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インターネット義務教育の必要性をいよいよ感じてしまっている。

「半年ROMれ」「ggrks」これらは古より言われているインターネットの基本の「キ」だ。簡単に言うと「その界隈のノリと流れを理解するためにちょっと黙って見とけ」「分からないことは自分で調べろ」ということ。とても当たり前のことだと分かる。何か特別なことを要求しているわけでもない。しかしこれがインターネットにおいてどれだけ必要なのかが問われるようになってきてしまっている。

子どもさんたち

まず「半年ROMれ」「ggrks」などの言葉を向けられるのはどういう人なのか。当然「その界隈の空気が読めてない」「そこの誰しもが分かることを聞いてくる」人たち。実際に接するとちょっと関わりづらい感じのする人たちだ。そしてそういう人たちに思う感情としては「子どもっぽい」と感じてしまう。

インターネットでは相手を見ることができないため「子どもっぽい」のか「そもそも子どもなのか」の線引きは難しい。それでも「子どもっぽい」のも「そもそも子ども」だろうともそういう人とインターネットで関わっても全く得をしないのはじじつだ。つまり俗に言う「ガキがネット使うな」が最善なのだろう。

これは古のインターネットにおいて言われてきたことだ。現代はどうだろうか。スマホ・タブレット・PCの普及と共にやってきた『どなたでもインターネット時代』。そしてSNSのおかげでやってきた『誰でも無料でインターネット時代』。ここぞとばかりに押し寄せてくるお子さんたち。そして、インターネットの基本の『キ』は気づけば死語と言われるまでになった。

YouTube幼稚園

この『どなたでもインターネット時代』と『誰でも無料でインターネット時代』の主役はもちろんYouTube。YouTubeそのものは古から地位を確立しているが、コメントする人間たちの問題が大きすぎる。

子どもたちの「憧れ」のYouTuber。そのコメント欄には、実名・デフォルトアイコン・おかしな日本語で『空気を読めない』コメントや『的外れな質問』がズラリと並ぶ。明らかに子どもたち。子どもっぽいではなくしっかりとした低学年の匂いを感じる。小学校低学年なんて大体幼稚園児と同じ脳みそだから実質幼稚園みたいなもん。

果たして大人が冷静に見て幼稚園児の声をまともに受け止めるとは思えない。人気ゲームのゲーム実況のコメント欄なんて発狂してしまいそうなぐらい日本語が壊滅的だ。

YouTube小学校

さて、この幼稚園生たちに紛れているのが「伝書鳩」「自分語り」「専門家」だ。

伝書鳩は、簡単に言うと「その場(動画や配信)にいない人の名前を出して勝手に宣伝してくる」人たちだ。これの問題は、まずそもそもいないところで名前を出すことで、出されたその方は多少なりとも意識しなくてはいけなくなってしまう。出された側は確実に迷惑だ。また別の人への誘導になってしまう。営業妨害でもある。良かれと思って宣伝しているのだろうけど、自分勝手にも程があるのが伝書鳩だ。

自分語りは、動画や配信の内容や流れの感想ではなく自分自身のことを大っぴらげに話すことだ。配信者側の求めていないタイミングでの自分語りは、配信者にとっては全く興味のないことだ。興味ないし、それを知ったところでって言う話。要は不必要な話はするなってことだ。

そして専門家。彼らは『自称』専門家である。彼らは動画や配信で配信者が求めていないにも関わらず適当なアドバイスや「こーしろあーしろ」を声高に叫ぶど素人の方々だ。○○やってみた系の動画にうじゃうじゃいらっしゃる。素人のアドバイスじゃなくて感想を求められてるのがコメント欄だということを認識してもらいたい。

これらYouTubeのコメント欄で嫌われるタイプだ。幼稚園児たちとは一味毛色の違うものの、共通して言えるのは「求められていない」ということ。小学生は、未来には必要かもしれないが社会には求められていない。

YouTube中学校では厨二病のイキリチー牛に全員が変化するためただただ見てられないという感じだ。


以上の方々はコロナ禍においてさらに目立つようになった。ここ数年は長期休暇のたびにYouTubeのコメント欄は見るに耐えない惨状が広がっていたが、自粛ブーストで更に増えている気がする。ポジティブに捉えれば、小さいうちから自分の思いを出すことができていることは褒められる。でも半年はROMってくれ。

現代のインターネットの象徴であるYouTubeには、古から言い伝えられている基本の『キ』は消えてしまっている。これではまともなインターネットに巡り合えない。ガキがネット使うな。ちゃんと義務教育受けてこい。




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