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縄文人の暮らしって?

すでに核家族化していたの?

講演会でよく聞かれることがある。
「縄文時代の家族構成ってどんな感じだったのでしょうか」
たしかに気になるところだ。
父、母、子供2人というような、現代のステレオタイプの家族構成が縄文時代にもあてはまるのだろうか。
教科書や書籍の挿絵、博物館や資料館での復元展示を見ると、現代的な家族構成が多い。これは本当なのか?といつも思う。研究者の思い込みや理想、そうでないと論が組み立てられないなどのさまざまな要因が、現代の家族構成に寄せたイメージを作り上げているのではないかと邪推してしまう。
縄文時代のお墓は今のように「〇〇家ノ墓」などとなってはいない。集団墓地があり、多くがその中に埋葬される。墓域の痕跡は見つかっても、酸性土壌で人骨が溶けて残りにくい日本列島では家族単位で埋葬されているのか判断がつかない。場所や時期によっては、大人の墓域、子供の墓域と埋葬される場所が区別されていることもある。ということは、「家族」という単位が今ほど強く彼らを支配していたわけではないかもしれないと想像する。
ただし、1万年以上続いた縄文時代であるから、その間に家族のあり方や考え方が変化することも大いにあるだろうし、地域差もあるだろう。


多様な家族像

以前研究者に言われたことがある。縄文時代の本を書く際に「家族」という言葉を使わない方がいい、と。言葉には力がある。だから、「家族」という言葉を見ると、読者は自分自身の経験に置き換えて家族のイメージを作り上げてしまう。しかしそのイメージは前述したように、現代人のイメージでしかない。縄文人たちが今のような「家族」意識を持って暮らしていたかはわからないのである。そもそも彼らの住まいである竪穴住居に、どんな構成で人が暮らしていたかさえも不明だ。もしかしたら竪穴住居が立ち並ぶ集落内で、女性、男性、と分かれて寝起きしていたかもしれないし、親戚一同ひとつ屋根の下で暮らしていたかもしれない。集落内を自由に行き来しながら子供たちは夜な夜な親以外の大人たちと語り合っていたかもしれない。
そう考えるとき、彼らに家族という概念があったのかどうかはわからないが、血族としての結束はあったのではないかと想像する。研究によると、集落の多くが血族をベースに作られていたようで、そこに他の村から嫁入り、婿入りすることで、新たな遺伝子の流入と他の集落との社会的な関係が結ばれた。そういう意味で、彼らのベースは最小集団としての家族よりも、今でいう親戚一同、つまり血族を重んじる暮らしが営まれていたのではないだろうかと想像している。


集落存続が大命題

縄文時代の一般的な集落の場合、血族を中心に20名程度が共に暮らしていたらしい。あまりに大所帯だと、トイレなどの衛生問題や食料問題などが起こるため、その辺りは「過不足ない人数」ということで自然に調整が行われたことだろう。
さて、「過不足ない人数」と書いたが、平均寿命が40歳前後といわれる彼らにとって、「集団の人数を維持する」ということは大命題であったはずだ。今でも田舎の村には、その土地その土地の風習があり、それを村の人たちは誇りにもしているし、拠り所にもしている。アイデンティティーというやつである。それは集団と共に土地に根差していて、その地で産まれ生きていくことの道標にもなる。
同様の感覚は縄文時代にもあったはずだ。
とするならば、物理的に人手が多い方が集落として運営しやすい、ということ以上に、集落を守ることは自分たちのアイデンティティーを守ることであり、何がなんでも人数を維持しようと必死になったはずである。


目指すは縄文型の子育て

先史時代の遺跡から見つかる人骨を分析、研究している古人骨の専門家がいる。彼女によれば、現在世界中で生きている狩猟採集民の事例と縄文人骨に残された妊娠痕と併せて考察すると、縄文人が一生のうちに出産する人数は4人から6人ほどだという。そのうち、半数が15歳まで生きられないと仮定するとかなり厳しい状況だ。栄養状態も医療環境も悪い。それでもこの世界に産まれてきた命をなんとか守り育てなければならない。
うちの子もよその子もない。
とにかく、集落に生まれてきた子供は、皆で育てる。母親たちは食料を森に探しにいかねばならず、残された老人や少し年上の子供たちが下の子の面倒を見ながら日がな過ごす。とにかく無事に育て上げることが集落の使命なのだ。子供がいなくなれば集落は消滅する。それは翻って自分たちのアイデンティティーの喪失にもなる。子供は宝なのだ。自分たちが生きていた証とも言える。
じつはこの感覚が今の社会から大きく抜け落ちている。だから、今の子育て世代はいろんな意味で苦しい状況に立たされているのでないか。子供を産み、育てたいと思えない社会は間違っている。そんなことをしていたら、ほんとうに日本は立ち行かなくなる。古臭いと言われようが構わない。「子どもは社会の宝」として集落で守った縄文時代の子育てにヒントがあるのではないだろうか。

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