」

 彼女はそう呟いて、崩れ落ちた。


「正直、助かったよ。あのままだと、彼女を生きて保護するのは難しかった。」

 巡査服の男と私は、ショッピングセンターへと向かっていた。無線で連絡を取ったリーダーの指示だ。彼女は肉体が人間サイズに戻ってきていたので、毛布に包んで私が背負っている。

「あれは賭けでした。男達が追い出された時は、私は認識すらされていませんでしたから。しかし、泣いていたという話を聞いて、気になりましてね。」

 超人ゾンビは時間が経つと肉体も理性も戻ってくるから、巡査服の男は丁度いいタイミングだったと言える。

「あんたに対しては嫌悪を示さなかった。仲がいいのか?」

「おそらく、最初に彼女を保護したのが私だからかも知れません。」

「あんたが?」

「ええ。私を含めた三人で見回りしている時に、その子がふらふらと歩いてきました。今と同じように裸で、最初はゾンビかと思いましたが、『助けて』と呟いていましたので、一か八か、私が近づいたのです。」

 この人は根っからの『お巡りさん』なのだな。

「かなり衰弱した状態で……『逃げてきた、全部パパのせい、ゾンビも、化け物も。』という発言はその時に。」

 二日前リーダーからもそう聞いた。

「ショッピングセンターに連れ帰った後は、看護師と薬剤師達に任せました。私はリーダーに報告しにその場を離れましたが、一緒にいた未亡人の方がその子に付き添いました。到着したら、彼女から多くを聞けるかもしれません。」

 彼の言い方に違和感を覚えた。

「もう一人は?見回りは三人で行ったんだよな?その人も女性か?」

 巡査服の男の顔に、影が過った。

「もう一人は、女性ですが……亡くなりました。強姦され、殺害されたのがその女性です。」

 ん?

 強姦は聞いていたが、殺害は初耳だ……何だろう、私は何かを見落としている気がする……それも、この計画の根幹を揺るがすような何かだ……

「殺害のこと、どうして黙っていた?」

「黙ってたも何も……聞いていなかったんですか?」

 リーダーは強姦としか言わなかった。もちろん、それだけでも殺人に匹敵する凶悪犯罪だ。彼女が犯人二人を殺害する十分な動機だが……何だろう、そこに見落としが潜んでいる気がする。


 ショッピングセンターは、いくつかの店舗が集まっただけのこじんまりとしたものだったが、スーパーや床屋、薬局など、集団が生活するのに必要な物資は最低限揃っていた。

「二人とも無事で何よりだ……娘の様子は?」

 出迎えたのはリーダーだった。先に到着していたらしい。何人かの隊員と、初めて見る女性が数人、後ろの方でこちらを伺っている。

「彼女は力を使いすぎた、喋れる状態じゃないが、栄養を与えて休ませれば大丈夫だ。」

「女性達の様子は?」

 巡査服の男が尋ねた。

「我々が出ていく前と変わりない。全員無事だった。女達も我々の帰りを待ち望んでいたようだ。」

 男たちは先にショッピングセンターについていたようで、こちらも全員無事だった。私は、駆け寄ってきた女たちに、背負っていた彼女を任せ、リーダーに話しかけた。

「報告と、あと話がある。」

「なんだ。」

 私はリーダーに彼女との交戦の経緯を話した。

「彼女が攻撃してくる理由はおそらく、あの強姦殺人事件だろう……」

 ちらりとリーダーの表情を見たが驚いた様子はない。意図的に言わなかったわけではないということか?

「……でも彼女の男に対しての恐怖は何というか、異常だ。あの事件について、今度は詳しく聞かせてほしい。」

「別にそれは構わないが……そこに発見があるとは思えんぞ。目覚めた彼女に直接聞く方が早いだろう。」

「トラウマを話させる気か?」

 リーダーは、やれやれといった風に首を傾げ、話し出した。

 事件は起こる前から予兆があった。被害者は以前から男二人に言い寄られていて迷惑していたという。少女を保護した夜、リーダーは男二人から泣きつかれた。被害者ともめてしまい、怪我をさせてしまったと。被害者のもとに向かうとそこになぜか少女がいた。被害者は既に絶命しており、男二人を見た少女が突然、「殺してやる」と叫びだし二人に襲い掛かった。リーダーは止めようとするも驚異的な身体能力の前にはなすすべなく、二人は頭を何度も床にたたきつけられ惨殺された。騒ぎを聞きつけ駆けつけた応援も次々蹴散らされ、少女は男たちに宣言した……自分はゾンビでありその力を操れる、男たちは全員出ていけ、戻れば命はない、今後女たちは自分一人で守る……と。

「二人が犯人だという証拠は?」

「状況証拠だ。被害者は服を脱がされ、着ていたシャツでさるぐつわをされていた。二人はレイプを自白する間もなく殺されてしまったがね。」

「そうか……」

「私自身、すぐに追い出されてしまったからね。これで十分か。」

「ああ……」

 煮え切らない返事をする私にリーダーはいら立ちを隠さずに付け加えた。

「まだ聞き足りないか?一応、あの事件は我々に取って不快な記憶なのだが。それを話させる行為は君の倫理に反しないのか?」

 その後、私は女たちに話を聞きに行った。かつて野菜売り場だったスーパーの一角に、女たちは段ボールを敷いたりして生活スペースを作っていた。

「事件のことは、私たちも調べたけど、あまり大したことは知らなくて……」
「二十代くらいの茶髪の子。気さくでいい子だったのに……」
「犯人の二人は前から若い女の子にちょっかい出してた。」
「すごく抵抗したんだと思います、全身に殴られた跡がありましたから。」
「私も一緒に死体を片づけたの……真っ暗な部屋の中が、血の匂いと男の匂いでいっぱい……死体が失禁してたから、その匂いもすごかった……」

