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与える=受け取る

まだそれほど寒さが厳しくないので
昼下がりにお散歩すると気持ちがいい。

歩くことで、思考が洗練されていくように思う。また、不意にインスピレーションが生まれることもある。その因果関係はわからないにしろ、歩くことでもたらされる「利」は多いだろう。


今日は、散歩をしながら、ふと、こんなことを思った。

「与えること」と「受け取ること」は
同義なのでは…?と。

何かを受け取りたければ、先に与えることが必要、そういう話は耳にするし、実際、一理あるだろう。

時間差はあるとはいえ、自分が他者や世界に対して、与えたものが、巡り巡って、自分のところへ還ってくるというのは往々にしてある。


ただし、今回はそういう意味合いではなく、

与えているようで、受け取っているし、
受け取っているようで、与えている。

ということを、ふと思ったのだ。

赤ちゃんや子どもは、多くのものを親や周りの大人から受け取っている。しかし、受け取った分、それに相応する何かを大人に与えている。

わたしは、「与えること」がすばらしく、「受け取ること」が未熟であるように、思い込んでいた。しかし、本来は、どちらも、同じエネルギーを持ち、どちらも、同じ価値のあるものだ。

だから、受け取ることに、臆病にならなくていいのだ。自分に対して、「受け取ること」を許可する。そうすることで、誰かに、そして、世界に、すでに、もう与えていることになりうるのではないか。

そう思えると、今まで、本当は受け取りたかったものも、素直に受け取ることができるように思われた。

もっと、自分に許可してあげよう。

もっと、素直に受け取っていこう。

それが、自由の始まりで、
世界に価値を与えることにつながるのだから。


#エッセイ #哲学





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