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宙ぶらりんでいる安心

やるかやらないか、しかないのだと実感した今、「決めきれない」この時間もどうやら自分が安定を求めているのだと思い知った。

まずは「決める」ことから。

こうしたい、と思うことは、無責任でも思える。そして、その想像や願望は自由だ。だから、勝手に思って、勝手に消してしまってもいい。

わたしは「こうなりたい」と思って、それを思うだけではなく、実現に移すまでを望んだ。やってみてから分かったことだが、その道の途中には、たくさんの「やりたくないこと」「理不尽なこと」「こわいこと」が待っていた。そして、道の途中で、この先いけるかなと不安に陥る。

その時も、やるかやらないか、しかないということを心に刻むといい。不安なまま、やっていく。こわいながらも、一歩先に進んでみる。理不尽なことも、はねのける必要はない。
失敗、不安、理不尽。そういった体験に関して、「自分が○○だから、だめなんだ」とか、「世の中が○○だから、うまくいかないんだ」と繋げることなく、単なる出来事として受け止める方がいい。その体験を通して、何を学べるかに焦点を当てると気持ちが楽になれる。また、壁にぶち当たったときは、必ずと言っていいほど、自分の固定観念がそこに隠されていることが多い。

「○○だからできない」の「○○」に当てはまることは、自分を縛っている固定観念だと捉えられると、固定観念から解放されるきっかけともなりうる。

本気で実現する気でいるのであれば、「こうなりたい」だけではなく、細部までビジョンを描ききることが必要なのだと知った。それは、他者に発信するためといった目的や、実現させやすいといった意図もあるかもしれないが、それ以上に、自分のやる気を継続して持ち続けられるということ。そして、決心がつくということにある。

そうやって一つ一つの設計図を細かく立てているうちに、「できるかどうか」という不安は一掃されていく。そして、手順や、今何ができるかというスモールステップが見えてくる。

不安を持ち続けること、悩み続けていることすら、それは安心なのかもしれない。
次に進まなくていいという逆説的な理由。

安心も時には悪くはないが、ずっと安心しているよりも、めくるめく世界を見たいし、めくるめく世界を創造したい。

#エッセイ #考え事


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