「辛い思いをしたね……ありがとう、情報は無駄にしないから。」

 超人ゾンビの少女の事も聞いてまわった。意外にも、彼女はほとんど誰とも口を利かなかったらしい。

「最初はみんな怖がってたけど、本当に大人しい子。なんであんな狂ったように男を追い出したのか、私たちもわからないの。」
「いつも浴衣を着てた。この時期じゃちょっと寒いよって言っても聞かなくて。」
「全くしゃべらないの。いつもスーパーの屋上にいるのよ。」
「一度ゾンビが近くに迷い込んできて、大騒ぎになったんだけど、あの子があっという間にやっつけちゃった。」
「あの未亡人の人が、よく話しかけてました。食事も運んであげてたみたいで。」

 その未亡人は今少女の看病をしているという、最後に話を聞くことになりそうだ。

 私は生活スペースから少し離れたレジに腰掛け、リュックから干し肉を取り出した。

 少女の思考は何となくだが読める。いつも屋上にいたのは聴覚・視覚で周囲を警戒するためだ。人と関わらないようにしたのは女たちにウイルスを移さないようにするため。浴衣を着たのは脱衣が容易だからだ。彼女の肉体変異では衣服は邪魔になる。

 ……可哀そうに……俺より孤独じゃないか……

 生活スペースから男女が談笑している声が聞こえてくる。コミュニティがあっても入るという選択肢は彼女にはなかったのだ。なまじ集団に所属していたばかりに、たとえ九日間でも苦しい時間だったに違いない。

 タッパーの中の干し肉を食べ続けた。私もかなり消耗していたらしく、空腹だった。

 見回りの三人に発見されたとき服を着ていなかったということは、彼女は超人ゾンビの力を使った直後だったのだろう。「逃げてきた、全部パパのせい、ゾンビも、化け物も。」このセリフをすぐに切り出したのは、一刻も早く情報を伝えたかったから……もう誰かが死ぬところを見たくなかったからなのではないか。だからこそ、強姦殺人にあれほど極端な怒りを示した……

 ……なんだ、俺よりも彼女の方が勇敢だ……

 いや、まだだ。それだとさっきの涙の説明がつかない。私と戦っていた時たしかに怒りを顕にしていたし間違った推理ではないだろうが、最初に泣いていた時、彼女はおびえていた。まだ何かある。恐怖の原因が。

「おい、ゾンビ野郎。」

 ガラの悪い男に話しかけられて初めて、自分が物思いにふけっていたことに気づいた。すでにタッパーの中の干し肉を食べつくしていた。

「話があります。」

 神経質そうな男も一緒だ。

「ゾンビってのは耳がいいんじゃないのか?俺たちゃずいぶん呼んだんだがよ。」

 二人は私を屋上に連れ出すと、自動小銃を向けてきた。

「何の真似だ。」

「それはこっちのセリフだ!事件のこと嗅ぎまわってるらしいな。」

「彼女についても調べているとか。」

「これから説得しようとする相手を知ることの何が問題なんだ。」

「あなたはただの抑止力です!」

「暴れた女を抑えりゃそれでいいんだよ!」

 こいつらは武力で人をコントロールできると本気で思っているのか。

「リーダーにも言ったが、彼女の敵意はこの事件に由来してる。」

「違う、あの女がゾンビでイカれてるからだ!」

「彼女は人間だ!人間だからあの事件に怒ったんだ!事件をきっちり解決しておくことは、あんたらのこれからにとっても有益なはずだ!」

「今、優先すべきは彼女から情報を引き出すこと、そして彼女の抹殺です!」

 その場に緊張が走った。神経質な男が「喋りすぎた」という顔をしている。ガラの悪い男は、開き直ったようにこう言った。

「もういいだろ、どのみちこいつも殺すんだっ!」

 ガラの悪い男が発砲した。私はよけきれなかった。

「あ、があっ、」

 直撃だった、私は肺を撃ち抜かれ……息が……

「まだ早いですよ!」
「こいつはあの女に肩入れし始めてる!今しかねえ!」

 ガラの悪い男が再び発砲し、立ち上がろうとしていた私は吹き飛ばされた。頭がくらくらする。

「リーダーの意思じゃない!」
「でも俺はやるぜ、こいつは危険すぎる!お前も共犯だからな!」

 どうしてここまで性急な判断をするんだこいつらは……なぜそこまで殺し合いを望む……これじゃあの少女と同じだ……恐怖に駆られて、見境なく攻撃して……

 ……だから嫌いなんだ、感情的な奴は……まるで狂気だ、ゾンビと何ら変わらない……

 感情が昂り、体中の感覚がさえてきた。肺も再生が始まった。

「お前も撃てっ!」
「もうっ!くそっ!」

 二人が発砲すると同時に、私は思いっきり飛び上がった。空中で肺が治っていくのを感じた。息を吸い込むと、全身の感覚がこれまでにないほど研ぎ澄まされていた。スーパーの中の人声もよく聞こえる。

「……屋上で銃声がしたんだけど……」
「……ゾンビが出たのか……」

 数十メートルの高さから町を一望すると、数キロ離れた雑木林のところにバスが転がっているのも見えた。なるほど、彼女はこうやって私たちを見つけたわけだ。

「……着地の直前を狙え、身をかわせないはずだ……」
「……わかってますよそんなこと……」

 二人を突破する案は既に思いついた。屋上までの数秒が暇なくらいだ。

 ……殺せ、奴らはもうゾンビ同然だ……

 それでは彼らと同じだ。はっきり言って私は強い、何も怖がるものがないほどに。

 ……嘘だ……失うことを恐れただろ、甥やあの兄弟の時のように……

 確かにそれは……待てよ?失うことを恐れた……?

