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私のこと2-西洋占星術の考察を含む-

占星術考察のための履歴書、続きになります。
最後に、私のネイタルチャートの星と照らし合わせたいと思います。

前回の記事はこちら↓
自分自身がHSPで悩んできたこと、芸術方面で活かしていたことを綴っています。

22才(2014年)ネイタル・トランジット天王星同士のスクエア
大学3年生。母に言われるまま、美術の教員免許と学芸員資格の取得を目指して勉強してきましたが…。これら資格の単位が本来勉強したかった美術のコマ数より多く、授業によっては、1日たりとも休むことが許されません。
科目は早朝から遅い時限までみっちり、混雑するバスに耐えながら(電車が辛く、バスの乗り継ぎで通っていました)何とか通います。

それで「私は、こういうことがしたかったわけではない」という気持ちが頂点に達しました。

加えて、教育実習が恐怖でしかなく、母の大反対を振り切って辞退書を提出しに行きました。
そうしたら、事務員の人にまで「辞めちゃダメ」と、辞退書を目の前でビリビリに割かれたのです。それで、腹を決めることに。

あれこれしんどい時はピアノ室(保育科があったのが幸いでした)が保健室替わりとなり、練習で発散。
実は、作品もピアノ室で制作していました。
カンディンスキーという画家が、ユリウス歴のほうの誕生日が一緒で運命を感じ、音楽と芸術は融合するのだと感動していたこともあります。演奏しながら、描いていましたね。

当時描いた絵。演奏をして感じた色を、
楽譜へそのまま塗りました。
この曲はショパンのノクターン。

この頃も宇宙に関心があり、特に「はやぶさ2」が旅立つ瞬間はライブ中継を見ながら絵画の授業を受けていました。
打ち上げ後の冬だったでしょうか…、ある夜に自宅でラジオを聴いていたのですが、
「今、はやぶさ2はこのあたりの星にいます」といった内容が流れてきて、思わず空を見上げたら、オリオン座のあたりで丁度流れ星が見えました。スーッと。人生初の流れ星を目撃し、宇宙が応答した!とまた一人で感動。

23才(2015年)
教育実習は母校で引き受けて下さることが決定しましたが、先生と再会した時、とても恥ずかしかったです。先生には「○○大学を受験します!」と宣言して卒業していったのです。
かつて予備校でお世話になったデッサンの先生もいらっしゃって。
予備校の先生とは気まずくて、結局一言も会話することはありませんでした。

今だからこそ思い出しますが、あの頃の私は、こんなにもキラキラしたところにいたのかと…。
先生方は、日々成長していく生徒の姿を見て、眩しく感じていらっしゃったのではないかと思います。
指導くださった時も、どこかあたたかさがあり、今でも懐かしく思い出されます。

教育実習では日本画を教えました。
点数が付くような厳しい世界を垣間見たからこそ、瑞々しいありのままの感性で、自由に描いてほしいと思っていました。

・・・
当時、大学にかかる費用により、貧困が極限に達していました。
何度か退学の勧告があって、最後の危機に差し掛かった時、あるアクシデントが起きて…。その時の慰謝料で、大学を卒業することができました。

24才(2016年)ネイタル天王星・海王星合にトランジット冥王星が重なる
就職活動がうまくいかないまま卒業しました。
いざ就職となると皆が個性を脱ぎ捨て、大量生産の黒いスーツに身を包み、同じ髪型をして出荷される。
当時の私には、そういう風にしか見えませんでした。

どうして働かなければならないのだろう?と考える。この社会の枠組みは一体何なのか。

自分の体質の悩みもあり、社会に出たら、地獄の苦しみがはじまるんだろうと夢も希望もありません。

その後、アルバイトをしたり訓練校に通ったり。
母に「子ども向きではないか」と言われ、幼稚園や児童館に内定をいただいたこともありますが、3日で勤まらなくなりました。

ある方の伝手で、世界を飛び回るデザイナーに会わせていただいたことがあります。
その方に言われた言葉を、今でも覚えています。

「貴方は一体、何がしたいの?本当に自分がしたいことでなければ、続かないよ」

務まらない自分に対する悔しさ。時折会っていた父には、プー太郎にだけはなるなと言われます。苦悩と、社会への憎悪しか感じていなかった自分に、彼女からの厳しい言葉が続きました。

・・・
それから、この頃初めてオーラソーマのセッションを受けました。
一番最初に選んだボトルはB062の「マハコハン」でした。当時はアセンデッドマスターの意味すら知らず、歴史上の人物だと思っていました。
なので、ボトルの解説が理解できず、似たボトルであるB043「創造性」を選びなおしたり…。

-私は何がしたいのか。私は一体何者なのか?-
というメッセージだったのでしょうね。

この年の冬、現在の職場の面接を受けたのですが補欠となり、また別の仕事を探すこととなります。

25才(2017年)
1月から地元の郵便局、窓口業務で契約社員として働きます。
去年の悔しさから、遠方の研修だろうが何でもやってやろうと思い、がむしゃらに勤めました。
辛かったのは大雨の時の集荷。何キロもある荷物を濡れないように運びます。また、中小企業の多い地域でしたので、何十通もの郵便物を間違いなく数える難しさがあり、何度も間違え、時には先輩に舌打ちされたこともありました。1円でも過不足があると帰れないのです。
そんな時は決まって、局の係長が目をつぶって、そっと計算をし直してくれました。懐が深い方でした。

辞めたくて仕方がなくて、松岡修造の動画を見て気合を入れる日々。
大学では断れた飲み会も、付き合いでやり過ごさねばならず……、当時は辛い感覚(会食すると、食べ物が喉を通らなくなります)を押し殺していました。
ただ、飲み会へ参加しているうちに、人となりとか意外な一面を見ることができて。案外、楽しい一面もあるのかもしれない、と少しずつ思えるようになっていきます。

