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心の揺れ動きは、微かなサイン。

久しぶりのエッセイ。

最近の興味は、自分の感情の揺れ動きに注目することで、相手の言動の何に引っかかりを感じるか、そして、その後、どのように感情が変化していくのか、意識の一歩離れたところから傍観している。

相手の言動によっては、受け入れ難いこともあり、自分の感情が「最悪だ」「嫌だ」のみに覆い尽くされる場面もある。そういった場合も、その感情に優劣、善悪をつけず、そのまま受け止めるようにしている。
相手の言葉をそのまま受け止めたければ、それもそれでいいだろうが、自分の感情が「NO」と叫んでいるのであれば、それを自分の中に取り入れる必要はない。離れたければ離れる選択もあるし、我慢できなければ吐き出す選択もあるし、自分の楽な選択を取ればいい。自分の中に取り入れるか、取り入れないかという自由があるし、どう行動するかも自分次第だ。そして、まず、そう思うだけでホッとする。

私自身、何に引っかかりを感じるかに注目してみると、「人と比較した時(自己卑下)」「理不尽なことを言われた時(無価値感)」などがあることに気づいたが、最近では、ほぼ人と比較することから解放され(結婚、年齢などはまだ少しある)、楽になれた。また、今日気付いたことだが、「怒りに感情が振れている時」は、心がざわざわしていて、怒りをぶつけることも傷みがともなう。これは、一体なんだろう、と。そして、「怒り」という感情も、まず大事にするところから始めてみたい、と。

自分の感情の引っかかりは、「ウィークポイント」といえば、そうなのかもしれないが、その奥にある根本の自分の望みや、傷みに気づいてあげられると思えば、「見逃せないサイン」だともいえる。

もっと自由に、もっと楽に生きるヒントが隠れている、そんなサインだとしたら、大切にしてあげてみたいのだ。

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