 私の真下で二人が銃を構えていた。

「死ねええ!!」
「うおおお!!」

 連射の音が聞こえたときにはすでに、私は体を丸め、腕と脚で盾を作っていた。皮膚と肉を解き、骨をむき出しにした。

「硬く、硬く……」

 骨が分厚くなるのが分かった。続いて弾が当たり跳ね返る音がした。

「あぎゃあっ!」
「うぐうっ!」

 私は腕と足を元に戻し、綺麗に着地した。男二人は倒れ、跳弾の傷を押さえて呻いている。だが私の興味はもう二人には向いていなかった。冴えた頭のなかをめぐる、一つの仮説。

 あれほど必死に女たちを守っていたんだぞ……男という性への恐怖だけだろうか?被害者女性は最初に彼女を介抱した人間の一人だった……自分に関わった者の死が繰り返されることは、彼女にとって、最大の恐怖だったのでは……そしてあの事件が、終わったことにされているあの事件が、まだ終わっていなかったとしたら……

 彼女に確かめよう。だがその前に、もう一つ。

「おい、あんたら、まだ生きてるか?」

 私は神経質そうな男に話しかけた。うめき声が帰ってきたので、生きているみたいだ。

「知りたいことがある。」

「な、何を……?」

「俺が彼女の説得に失敗したら、どうやって『黒幕』の情報を聞き出すつもりだった?」

「し、知りませんよ……」

「俺の血を飲ませるぞ?ゾンビの血だ。数十秒で発症する。お前も仲間に銃を向けられてみるか?」

「ほ、本当に知らないんです!リーダーには、超人ゾンビが争っている間に、女達を一人でも多く保護しろ、としか言われてません!!」

「何をしてるんだお前!」

 振り向くと他の男たちが屋上に上がってきていた。皆、銃を構えている。

「そいつを殺せ!俺たちに襲い掛かってきやがった!」

 ガラの悪い男が体を起こしていた。まずいぞ、他の男たちも私に恐怖を抱いている。この状況なら問答無用で、

「撃て!」
「ゾンビを殺せ!」
「二人を守れ!」

 二日ぶりの弾幕。私は素早く屋上から飛び降り、建物の陰に隠れた。まずは聴力を上げ、敵の位置を探る……屋上……スーパーの中……ショッピングセンターの周囲にも見張りがいたはずだ……範囲を広げて声を拾う!

「……奥さん、娘の容体はどうです……」

 リーダーの声だ!

「……ええ、さっきゼリードリンクを少し飲んだけどすぐに眠りについたわ……それよりさっきの銃声はなん……」

 相手は例の未亡人か?スーパーではなく、薬局の方にいる。きっと少女もそこだ。ということは、リーダーは何らかの方法で情報を聞き出すつもりだ。そしてその後……

「逃がすな!人間の敵だ!」
「待てぇ!」
「ぶっ殺してやる!」

 男たちの叫び声が聞こえる。

「……男達がゾンビと戦っているようですね。やはりあの男もやはり危険人物だったか……でも大丈夫、すぐに始末しますよ……」
「……彼は何かしたの……」
「……何か?この娘同様、ゾンビですよ……」

 『この』娘。すぐそこにいる。

「いたぞ!そこに隠れてる!」
「銃は有効だそうだ!撃て!」

 くそ、男たちが邪魔だ!薬局はすぐそこなのに!裏から回る!

「……この子は私達を守ってた、人間よ。彼だってあなたたちを助けたんでしょ?……」
「……私の決定に逆らうつもりですか……」
「……あなたは戦う相手を間違えて、きゃあっ……」

 平手打ちの音。人が倒れた音。

「……一度だけチャンスをやる。彼女は何か話していなかったか?父親のことや、ゾンビの性質について。今教えてくれれば、さっきの失礼な態度を見なかったことにしよう……」

 リーダーのやり方は強引としか言い様がなく、どこか急いているようにも思える。黒幕の情報を聞き出すことより、彼女を殺す事を優先しているかのようだ。

「……例え聞いてたって、教えない、教えたらこの子を殺すでしょ……」
「……なら奥さん、あなたの使い道はこれしかない……」

 薬局の中から、人の争う音がした。

 あなたの使い道……そうか!未亡人の女を人質に取るつもりか!これなら少女は逆らえなくなる。黒幕の情報ばかりか、命までもリーダーに奪われるだろう。あの陽動作戦も、リーダー達が先にショッピングセンターを目指したのはこれが狙いだったのだ。

 つまり、リーダーは知っていたことになる。少女の暴走は、女達を必死に守るためだったことを。そしてそれを知った理由は、考えられる理由は……

「……やめなさい!リーダー!……」

 巡査服の男の声だ!

「……お巡りさん、なぜここに?……」
「……お嬢さんを守るためです。あなたが一人ここに向かったのを見て、もしやと思いました。あなたは越えてはいけない線を越えようとしている!……」

 まずいぞ、今のリーダーは危険だ。

「超人ゾンビを発見!薬局の裏です!」

 薬局の裏口に既に男たちがいた!

「……はあ、お巡り気取りの老いぼれが……」
「……何?……」

 できるだけ戦うのは避けたかったが、もう仕方ない、先に撃ってきたのは彼らなのだから、多少の痛みは覚悟してもらおう。

「……この娘は、死ななくてはならないんだ……」
「……奥さんを放して両手を上げなさい!……」

「大人しくくたばれゾンビ野郎!」

 私は裏口前にいた男三人に突進した。感覚は既に全開だ、少女の筋触手に比べれば自動小銃の弾など造作もない。弾の間をすり抜け、男たちを軽く突き飛ばした。

「うわあああ!!」

 軽くでも数メートルは吹っ飛び、三人は石畳の上に伸びた。そのまま私は薬局の裏口の、動かない自動ドアに手をかけた。

「させるかぁぁ!!」

 銃撃音がし、私は飛び退いた。脚に数発貰ったが、これはあえてだ。

「……お前は、拳銃を持っているのが自分だけだと思っているのか……」
「……なっ!やめなさい!……」
「……お巡りさん、撃って!……」
「……黙っていろ!ほらお巡りさん、奥さんに穴を開けたくないだろう?……」

 筋肉を絞り、弾き出した銃弾で男達を撃った。すかさず自動ドアに駆け寄り、こじ開けた。話し声は奥の部屋から聞こえる!