・・・
7月下旬。去年の暮に補欠となった施設から、連絡がありました。退職者が出たので、来てくれないかとのことでした。
自ら働きたいと思って応募した施設でしたので、とても嬉しかったです。
ただ、私が当初受けていた窓口業務ではなく、別の部署の聞いたこともないような業種名。主に、小学生を相手とする仕事内容でした。
履歴書の資格欄を見て声かけしたそうですが…、保育園も児童館も務まらなかった私が、本当に大丈夫だろうかと思いつつ。
郵便局の窓口業務で鍛えられた面もあり、転職することとなりました。

8月1日採用。夏休み期間の施設は大変混雑しており、目まぐるしい中で、あっという間に1ヶ月が過ぎました。9月になると、校外学習があるからといって、大きなスクリーンで宇宙の光景が映し出された時、大変驚きました。まさか、プラネタリウムに準じた仕事内容が含まれているとは、思ってもいなかったのです。
業務内容はこれだけではないのですが、主軸は科学で、創造性を活かして企画開発する面もあります。

入社して3〜4ヶ月後、早速自ら講師を担当してワークショップを開催しました。初めてのワークショップでは「鉱物」を取り上げました。
子どもたちが、早くから自然物の美しさに触れ、その神秘に気付いていくこと。不思議だと思ったことを、科学で探求するのか、それとも芸術で昇華するのか。はたまた…。
いつか自分探しのきっかけになるように、数々のワークショップを企画していきました。

★昔読んでいた漫画「しゅごキャラ」が重なります。甘いラブコメに紛れて、司さんという占星術師が出てくるのです。
大人になった今も、こういう人になりたいと思えるのですよね…。

29才(2021年) 12月4日の誕生日に皆既日食
この仕事に就いて4年目の春。
今までお世話になった先輩が、二人とも退職されました。
そして新しく入ってきた職員……、ここからが波乱のはじまりです。
(詳しくはサターンリターンの記事で綴ったので割愛します)

この時期に出会った人は、過去世からの縁の深い方々かと思います。まさに、業の嵐でした。

西洋占星術に興味を持ち始めたのは、この頃からです。
それまでは星空のナレーター時にギリシャ神話が出てきても、何ら思うことなく読んでいた私でしたが、そういった方との出会いで変容を経験していきます。

30才(2022年)サターンリターン
昇給試験に合格しました。パワハラによって一名欠員となり、新たに入ってきたのは哲学を専攻されていた方。今度は、お二方がいがみ合うようになります。
私も、最初はなんて気難しい人なんだ…とストレスでしたが、やがて別の側面にも気付くようになります。相手には相手の考え方があると捉え、任せられることも増えていきました。

それにしても、彼が…どうも神父さんにしか見えない。もしかして、私の過去世は修道女だったのではないかと思い始めます。

・・・
この頃、また茨城県の霊能者の元を訪ねます。9才の時以来ですから、実に20年ぶりですね。
私に占いの影響を与えた仕事仲間と共に行きました。思えば、この日を境に…以前のような関係性ではいられなくなった気がします。U字曲線的に、魂の交流が頂点に達したのではないでしょうか。

この様な感じで今日に至ります。

私のネイタルチャート。

さて、ここまで0~30才までの詳細な履歴を綴りましたが、ネイタルチャートに対し、どのように落とし込んでいくのでしょうか。

まず、私のHSPという体質についていうのなら、山羊座の天王星・海王星と金星の集合です。天王星・海王星合世代が30代になる頃、HSPという言葉が流行しました。
私の場合、1ハウスの蟹座=肉体に圧をかけているということでもあります。

加えて、ASC蟹座に月がタイトにスクエアです。
自分の欲求を表現することに葛藤があります。note記事として社会へ発信できるまで、非常に時間がかかりました。

水星に冥王星がコンジャンクション。合は、良い意味でも悪い意味でも強烈に作用します。冥王星はゼロヒャクの星。ショート寸前まで引き上げられるエネルギーによってパニック障害を引き起こし、幾度となく目の前が真っ白になりました。強迫観念に悩まされます。
※注記ですが、精神面について、こういう星があるから…と一概に言えるわけではありません。相手との対話を通して、分かることのほうが多いです。ただ、私の場合…ある方の星回りを見せてもらった時、パニック障害を発症した時期がネイタル水星とトランジット冥王星の合だったので……。確証を取りました。

水星期である8~15才は、特に水星へ強い負荷がかかっていたと推測されます。
とはいえ、冥王星は、月・水星・金星・火星・キロンにアスペクトを取っていますので、長い間この影響を受け続けることでしょう。

一方で、10ハウス月牡羊座⇔2ハウス火星蟹座。何かを作ることに対しての喜び。手工芸。お互いに高め合う配置であり、ものづくりに没頭します。

金星が8ハウスによって引き起こされた残酷な奇跡。不運によって、逆にお金をもらう。慰謝料という形であっても、大学を卒業できたこと…決して忘れません。
良いものも悪いものも、貰い受けやすい。感謝の気持ちを忘れないこと。
ちなみに金星のサビアンシンボル、前後で読むうちの山羊座24度は「修道院に入る女」です。

土星9ハウス。教育分野において困難はあれど、一生を通して探求することができる。太陽と木星が調和しているため、仕事でも活かしやすい。

ノード軸が12ハウス→6ハウス。
30代手前まで塞ぎ込んでいましたが、これから逆転劇です。

とても長くなりましたが、この様に人生における詳細な履歴書をつくりますと、占星術の勉強に役立つことが分かりました。

気になる方は、是非試してみてくださいね。













































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