「……なぜ、そこまでその子を殺したがるんです……」
「……ふっ、あの世で娘に聞くといい……」

 ドアを開けて最初に目に入ったのは、リーダーが巡査服の男を撃つ瞬間だった。

 刹那、私は立ち止まった。振り返ったリーダーと目が合う。

「よくも!」

 私はリーダーが反応する間もなく、彼の頬を殴り飛ばした。リーダーはソファを二つ飛び越えた向こうの棚に激突し、落ちてきた薬の箱に埋もれた。

「大丈夫か!おい!」

 倒れている巡査服の男に駆け寄った。胸を撃ち抜かれており、既に意識がない。

「この傷は……奥さん、医者を呼んで!」

 未亡人の女は首を横に振った。

「ここに医者は居ないの……看護師と薬剤師だけじゃその傷は……」

「くそっ!また救えないのか……」

 怒りと悔しさからか、体が熱い。こうなったら、

 ……よせ、あれはまだ実験段階だ……

 こういう時のために用意してきた!少しでも生き残れる方に俺は賭けたい!

「奥さん、水、もってますか。」

「え、ええ……ここにあるけど、」

 私は差し出された水のペットボトルを受け取り、蓋を開けた。

 ……仮に助けられたとしても、人間としてよみがえる保証はないぞ……

 私は左手の爪を掌に食い込ませ、滲んだ血を数滴、ペットボトルの中に入れた。

「何してるの?」

「助からないくらいなら、彼をゾンビにする。」

「ええっ!」

 私は水を振り混ぜ、一滴、巡査服の男の胸に垂らした。

「俺の血は普通のゾンビの血じゃない。この三か月間、俺は動物やゾンビを捕らえては、自分の血を与える実験をしてた。でも効果はまちまちで、傷が治るやつもいれば死んでしまうやつもいた。だからこれは賭けだ!運が良ければ、」

「理性を保ったゾンビとして生き返る、のね?」

 未亡人の女は、既に覚悟を決めた目をしていた。

「そうだ。」

「なにか手伝うことは?」

「お巡りさんに猿ぐつわを噛ませて、両手両足を縛るんだ、普通のゾンビになる可能性も十分にある!」

「わかったわ。」

 薬局の裏口に、足音が向かってきていた。すぐにでも突入してくる。未亡人の女を巻き込むわけにはいかない。

「奥さん、手を止めずに聞いてほしい。あの強姦殺人事件は、犯人がもう一人いる。」

「えっ!」

「ここに来て疑念が確信に変わったよ。リーダーがその犯人だ。」

「そんな……もしかして、彼があの子を殺そうとしてたのもそれと関係が?」

「ああ。その少女は現場を目撃してるんだ。その場で二人を殺したけど、最後の一人に逃げられた。しかも恐らく、夜のため顔を見てないはずだ。」

「まさか……それで男たちを追い出した……」

 彼女は怖かったのだ、取り逃がした犯人が、また誰かを襲うのではないかと。人間と関わることも避けていた彼女は、この奥さんにも話さず一人で抱え込んでいたに違いない。

「でもそれはリーダーにとってチャンスになってしまった。」

「チャンス?」

「顔は見られてなくても、男たちの中にまだ犯人がいるなんてことになったら、集団は疑心暗鬼に陥る。リーダーは抵抗せず追い出されることで、問題点を『強姦殺人』から『ゾンビの暴走』にすり替えた。そして和解交渉に来たと言いつつ、隙をついて彼女を口封じするつもりだった。」

「酷い……」

「ああ、本当に。俺たちはみんな、こいつに利用されてたんだ。奥さん、このことをみんなに知らせてくれないか?」

 未亡人の女は頷いた。

「わかったわ。その間、この子とお巡りさんをお願いね。」

「ああ、任せて。」

 巡査服の男を拘束し終え、彼女が立ち上がった時だった。

「さすがだよ……超人ゾンビ君。」

 リーダーが目覚めていた。薬の箱をどかし、立ち上がろうとしているが、殴られたのが効いているようで、ふらついている。顔は青黒く腫れあがっている。

「リーダー、起きたのか。無駄な抵抗はするなよ。」

「無駄な抵抗か……」

 リーダーはフラフラと立ち上がるも、バランスを崩して、近くのソファにもたれかかった。ちょうどそこには、少女が寝ていた。未亡人の女が叫んだ。

「その子に近付かないで!」

「落ち着いて奥さん、リーダーは情報を欲しがってたから殺せない。人質もいないし、銃も床に落ちてる。」

 リーダーは、毛布の上に出ていた、少女の手を取った。

「君は鋭いが……肝心なところを……分かってないな……」

 何を言っているんだ?念の為、私は右腕をリーダーに向けた。いつでも筋触手で攻撃出来る。

「ふふ、綺麗な肌じゃないか……」

「止めて!」

 未亡人の女が叫び、私も直感的に、筋触手を放った。だが、わずかに遅かった。

 リーダーは少女の手に噛みついた。

 右腕から発射された筋触手はリーダーの両肩を捕らえ、壁に押し付けた。リーダーはそのまま気を失ったように動かない。だが、私はある可能性に思い至っていた……有りうるのか?そんな事が?

「痛い……」

 少女が目を覚まし、未亡人の女が駆け寄る。

「大丈夫?」

「おばさん?私はいったい……」

 そこへドタドタと男たちが部屋に入ってきた。

「こ、これは、いったい、どういうことだ!」
「リーダーが!」
「やりやがったな!」

 リーダーがピクリと動いた。

「リーダー!」
「まだ生きてる!」

 私は声帯を強化して叫んだ。

「近づくなお前ら!!!」

 声に気圧され、男たちが止まった。

「リーダーは今しがた、その子の手を噛んだ!!!感染している!!!」

 リーダーの体が、痙攣し始めた。

「うそだ、リーダーが!」
「助けられないのか?!」

 痙攣しながら、リーダーの肉体は膨らんでいるように見えた。その場にいる全員が……私や、少女も……リーダーの変異に釘付けになっていた。

「なんなの、これ……」
「おばさん、逃げて、私が仕留めるから。」

「いや、君も逃げろ。こいつは俺が引き受ける。」

 少女はその時初めて、私が朝に戦っていた男だと気づいた。

「あんた、どうしてここに、」

「いいから逃げろ!そこのお巡りさんを連れて!女も男も全員避難しろ!」

 このゾンビ、何かがおかしい。最大限の警戒がいる。

「時間を稼ぐから、早く!」

 私は触手でリーダーを持ち上げると、そのまま表口の方へと向かった。まるで羽化寸前のさなぎのように、リーダーの体は不気味に伸縮していた。私は表口の自動ドアを蹴って割り、外に出た。

「出てきたなゾンビ野郎!」
「何もってるんだこいつ!?」

 入り口にいた男たち!逃げ道をふさいでたのか!

「来るな!リーダーが感染した!離れ、」

 私の警告は激しい破裂音でかき消された。背中や後頭部に、何か、細かくて鋭い無数の破片が刺さったのがわかった。倒れざまに振り返ると、私の筋触手の先が無くなっていた。

「素晴らしいな、体中が思い通りに機能するとは。」

 リーダーが、というより、ゾンビが立っていた。体のいたるところに穴が開いており、血や肉がそこから流れ出していた。先ほどの破片はこいつの肉片なのか?

「すまない諸君、巻き込んでしまった。」

 私の周りは、私と同じく肉片に撃たれて倒れている男たちでいっぱいだった。全身に穴をあけられ呻いている者、死んでいる者、肉片からウイルスに感染し痙攣し始めた者……

「肉を補充するか。」

 リーダーは近くに倒れていた男の死体の足首をつかむと、膝から下を引きちぎった。

「あの娘よりは脂がのっていそうだな。」

 私は傷口の再生が終わり、立ち上がった。右腕もまだ触手が使えるが、少女の筋触手と違い、私のは出血を伴うため消耗が激しい。連発はしたくないのだ。

「最初からゾンビ化するのが目的だったのか?」

「いや、娘をかじったのは思い付きさ、君が老いぼれを助けようとするのを見て閃いたんだ。私の計画は君の推理通り、あの娘を始末するのがゴールだった。」

 リーダーは引きちぎった脚から服や靴を剥いでいる。まだだ、隙ができるのを待て。

「まあ、老いぼれや君に邪魔されてしまったが……無能な男どもめ、足止めもできんとはな……」

 リーダーが肉に食らいついた。今だ。私は彼に襲いかかった。常人であれば反応できないほどの速さで間を詰め、左手の手刀で首を狙う!

 ……取った!……

 と思いきや、私の左腕が消えた。肘から先が、ない。

「えっ?」

 おそらく蹴りであろう、強烈な衝撃を腹部に受けた。吹き飛ばされた私は、向かいのスーパーのガラスを突き破ってカートの山に突っ込んだ。

「うえっ、」

 血なのか吐しゃ物なのか分からない何かが口から出てきた。どうなってる?速い上に、強い。今まで戦ってきたどのゾンビよりも。

「こうなる予感はあった、もし感染することがあれば私も君のようになるんじゃないかと。君と私は同類だからな。」

 少女から感染したからだろうか、リーダーの左手は既に八本の筋触手に分かれていた。なんとその触手は、先ほど切り落としたであろう私の腕と、リーダーが持っていた足を食べている。肉を細かく引き裂き、腕に同化させたり、体の穴を埋めたりしている。

 周りに女たちが何人か集まってきた。

「ねえ、だいじょうぶ?」

「ばか、来るな!」

 先ほどの破裂音が、もう一度。私は全身に刺すような痛みを感じ、床に倒れた。女たちの悲鳴も聞こえる。

「面白い特技だろう?血液を汗腺から噴き出しているんだ。ショットガンは要らなくなるな。」

 リーダーが楽しそうに話しながら、こちらに近づいてくる。

「同類ってのは……どういう意味だ……?」

 時間が欲しい。稼ぐんだ!人間たちが逃げる時間、傷を治す時間、この男への対処法を考える時間!

「しらばっくれるな。私たちには自らの感情を管理する才能がある。」

「誰だってできるだろそんなの。」

「苦手な人間もいるだろう?感情の抑圧は通常、『身に付ける』技術だ、社会生活の中で獲得していく……対して我々は『最初からできる』。君は身に覚えがあるはずだ、感情的な人間を前に冷めてしまうことや、窮地でも合理的な判断ができてしまうこと。」

 私は返す言葉がなかった。共感できてしまう自分がいた。

「沈黙は雄弁だな……」

 リーダーはにやりと笑い、言葉を続けた。

「初めて会った時に、人間のふりをして襲ってきたゾンビを知っていると、話したのを覚えているか?あの少女のことではない、二か月ほど前に遭遇したゾンビだ。そいつも私と同じだった。当時の仲間は全員殺されたが、辛うじて私が、そいつを殺した。」

 リーダーは自分語りに夢中になっている。私もそうだが、感情がないわけではないのだ。初めてのゾンビ化では、まだ感情の抑圧は難しいはず。

「私が思うに、ゾンビ化の本質とは本能や感情の暴走なのだろう。それを支配できる者だけが適応できるのだ。」

 スーパーの中で大騒ぎしていた女たちは既に逃げた。切断された左腕はまだ治ってないが、とりあえず巻き添えは気にしなくて済む。物が多いスーパーの中なら、不意打ちも狙えるはずだ。

「なあリーダー、俺達が同類なら、殺しあうのをやめないか?正直あんたに勝てそうになくて。」

 さっき奴は私の腕を取り込んだ。以前虫から貰った毒が、じきに効いてくるだろう。そこを狙う。

「殺しあうのをやめる?はははっ、下手な時間稼ぎはよせ。」

 見抜かれた!

「言っておくが、喋っていたのは私も時間が欲しかったからだ、感覚器官や骨の強度などの調整にね。だがそれももう……終わった!」

 今度はリーダーが突進してきた、私は防御態勢を取る間もなく懐に入られた。

「じゃあな。」

 リーダーは突きではなく、右手の手刀で下から切り上げた。私は体を強引に後ろへ反らしかわしたが、内臓が潰れたのがわかった。

「そう避けたか!」

 さらに私はひねった勢いを活かし右足で蹴り上げた。狙いは顎だ。

「がっ!」

 リーダーの体が宙に浮いたのが見えたが、敵へのダメージを確認する間もなく、爆竹のような破裂音がし、私の右足がちぎれた。

「うああっ!」

 痛みに叫んでいる場合じゃない!今度は刃が空を切る音がした。無我夢中で後ろに跳ぶと、私を捕らえ損ねた筋触手が床を削っているのが見えた。リーダーは顎を蹴られたことで脳震盪でも起こしたのか、よろめきながら、筋触手で近くの物を手当たり次第に破壊していた。切断されたカートの破片が飛んでくる。

 一方こちらは、左腕ばかりか、右足まで失った。血の弾丸は至近距離で食らうと此処まで威力があるとは……内臓の損傷は治ってきたが、骨ごと再生するのは時間がかかる。

「カウンター、とは、やるじゃないか!」

 リーダーが叫びながら歩いてくる。私は片足で踏み切り、商品棚の列へと跳んだ。

「無駄だぞ、隠れても音でわかる!」

 私の接近をけん制したいのか、射程外にも関わらず筋触手を振り回している。まだ脳が回復仕切っていないのだろう。毒はまだ効かないのか?私は近くに倒れている女の死体に這いよった。

「君も食事か?させん!」

 リーダーが触手を引っ込めた。来る!

 爆竹のような破裂音、私は死体を盾にし、血の弾丸を四度目にして防いだ。

 さらに死体の右腕を肘あたりから引きちぎり、先のない右ひざにつないだ。リーダーが叫ぶ、

「そんなこともできるのか!」

 ……すまない、腕を使わせてくれ!……

 女の右腕が動いた瞬間、私の左耳が切り落とされた。触手の射程に入ってる!

 私は女の体をリーダーに向かって投げ、走り出した。商品棚の間を縫って逃げ、距離を取る。私を追いかけ、棚を越えて触手が上から襲ってくる。そうだ、追って来い、障害物が多いこの場所でなら、触手攻撃は手探りで不正確になる、そこを返り討ちにする!

 私は再生中の左肘を振った。あえて骨を優先的に、かつ先端を鋭利な形で再生してある。

「はっ!」

 触手を二本切り落とした。

「馬鹿め!」

 リーダーの罵声が聞こえ、先端を失った触手が爆発した。

「何っ、」

 私は吹き飛ばされ、店の壁に設置してある野菜コーナーに衝突した。体中に細かい穴がたくさん開いていた、動けない。触手は餌だったようだ。

 顔を上げると、目の前の商品棚の上にリーダーが飛び乗ってくるのが見えた。

「私の方がゾンビとしては優秀だったようだな。」

 くそ、ここまでか?

「失った触手は、君の肉体から調達するとしよう。勝利の記念にもなる。」

「お前、は……勝って、ない……」

「ほほう、強がりか?」

 会話で時間を稼ぐ。右腕だけ再生させる。本当にもうこれしかない。

「お前はもう、レイプ犯で、人殺し……社会には戻れない……俺を殺しても、お前が手に入れられるものなんて、ない……」

「ははは、何を言うかと思えばそんなことか!私は倫理などとうの昔に捨てているんだが?女を犯すのもあれが初めてではないしな!」

 何だと?

「十八の時からずっと繰り返している!必死で抵抗する相手を力でねじ伏せるのが楽しくてね。リーダーをやっているとその余裕がなくなるのが悩みの種だった。」

 ……こいつは、とんでもない……

「バカな男どもが女を狙っていると知ったとき、チャンスだと思った!そろそろゾンビじゃなくて生きた人間を殺したかったからだ!私は二人をそそのかした。女には、事情を聞くから人目につかない場所で話そうと言い、二人を待ち伏せさせた……」

 リーダーの顔はウイルスではなく、下品な悦びに歪んでいた。

「女を殺したのは私だ……犯した後は口封じする主義でね……ああ、男たちが泣きついてきたというのは本当だぞ。殺すなんて聞いてないと大慌てでね。まあすぐにその二人も私が殺す予定だったんだが、凶暴な目撃者に獲物を取られてしまった……まあ、その娘が次の獲物になったわけだが……ああいう健気な女はそそる……」

 ……とんでもないクズだ……

「でもお前は逃げた、お楽しみより保身を優先して!」

 話を伸ばさなくては。今のリーダーは完全に嗜虐心に飲まれている。

「撤退は立派な戦術だ。おかげで私は部隊を鍛え直すことができた。生存者と武器を集め、道中で何度もゾンビと戦わせ、準備させた。君と出会った日に遭遇したゾンビも、実は訓練の一環で、私が予め刺激しておいた奴なんだよ。」

 あの水死体ゾンビのことか!妙に到着が早かったのは、人間がいると知っていたからだったのか。

「黒幕はどうするつもりだった?人類のため戦う気なんかなかったんだろ?」

「もちろんない。ただ個人的な興味はあった。黒幕は最高の獲物となりうる、討ち倒せば私が人類の支配者だからな。この状況ではあの娘から情報を引き出せるか怪しいが、その代わり超人ゾンビの力が手に入ったのだ、悪くない。」

 右腕は治った。いつでも触手で奇襲をかけられるが、問題はいつ仕掛けるかだ。

「さて、もう話すこともなくなってきたな。君とはそろそろお別れだ。私の隙を突こうと考えているのだろうが、先ほどそれに失敗して……」

 リーダーは急に口をつぐんだ。自分の右手を見つめ、驚いたような表情をしている。半ばあきらめかけていたが、ようやく毒が効いてきたようだ。

「君は、何を、した……」

 リーダーは毒の麻痺が全身に回らないうちに私を殺そうと考えたようで、筋触手を六本展開した。いちかばちか、差し違えくらいは狙えるかもしれない。

 私が右手の触手に命令を出そうとしたその時、凄まじい轟音とともに、スーパーの窓が吹き飛んだ。

「なんだこれはっ!」

 リーダーと私が二人して視線を奪われたその先には、巨大な肉の塊があった。そして血をたぎらせたそれは、こちらに突進してきた。

 私は右腕で床を殴り反動で空中へ避難したが、リーダーは麻痺により動けず、そのまま肉塊に押し流され見えなくなった。壁に突っ込み動きを止めた肉塊の上に、私は着地した。

「大丈夫ー?!おじさーん?!」

 あの少女の声がした。スーパーの外から聞こえてくる。

「無事だ!君なのか?!」

「うん!あいつ死んだ?」

 なるほど。この肉塊は彼女の右腕か。こんなに筋肉を膨張させられるとは。

「わからない!今感覚も弱っていて、リーダーの心音が聞き取れない!」

 なんとか体が動くようになってきたので、私は肉塊から降りた。ちょうど彼女も、割れた窓から店内に入ってきたところだった。右腕を肉塊から引き抜いたのだろう、血まみれだ。

「私も、いまので疲れちゃった。他の人たちは、近くの家の屋上に避難させた。」

「どうして屋上に?」

「銃声やら叫び声やらで、町中のゾンビが集まってきてるの。建物の屋上を伝って逃げるから、おじさんも手貸してくれない?」

「それは別にいいけど……男たちも一緒でいいのか?」

 少女は少し顔を曇らせた。

「平気、って言ったら嘘になるけど、事情はおばさんから聞いてる。悪いのは全部あいつなんでしょ?」

 彼女は肉塊の先を顎で指しながら言った。

「ああ。他のみんなは利用されてただけだ。」

「じゃあ、平気。」

 私は少し微笑んだ。自分でもびっくりするほど、自然に表情がほころんだ。

「え、何で笑うの?」

 ……彼女に肩入れしているからだ……

 ……確かにな……

「いやなに、君は、」

 健気、という言葉が出かかったが、今だけは、リーダーと同じ表現を使いたくなかった。

「本当に、頑張り屋さんだな、と思って。」

 思わず少女の頭を撫でていた。彼女がきょとんとしている。

「先に行っててくれ。私はリーダーと決着をつける。」

「え?うそ、だってゾンビが、来てるんだよ?!」

「ゾンビも全員俺が引き付ける。君たちは屋根の上で静かにしてるんだ。」

「ひきつけるって、どうやって?」

「考えがある。さあ、早く。後で追いつくから。」

 彼女は納得しかねる様子だったが、小さくうなずくと、ジャンプして薬局の屋根に飛び乗った。建物から建物へと飛び移っていく彼女を見送り、私は大きく息を吸った。

「さて、やるか。」

 体はボロボロだが、気分はいい。私は少女が残した肉塊に左腕を突っ込んだ。例によって、私の肉体と巨大な右腕は同期を始めたが、腕が大きすぎるせいか、すぐに掌握できない。

「リーダー、お前もそこにいるんだな。」

 肉塊の中に異物感があり気づいた、私と同じことをリーダーもしている。

「……我々はつくづく同類のようだな……」

 リーダーが向こうでつぶやいたのが聞こえた。聴覚がさえている。巨大な筋肉と融合し始めたことで感覚が回復したのだ。

「俺もさっきまではそう思ってたよ。」

「……さっき、だと……」

「ああ、俺はどうやら思っていたより、あんたとは似てないんだ。」

「……社会性のことを言っているなら、それは表面上の相違に過ぎないぞ……」

「その表面上の相違が、決定的な相違なんだよ。」

 私は左腕に力を入れた。よし、徐々にこの肉塊のコントロールができるようになっている!

「……随分楽観的だな。あの娘との会話が君を変えたとでも?……」

「違いに気づいた、ってところだな。」

「……なら君が今やろうとしていることを当ててやろうか?この肉塊を爆破するつもりだろう?……」

 やはりわかるか。

「……君の考えることは私も考える!これが本質的な類似でなくてなんなのだ?……」

 左腕に力を込め、肉塊の一部を爆裂させた。大砲のような音がして、スーパーの天井に穴が開いた。

「……その音でゾンビを引き寄せるつもりだろう?人間たちを守るならそれが合理的判断だ。だが……」

 また肉塊の表面が、今度は私の近くが爆破され、背後の花屋のシャッターに穴をあけた。こちらは私の意思ではない。

「……自分を守るという意味では合理的ではないな……」

 私の付近の肉や血が蠢いている。私とリーダーは同じことができる。血の弾丸が至近距離で当たれば私の命はないだろう。

「……すぐにこの肉塊全体の制御が出来るようになる。それは君も同じだろうが、私と君とでは、肉体への支配力に差がないと言い切れるかな……」

「あんたの方が強いとも限らないぞ。」

「……ほう?……」

 急激に私の左腕の周りが熱くなってきた。血流や筋肉の痙攣も激しい。

「……なら抑えてみろ!出来なければお前も吹き飛ぶぞ……」

……リーダーの命令を逸らせ……

 玉のような汗を額に浮かべ、私は左腕に意識を集中させた。私に当たらない位置で、肉塊の表面から血の弾丸が何発か飛び出した。

「……同じ肉体を共有しても私の優勢に変わりはないようだな!……」

 確かに私は、防戦一方だった。リーダーは勝ち誇っている。

「……なぜ私の方が強いか分かるか?それは私が君と違い、自分の願望に忠実だからだ!殺したい、犯したい、支配したい……そういう自分の欲を受け入れ、共存し、解放してきたからだ!……」

 リーダーの言葉に熱がこもり、比例するように、肉塊の脈動が大きくなっていく。表面の破裂も、徐々に頻度を上げていく。

「……君やあの娘は中途半端なんだよ!感染を恐れて他人と関わらないようにしている?笑わせてくれるな!ゾンビ化の本質は本能と感情の暴走!いや、覚醒だ!人間であろうとする限り、君は私には敵わないのだ!!!……」

 耳が痛い。実際私の三ヶ月間は、現実逃避の側面があった。だが、

「それも、さっきまでの話だ。」

「……何?……」

 肉塊が膨張しだした。左腕が燃えているようだ。

「俺は自覚した!俺は兄とも、甥とも、あの兄弟達とも、死に別れて傷ついた!孤独だったよ!あの子もきっと同じだ、だから放っておけない、誰かと繋がらせてあげたいし、俺も繋がっていたい……」

 私は今、はっきりと、自分の願望を自覚していた。左腕の熱さが、心地よくすら思える。

「リーダー、俺も今はあんたと同じように欲しいもののために戦ってる!だが目指すものはあんたとは真逆だ!これが俺たちの決定的な差だ!」

「……今更違いに気付いたところでもう遅い!この肉体はすでに!私の物だ!……」

 もう言葉は必要なかった。私も彼も雄叫びを上げ、肉塊の支配権を奪い合った。片方が爆発させようとすれば片方がそれを阻止する。互いの筋肉への命令が反発し、その度に肉片が弾け飛んだ。噴き出す大量の血で、天井も壁も床も、真っ赤に染まっていた。

 ついに、肉塊の隅々、その向こうのリーダーの肉体まで感覚が広がったのがわかった。リーダーは、私のように左腕だけでなく、全身を肉塊と一体化させていた。おそらくは、少女の奇襲が直撃していたせいで、そうでもしないと身体機能を維持できなかったのだ。

 そして、肉塊は物理的な限界を迎えた。

 爆発の直前、私は右手の触手で左腕を切断し、後ろに跳んだ。続く爆音。鼓膜が破れ何も聞こえなくなった。私は木の葉のように宙を舞い、何かやわらかいものに衝突して、意識が薄れていった。

「おじさん!起きて!」

 鼓膜が治っていた。目を開けると、私を覗き込む少女、未亡人の女、それに男達も女達もいる。

「あ!!!おじさん!!!」
「おお生き返った!」
「すげえ。さすがゾンビだ!」

「どこだここは?」

「屋根の上。ショッピングセンターから少し離れた、公営住宅の。」

 未亡人の女が教えてくれた。

「あなたが空から降ってきたから、この子が捕まえてくれたのよ。」

 私は体を起こした。左腕ばかりか、脚に取り付けた女の腕もなくなっている。少女が半泣きの顔で見ている。

「ありがとう、助けてくれて。」

 私が礼を言うと、少女が泣きそうになり、未亡人の女が優しく頭を撫でた。

「そうだ、リーダーは?」

 近くにいた男が答えた。

「いや、俺たちは見てねえけど……見失ったのか?」

 崩れ果てた建物が視界に移った。聴力を上げる。彼も生きているとしたら、この集団はまだ安全とは言えない。

「……近寄るなこのゴミども……」

 リーダーの声がした。急いで視力も上げてスーパーの跡地をみると、ゾンビの群れが見えた。

「……やめろ来るな、やめろ、やめろぉぉぉ……」

 ゾンビの群れが、リーダーにたかっていた。

「リーダーを見つけた。」

「まじかよ、どこだ?」

 私がスーパー跡地を指さし、周りにいた人間たちが一斉にそちらを向いた。

「でも、もう死ぬ。今ゾンビに食われてる。」

 その場の空気が凍り付いた。

 リーダーの様子はゾンビに隠れて見えなかったが、ほとんど抵抗は見られない。全身を肉塊に融合していたリーダーは、爆発で動けないほどの損傷を体に負っていたのだろう、そこに、私がおびき寄せたゾンビたちが集まってきた。

 リーダーの叫び声が、次第に途切れ途切れになっていった。聞こえているのが私だけでよかったと思う。

「死んだ。断末魔もしっかり私が聞いた。」

 男の一人がつぶやいた。

「そうか……終わったんだな。」

「リーダーだけは、ね。」

 少女が言葉を続けた。彼女は既に泣き止んでいた。

「他のことは何にも終わってない。住むところはないし、お巡りさんもまだ目を覚ましてない。何より、私のパパを何とかしなきゃ。お願い、私なんかがが言えたことじゃないかもしれないけど、みんな力を貸して。」

さっきまで泣いていたとは思えない、力強い声だった。

「当り前じゃない。」

 未亡人の女が優しく言った。

「あなたはもう私たちの仲間よ。こっちこそ、力を貸してほしいわ。」

 他の人間たちも続いた。

「俺も貸すよ!」
「私も!よろしくね!」
「今までありがとう!」

 少女は涙ぐみながら、今度は私を見た。

「ねえ、おじさんも、来てくれるよね。」

 急に話を振られて、私は少し面食らった。

「えっと、俺は……」

 ここに来た本来の目的は自分と同じ境遇の彼女と話すことだった。

 ……目的なんかいい、お前の本心はどうなんだ……

 本心……そうか、そうだな。分かり切ったことだった。

「ああ、一緒に行くよ。」

答えた瞬間、少しくすぐったいような気分がした。

最終話へ続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?